浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

フェスティバル・ホールの想い出 ワイセンベルク

2009年08月21日 | 洋琴弾き
青春時代によく通った中之島のフェスティバルホールがなくなった。また一つ、想い出の場所が消えた。

仕事一筋の僕は、今年も盆休みを返上して旅に出た。叔父の別荘で涼しい生活を送り、故郷神戸に立ち寄り、三田藩主である友人Yに会い、数日ぶりにZ共和国に戻ったのだが、一日中クーラーの部屋から出ることができない。4月から蝉がうるさい此の地では、秋の訪れはとても遅いそうだ(と云ふか、夏の次は冬といふ感じである)。飛びつきは早いが取り組みに時間が掛かり結局はビリになる此処Z共和国の人々の仕事ぶりとよく似てゐることに気付いた。この気質や風土は気候から来るものだったのかも知れない。

ところで、その長旅の途中で、僕の青春とともにあった大阪フェスティバルホールが閉館してゐるといふ事実を知った。あのきれいな残響をもう聴くことができないのか、友人達と語らったロビー、サインを求めて並んだ楽屋口、何度か立ったステージ。どうして日本のお偉い方々は文化的な資産を大切に思わないのだらうか。僅か半世紀でお役御免となった大阪フェスティバルホールが取り壊される。粟飯原眞氏が日本のマスコミの無能ぶりを嘆いておられる記事があるが、朝日新聞の最近の気概の無さとともに一つの時代の終わりを痛切に感じる。創始者村山家の心が忘れ去られてゆく。村山邸の門前の坂道を懐かしく想い出し、なんとも哀しい気分だ。

懐かしいホールでの想い出探しにと、数々の音源を引っ張り出してみた。当時のテープは結構沢山あり、一つひとつ懐かしい場面を思い起こしながら聴いてゐるところだ。

そんな中に、ワイセンベルクの公演があった。曲目はチャイコフスキーの協奏曲第1番だったが、特に印象に残ってはいなかった。ただ、自身で編曲した「主よ、人の望みの喜びよ」をアンコールに応えて静かに弾き始めたあの瞬間だけは別だった。どんなに好きでない洋琴弾きでも、ときに(作品によっては)格別な素晴らしい表現をする場面があることを知った瞬間であった。


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