(2)宝徳寺の歌碑(盛岡市渋民) 昭和36年4月建立(『悲しき玩具』より) 啄木1歳
ふるさとの寺の畔の 啄木
ひばの木の
いただきに来て啼きし閑古鳥!
明治20年3月、父の転任に伴い、家族は常光寺から渋民村の宝徳寺に移りました。啄木は明治37年、詩集刊行のため上京する18歳までを宝徳寺で暮らしており、啄木にとっての家はこの寺だといえるでしょう。この歌碑は啄木50回忌にあたり建立されました。宝徳寺の裏庭には池があり、白蘋の池と呼ばれており、啄木が中学時代に用いた「白蘋」のペンネームは、この池の名前に由来しています。