いかに新訳でも、この『夜と霧』は再読できないだろうと…
アウシュビッツの現場の重く、息苦しい体験と、むしろ後からじわじわとくるおぞましさの記憶からです。
7,8年前の厳冬1月、ポーランドツァーでクラクフからオシフィエンチム(ドイツ名アウシュビッツ)に。
「ARBEIT MACHT FREI」門から収容棟を廻り、最後にガス室。 気分が悪くなりうずくまる女性もいました。
写真で見ていた通りでしたが、必死な形相の解説員の説明、監視塔にあがり上から見る荒涼とした全体像。
なぜ、こんな恐ろしい場所に立たなければならないのか、ひとりの生存者のことばに、
「アウシュビッツより恐ろしいものは一つだけ、 人類がそのような場所が存在したことを忘れてしまうことだ。」
それが二日で読み通してしまったのは、新訳者の池田香代子さんの人柄に好感をもっていたから。
2001年、『世界がもし100人の村だったら』の出版記念会、池袋ジュンク堂で親しくお話し、ソフトムードながら芯のある方だなと。
先日もCS「パックインジャーナル」で、コメンテイターとして相変わらずのムードで原発反対論を繰り広げていました。
以前の同番組でやはり紅一点、落合恵子さんの反対論とは一線を画す説得力でした。
同じことは、霜山徳爾が、旧版訳者のことばとして「新訳者の…優しい心 育ちのよい文字」という表現をしています。
これに続く、訳者あとがきで、1947 年刊の旧版と1977年刊の新刊の異同の指摘は、興味深かったです☆
・旧版に多出した「モラル」ということばが新版で二か所のみ
ここで扱われるべきは精神医学であり、さらにはより根源的な人間性なのだ と考えたのでは?
冷静な科学者の立場からかいたつもりが、… やや主情的な方向に筆がすべった と見たのでは?
・旧版には「ユダヤ」という言葉が一度も使われていない
なにより普遍性をもたせたかったから、 一民族の悲劇ではなく人類そのものの悲劇として、体験提示したかったのでは、
収容所には、ジプシー、同性愛者、社会主義者等がいたことを踏まえていた?
新版で新たに付け加えられたエピソードに一つに「ユダヤ人」が二度出てくる
「ユダヤ人被収容者たち」と名指ししたのは、改訂版が出た1977年のイスラエル事情(ユダヤ人移住のさらなる奨励)では?
対アラブ政策、中東戦争、度を越して攻撃的になるという受難の民、にたいして、この「夜と霧」の作者は
「立場を異にする他者同志が許しあい、尊厳を認め合うことの重要性を訴えるために、この逸話を新たに挿入し、
憎悪や復讐に走らず、他者を公正にもてなした「ユダヤ人被収容者」を登場させたかったのでだ、と私は見る。」
収容所解放直後に書かれた旧版と、4度の中東戦争の同時代史を経て書かれた新版。
日本版訳者も、太平洋戦争戦場体験を持つ旧訳者に、平和な時代に生きてきた新訳者、
できれば、両版ともに、読み継がれていってほしいです。
ご紹介がなければ、新版の存在も知らずに封印していたにちがいない『夜と霧』、R氏に感謝します。
≪追≫
辛いアウシュビッツ見学ののち、ワルシャワ、新世界通り南端のシェラトンにはいり、
フロントで当日のテアトル・ヴィエルキ、オペラ「ハルカ」最上席(3千円弱)がとれました。
このツァーは少人数で旅慣れた人が多く、時間があると単独行動即決、もう一組はバレー、私とジャスミン様はオペラに的を絞って。
「ハルカ」は、モニュシコ(ポーランド国民歌劇の父、ポーランドではショパンの次に偉大)作、ポーランド歌劇中最大傑作といわれ、
地主vs農民の分かり易い内容、ヴィエルキ劇場の世界最大規模の劇場空間、
音楽学生集団(東欧独特のあだっぽい美人ぞろい)の熱心な鑑賞姿が印象に残りました。
モニュシコは世界に向けてでなく、ポーランド人のために作曲し、困難な時代に生きる人々のこころを支えた。
その精神は弟子たちにも受け継がれ続けている。 (読んで旅する世界の歴史と文化 中欧 より)
オペラ素敵でしたね
マルガリータさまの高い情報収集能力と行動力のおかげで観られて、とても感動しました!
ありがとうございました
その後、神谷美恵子さんの『生きがいについて』を読みました。
旧版とあわせて読んでみたくなりました。
私は2003年にベルリン北部の
ザクセンハウゼン収容所に行きました。
地下の人体実験室に行ったときのことは
忘れられません。
そのとき一緒に行ったドイツ人さえも、
「まだアウシュビッツに行く覚悟ができていない」と…。
負の歴史をきちんと残すこと、ドイツは徹底してますね。
以前BSで観たドキュメンタリー、
『死の国からの旋律 アウシュビッツと音楽家たち』は、
音楽家であるがゆえに収容所を生き伸びたユダヤ人老婦の苦悩を取りあげた作品でしたが、
重々しい内容ながら、希望の意味について考えさせられる、素晴らしい内容でした。
ぜひおすすめしたいです。
奥様の方はいきなりで、具合が悪くなったのでは、覚悟がなかったのかも。
音楽を生まれた土地できくと、理解もふかまります。
ショパンの悲しみが、より深く聞こえて来るようになったと、よくジャスミン様と話しました。
収容所は、どうしたものか?
ホロコースト、の映画、ドキュメンタリーはたくさんあります。
「生き延びた」理由もいろいろで、ほんの一握りですから貴重な証言ですね。
ドイツといえばこゆき様とまわったクリスマス市の季節がまたやってきます。