浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

あれからちょうど2ヶ月 ブルーノ・キッテル合唱團によるモーツァルトのレクイエムを聴き冥福を祈る

2009年08月08日 | 歌もの
突然、愛犬が病に倒れ、大手術の甲斐も無く変わり果てた姿で此の家に帰ってきた日からちょうど2ヶ月になる。今日は朝から祭壇に線香を焚き、遺骨の入った箱を何度も撫でた。夜になってブルーノ・キッテル指揮伯林フィルハーモニーによるモーツァルトのレクイエムをかけてゐる。

このレコヲドを聴くのは初めてだが、戦時中の伯林での録音のやうで、暗黒の時代に独逸國内にこれほどの素晴らしい音楽が存在してゐたことに驚きを感じる。フルトヴェングラーがヒンデミット事件でナチスに反旗を翻したことに端を発し、伯林から優秀な音楽家が次々と去っていったのが1935年頃である。此の事を考えると、1941年にブルーノ・キッテルが独逸國内に留まって此のレコヲドを録音したことが当時、どのやうな意味があったのか、と考えてしまふ。

このレコヲドを聴いてゐて、イントロイートゥスで何かが変だといふことに気付いた。慌てて51頁にわたる付録の冊子を調べてみたがその異変については触れられてゐなかった。そこで歌詞を見ながらじっくりと聴き直してみた。

「賛美をささげます。シオンにいます神よ。エルサレムではあなたに満願の捧げ物をささげます。」の詩篇からシオンとエルサレムの文言が消えて無くなってゐるではないか。奉献唱の後に登場する主音4つと導音による印象的な"quam olim Abrahae"の動機からも「アブラハム」の文言が消えてゐる。無学な僕にはラテン語を紐解く術は持ちあわせてゐないので、いったい何に置き換えられてゐるのかは不明だが、独逸國内に残った音楽家はこのやうな理不尽に付き合わされてゐたといふ歴史の証であることくらいは理解できる。このやうな古典的名曲ですら歌詞が変えられてゐるのは本当に驚きである。

ユダヤ排斥は人的な損失だけではなかったのだ。思想に対するナチスの操作がいかに徹底したものであったか、その恐ろしさを垣間見た気分だ。フルトヴェングラーが命を懸けてナチスと戦おうとしたことがあまりにも無謀な挑戦であったことがあらためて分かったやうな気がする。

愛犬の追悼にと選んだレコヲドだったが、とんだ展開になってしまった。

盤は、国内PhilipsによるSP復刻CD SGR-6011~3。


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