浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

エリカ・モリーニ戦時中のライブ ベートーヴェンの協奏曲

2006年10月27日 | 提琴弾き
40歳になったエリカ・モリーニは祖国、墺太利を離れて米国に居た。世界大戦末期、戦火で貴重な文化遺産が次々と破壊されていく独逸や周辺諸国の惨状をどのやうな思いで見ていたのだらう。ちょうど其の頃、紐育ではモリーニがベートーヴェンの協奏曲をゴルシュマンと協演し、演奏会を開いてゐた。

その演奏は、”Overseas Branch"といふ戦場へのレコヲドとしてプレスされ、命を懸けて第一線に出向く戦士に贈られた。戦場の戦士たちが全てベートーヴェンを好んで聴いたとは思へないが、この第2楽章の演奏を聴いて涙した者も多かったのではないかと思ふ。

モリーニの演奏は明るく天真爛漫だ。このやうな情況にあっても決して悲愴感漂う演奏にはなってゐない。戦場の人々はこの演奏を聴いて生きることの素晴らしさを感じたのだらう。生きてゐることの素晴らしさを実感することは意外と難しいことだ。その理由を僕の尊敬する哲学者TKは、次のやうに述べてゐる。

人間は生き続けるためには特別な原因は不要だが、死ぬためには何らかの特別な原因が必用だ。いつか必ず死ぬにもかかわらず、よっぽどのこと、つまり死ぬようなことがない限り死なない、と。

目の前に死を予感して初めて生きてゐることの有難さを感じるのが人間である。先日もテレビを観てゐると、アスベストに侵され死を目前にした男性が「ゼロからやり直しても良いので生きたい」とふり絞るやうな声で語ってゐた。

日々の貧乏生活に不満を言ったり、参事だか大惨事だか知らないが上司の無能を嘆いたり、そういった傲慢さが噴出しそうになったときには、自分が明日死ぬかもしれないことを思い出すと良いのかもしれない。本当にそう思ったら今日を精一杯生きるしかないのだ。

今宵は、この演奏を聴いて励まされ、そして戦場で命を落としていった人たちが居たことに思いを巡らせ、僕にしては珍しく真面目に音楽を聴いた。

盤は、米国Doremi LaboratoryのSP復刻CD DHR-7783。


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