田舎生活実践屋

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若き日の江藤翁の写真(2009/7/31)

2009-07-31 23:36:55 | 戦前・戦中の日々
先日、竹田農園で江藤正翁(元南海ホークスのエース)とビールを飲んでいて、若いころの写真を見せてもらいました。こんな写真でした。

冒頭は、小学校の6年の時、八幡の高見小学校のリレー選手に選ばれ、八幡市で優勝した時のもの。前から2列目、右端が江藤氏。まだ背は高くなかったが、走るのもボール投げも図抜けていたとのこと。このころ、到津球場に来た、大リーグの試合を見て、ベーブルースが打った特大のホームランに驚いた。


八幡中学3年時(当時の中学は5年まで)の投球。エースになったのは5年から。このころは、バッティングを買われて、ファーストで試合に。


八幡中学5年で、北九州6中学大会で優勝した時のもの。後列左端優勝旗を持っているのが江藤氏。八幡中学、東筑中学、小倉中学、門司中学、若松中学、豊国中学の戦い。一点取られると八幡中学は負けるので、必死に投げて優勝。


学徒出陣で、同期の初年兵で。小倉北方の野戦重砲隊の仲間と。航空隊を志望したが、教官の梅津少尉(前列中央軍刀)の「野戦重砲隊には、お前のような大男も一人はいるから、来い」の一言で、野戦重砲隊。江藤氏は前列向って左端。後列右から4人目が仲の良かった、福田氏(佐賀か長崎、拓殖大学生)。福田氏は台湾への輸送船の中で、就寝中、船が揺れた際、超すし詰めの船内の木製の柱がずれ落ち、頭部陥没骨折で死亡。江藤氏はその隣で寝ていて朝まで気がつかなかった。紙一重の運命。福田氏の遺族に会って、最後の様子を報告したいとずっと思っていたが、叶わなかった。ちなみに私の父は、多分、この輸送船団の一つ前の船団で台湾に。父の船はキールンの港で爆撃で各坐、やむなく台湾上陸、残りの10隻余りの輸送船は、サイゴンに向うも揚子江沖ですべて潜水艦の魚雷攻撃で全滅。これも紙一重の運命。それ以降の輸送船は、台湾までしか行かなかった。
右端に立っているのは、八木下氏でこの方の弟さんがヤギシタハムの社長になる。おじさんが八幡中学の先輩で野球が好き。戦後復員間もない江藤氏を門鉄の野球部に引っ張ったのは、この伯父(叔父?)さんで弟さんが使者になったとのこと。


 プロ野球を引退し、電電公社の労務担当の課長になり、激しいやりとりをしたこともあるが、組合の運動会に、仮装行列に花嫁になるように頼まれ、応じたもの。小柄な組合幹部とのペアでヤンヤだったとのこと。昭和43年頃。NTTの京都全体の運動会。
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