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たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡城跡(続々)

2014年07月18日 | ぶらりぶらり
盛岡城跡は現在、公園として、盛岡城跡公園または岩手公園として市民の憩いの場になっています。今回は城跡に中津川側から入ります。

中津川側から城跡に行くには次に示す池に架かる橋を渡って行くことになります。橋の前には宮澤賢治の詩碑「岩手公園」があります。





宮澤賢治の詩碑


岩手公園
「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲もなし

なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生のタピングは
口笛軽く吹きにけり

老いたるミセスタッピング
「去年(こぞ)なが姉はこゝにして
中学生の一組に
花のことばを教へしか」

弧光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり

まちはしづかにたそがるゝ
賢 治


橋を渡ると左側に蛍の里があります。夜にはホタルが飛び交っているのでしょうかね。



さらにすすんで行くと右側に公園広場、まっすぐ進むと御廊下橋の下に出ます。今回は左側に階段がありますので、階段を上って行きます。


前方の朱色の橋は御廊下橋



階段の上は腰曲輪で桜の広場になっており、桜の時期には多くの人でにぎわいます。



さらにすすんで行くと宮野小提灯の碑の前に出、前回の菜園側入り口コースと同じになります。


宮野小提灯の碑


月待つや 
独り 
古城の松のもと


小提灯は盛岡の出身で、下橋高等小学校(現:下橋中学校)を卒業後、盛岡に住みつづけ、岩手俳壇(はいだん)の重鎮として多くの後進を指導しました。この碑の前に、次の方向案内板が立っています。、



今回は右側の腰曲輪の方から来ましたので、左方向に進むと二の丸の方向で、途中に榊山稲荷曲輪跡があり、右側に朱色の御廊下橋が見えます。なお、榊山稲荷神社はもともと、ここ榊山曲輪に鎮座していましたが、盛岡城は廃城になり榊山稲荷神社は遷座先がありませんでしたが、明治30年に再興し、現在地である北山に遷座されました。


榊山稲荷曲輪跡


御廊下橋


二の丸


二の丸には、新渡戸稲造、石川啄木の碑が建立されています。





願はくはわれ
太平洋の橋
とならん
新渡戸稲造


新渡戸稲造は盛岡の出身で、のちに国際連盟事務次長を務めております。新渡戸は英文学を学ぶ目的は、自分は許されるならば、太平洋の橋となりたいと思う。日本の長所を西欧に紹介し、西欧の長所を日本に紹介する橋渡しの役を務めたい。だから英語に精通する必要があるのです」とといわれたと伝えられています。


啄木歌碑





不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心
啄木


啄木歌碑を見たら御廊下橋を渡って本丸へと進みます。この橋は当時を偲ばせる擬宝珠つき朱色の橋です。かつては屋根付きの立派な橋だったそうです



御廊下橋



御廊下橋を渡ると本丸になります。現在本丸には台座だけが、がっしりと建立されています。台座にはかって南部家42代南部利祥(としなか)中尉騎乗の姿があったようです。彼は日露戦争に従軍したが、明治38年に満州にて戦死(享年24歳)され、市民はこれを悼み明治41年この地(本丸)に銅像を建設しましたが、昭和19年、太平洋戦争の軍需資材として回収されて台座のみになっています。


南部利祥銅像の台座


台座の前から左の方向に進む(下って行く)と十字路の出ます。


台座から左方向の路



十字路


十字路を左折すると、御廊下橋の下の道にで、先ほどの新渡戸稲造の碑、啄木の歌碑のある二の丸に出ます。




十字路を右折すると公園広場、中津川方面、十字路をまっすぐに進むと三の丸となりますので、まっすぐ進みましょう。


三の丸


三の丸には烏帽子岩(兜岩とも呼ばれる)があります。



烏帽(えぼし)子岩


櫻山神社側からの烏帽子岩


三の丸からは大通の櫻山神社の東側出入り口に出ますと、通りの向かい側に神社の鳥居があり、鳥居をくぐると、じゃじゃ麺の「白龍の本店」がありますので、お寄りになってはいかがでしょう。食べながら、次の行き先を考えましょう。



白龍の本店は、岩手県盛岡市にある「じゃじゃ麺」の元祖のお店です。じゃじゃ麺、冷麺、わんこそば盛岡三大麺です。




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