田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

南三陸町の蚕の繭人形と繭(2011/8/29)

2011-08-29 22:29:50 | Weblog
 南三陸町の観光協会が運営する楽天での出店から、特産の蚕の繭(まゆ)で作った、大漁を祝う漁師の人形が届きました。
これを拝んで、釣りに出ればもしかしたら、大漁になるかもと、注文していたもの。
あわせて、蚕の繭もたくさん。(冒頭の写真)

蚕の繭は初めて見た。
楽天の写真を見た時、汐巻の手釣りの際、右手人差し指につける指サックに使えるかもと、昨日の釣りに早速持っていきました。
ためにし使ってみると、大きさは人差し指の先端部分を覆うだけの大きさ。
張子のようにゴワゴワした感触。
最初の投入に使うも、従来の指サックの方が使いやすいのですぐ交換。
午後になり、当たりが遠のき、ふと道具箱に入れたこの蚕の繭が目につき、もう一度使う。
糸を90メートルの海底まで伸ばし、蚕の繭がある、人差し指の先端に糸を当て、底にたらした糸をゆっくり引き上げ魚を誘う。
糸を当てる部分が人差し指の先端だけと狭い分、気持ちが集中する感じ。
突然感じたあたりを逃さず、合わせると、強い引きで30センチ程のレンコダイ。
これは使えると再度蚕の繭サックでの釣りに切り替え。
あたりが無いと餌確認で、100メートルあまり出た糸をエッチラ、オッチラと引き上げると、結構な重みで、人差し指の腹に糸を当てて引き上げるので、指の腹部分は蚕繭だとサックがないので指が段々痛くなる。
これはたまらんと、結局元の大きな指サックに交換。
感心したのは、この蚕の繭、とても強い。
水浸しになり、結構強い力がかかっているのに、変形しない。
90メートルほどの深いポイントでは従来の指サック、汐巻でも40メートル程度の浅いポイントで釣ることもあり、その時は、蚕の繭で集中力を高めるのが良さそう。
関門海峡では、せいぜい20メートルなので、この蚕繭サックが丁度いいかも。
これからも試してみる予定。
なお、昨日の釣りで一緒だった作業着屋のH氏に蚕繭を見せると、これは女性のお肌の手入れ、汗腺の脂取りに使っているものとか。
H氏の奥様も愛用とのこと。
下の写真、蚕のまゆ(昨日使ったもの、変形していない)と従来の指サックをパチリ。

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汐巻で大漁(2011/8/28)

2011-08-28 22:34:57 | Weblog
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
日陰を吹く風に秋の気配も。
名高い漁場の山陰の汐巻に船釣りでした。
木工職人のSGさんのグループがこの35年、月2回の汐巻船釣りを続けており、月の後半の釣りに、私も参加者に空きが出たら仲間に入れてもらっているもの。
SG氏、工務店のS氏、作業着屋のH氏ら5人の釣り人。
冒頭は湯谷湾の粟野の漁港から出港した船から朝日をパチリ。

(さすが木工職人)
木工職人のSG氏、釣りの道具の他に、ピカピカのヒノキの板を持っている。
いつも乗る船の生簀の蓋が古くなって壊れそうなので新しい蓋を用意してきたとのこと。
寸法は前回の釣りの際、測ったとか。
船長には思わぬプレゼントだったようで、釣りのポイントに船をパラシュートアンカーで安定させると、さっそく、金づちと釘でトンカチ。(下の写真)

SG氏、和太鼓のバチを作れる職人さんは日本に数人しかいないそうでそのおひとり。
用意した蓋、寸分たがわず生簀に収まり、皆さんお見事と感心。

(大漁)
波静か、潮も大潮でよく魚が餌を食う。
真鯛、レンコダイ、アラカブ、イトヨリ、アマダイ、カナトフグ等、強い引きで90メートルの海底から上がってくる。
下は、アマダイと鯛がダブルで釣れたところ。

笑いが止まりません。

(ビール)
海の上は、陸ほど暑苦しくはない。
釣糸を右手、左手にビールで気分よし。(下の写真)


(船長の釣果)
船長、もう70歳は越していると思われるが、動きは敏捷、ポイントに船をパラシュートアンカーで安定させると、ご自分も魚釣り。
私の3倍は釣っている。
釣った魚はご自分が食べる小魚を1、2匹キープしたら、あとは残らず我々にくれる。
SG氏がくじを準備しており、私は大型アラカブ(ボッコ)、レンコダイをゲット。
下は船長がくれた魚の分配風景。


帰ってから、クーラーボックスにずっしりと入った魚をさばき、夕食は鯛、アマダイ、大型アラカブの刺身。妻の卓球仲間のYさんにも刺身おすそ分け。
今晩は、爆睡の見込み。
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農園でなた豆収穫(2011/8/22)

2011-08-22 17:07:47 | Weblog
 今日は竹田農園に遊びました。

(江藤翁の主治医)
お昼は、行橋の惣菜屋でサバの照り焼き等仕入れ、それを炭火で焼きながらビール。
農園のお隣に住む江藤正翁(89歳、元南海ホークスのエース)もいっしょに雑談。(冒頭の写真)
〇右手の指先がしびれたり、先日自転車でこけて、アバラを打ったので、毎月江藤翁を診察している主治医のところに先週末行ったとのこと。
指先がしびれるというと、「江藤さんのお年なら、それが当たり前で、今までが良すぎです」とのこと。
そういわれると、もう言うことありませんしかないね。
あばら骨、念のためレントゲンを撮ってくれたが異常なし。
痛みも段々取れてきた。
「いいお医者さんだ、下手な医者だと検査、検査で時間と金と体力を浪費させられるところ」と申し上げる。

(畑)
今は、なた豆取れどきで、毎週ザル一杯収穫(写真 今日の収穫)。

食べると、ストレス発散になり、歯周病、蓄膿に効き、結果的に血糖値も改善すると私は思っている。
糖尿病で寿命を縮めますよと医者に叱られている飲み仲間多数で、さし上げると喜んでくれる。
今日収穫のなた豆は、旅行好きのY氏にさし上げる予定。
 イノシシに食われて廃墟となったサツマイモの畝、100株のうちまだ生きている株を選んで、30株再度植えたら、連日の雨で、すっかり根付き、葉も茂ってくる。
空いたスペースには先日来、夏蒔きのインゲン豆、枝豆を植え、既にかわいい芽が出ている。
今日は、追加で残りのインゲン豆、枝豆の種まき。

 今度の日曜、名高い漁場の汐巻に釣りの予定。波静か、竜巻なしでありますように。
 
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雨の中、関門で釣り(2011/8/21)

2011-08-21 19:20:47 | 夏の日照りの終わりの秋雨
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
夏の暑さに、釣りバカの皆さん、釣りはお休みという方が多く、コーラル丸での釣りのメンバー、揃わない。
困ったときの関門フィッシングで、乗合船に乗って、関門で釣りの一日でした。
よく乗せてもらう富士丸。
天気は雨降ったりやんだり。

(アジ)
出港した時は、潮流のスピードは7ノットで狙いのアコ、鯛といった魚のポイントにはいれない。
船長の計らいで、関門海峡に回遊するアジをサビキで釣ることに。
魚探にアジの群れを見つけ、それを追って船を群れの中に入れ、仕掛け投入。
撒き餌なしで、20センチ程の、よく筋肉のついた感じの美味しそうなアジが次々と竿を曲げる。
気が付くと周りの釣り船もアジを釣っている。(冒頭の写真)
 私はビールを飲みながら釣っていたら、仕掛けがもつれたり、オシッコで釣り座を外していると、爆釣タイムが来たりで、他の釣り人の1/3程の5匹でアジ終了。

(鯛ラバ、鯛テンヤ)
昨年あたりから、関門フィッシングの釣り客、鯛テンヤ、鯛ラバといった、外海で鯛釣りに人気の仕掛けで、釣る人が増えた。
今日の釣り客、5名で、私以外の4人の釣り人は、皆さん、鯛テンヤに鯛ラバ。
コーラル丸でよくご一緒するおでん屋のS氏、この釣りに長けていて、釣り方は、細い道糸(0.8号)で休まず竿を動かして誘っている。
3年前から冬場のアラカブ釣りはおでん屋のS氏の独壇場で、私の5倍のスピードでアラカブを釣る。
今日は、対象の魚は鯛・アコウ(25センチ程の小型が多い)だが、鯛テンヤ・鯛ラバ仕掛けの4人の釣り人、昔ながらの仕掛けの私の4倍は釣り上げている。
私がビールを3缶飲んで、鼻歌気分で雑に釣っているとはいえ、これは仕掛けと釣り方の差が歴然。
これからどうしたものかと思案するも、結論は昔ながらの仕掛けでも、家族のおかず分は釣れるので、今後もこれで釣ることに。
そもそも従来の仕掛けでも、釣り方や誘い方は、私は雑なのでそれの改善の余地、相当ありそう。

(夕食のおかず)
2時には港に戻り、朝からの雨も小降り。港でパチリ。


我が家に戻り、クーラーボックスから、今日の獲物を出し(下の写真)煮つけ、フライ用に包丁を入れると、結構ボリュームがあり、夕食4回分の食材にさばいて冷凍庫に。

フライ用に背開きにした、アジとアオペラを見て、「まあ、きれい」と妻。
刺身にしてそのままたべても美味しい魚だから、当然と、少し威張る。

(竜巻)
食事も終わり、のんびりテレビを見ていると、今日の昼間、福岡市から下関で竜巻被害。
関門海峡が日本海に通じる出口に広がる響灘では漁船、プレジャーボート3隻が竜巻にあおられ、転覆で5名救助されたが、1名死亡、1名行方不明とのこと。
 そういえば、朝撮った関門海峡の空や海、帰ってから門司の港から写した空、どんよりと不気味。
 竜巻は、タッチダウンといって、突然発生するそうで、恐ろしい。
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中国の古代国家、夏の名君 禹(う)(2011/8/19)

2011-08-19 22:10:59 | 3.11東北大震災の頃
 田舎生活をしていると、時間はたっぷりあり、最近は司馬遷の史記を読んでいる。何回か読んだが、読むときの気分で、印象に残る箇所が変わってくる。
 一昨日読んでいて、いままで読み飛ばしていた、中国の伝説の最初の王朝、夏(紀元前2070年~)の創始者の禹(う)の詳しい紹介が心にしみた。
 黄河をはじめとした大きな河川の川筋を安定させるために、13年間没頭し、とうとう成功、国民は、丘から平地に移り住むことが出来、農業生産も飛躍的に高まったというもの。
 高さ20メートル、1000年に一回の大津波に見舞われた日本では、国民は平地から丘に移らなければならない。
 また、平地に戻るには、禹(う)のような弛まない努力があれば出来るということを司馬遷は示唆している。

下のような下り。

「司馬遷の史記 夏本紀(平凡社 上18ページ)

禹(う)の人となりは、敏捷で勤勉、徳がそなわっていて道にたがわず、その仁慈の心は親しみやすく、その言葉は信頼できた。その音声は韻律にかない、進退は法度に合い、言動はつねに適宜であった。そして、倦まずたゆまず、またなごやかで、世の中の綱紀として人々の仰ぐところであった。
 禹は、ついに益・后稷(こうしょく)とともに帝の命を奉じ、諸侯・百官に命じて人夫を徴収し、それを全土に配置して水土をおさめ、山々をめぐり木柱をたてて山名を表記し、高山・大川の格式を定めた。禹は父の鯀(こん)が功ならずして誅罰をうけたことをいたみ、身を労して心を集中し、屋外におること13年、自家の門前を通りかかってもはいって休息しなかった。衣食をうすくして鬼神への供え物を豊富にし、家室を質素なものにしてその費用を田畑のあいだの溝作りにまわした。陸をいくには車、水上をいくには船、沼沢地をいくには橇(そり)にのり、山をいくにはキョク(裏に釘をつけたはきもの)を用いた。準(みずもり・水平をはかる)と縄(すみなわ・直線をはかる)を左手に、矩(さしがね・角度をはかる)を右手に持って、四時にかなうように作業をすすめた。このようにして九州を開拓し、全土にわたって、道路を通じ、沢に堤防をほどこし、山を調査した。益に命じて民衆に低湿地にうえるべき稲をあたえ、后稷に命じて民衆に得がたい食料を与え、食料が不足しているところへは余りあるところから補給させて、諸侯の国々の事情を均しくした。
・・・常・衛(ともに河北省の川)は流路どおりに流れるようになり、大陸沢(河北省)も水がひいて沢らしくなった。・・・済水と黄河の間の地が沇州(えんしゅう)である。そこでは、九河(黄河の下流の九つの分流)がそれぞれの道にしたがって流れるようになり、雷夏(沢名 山東省)も沢として落ち着き、よう、しょ(ともに雷夏の西北の平地を流れる川)は合して一つとなり、桑に適した地帯はもはや洪水のおそれはなく、養蚕を営みうるようになった。

かくして、人民は丘からくだって平地に居住することができた。・・・・」

 現代の禹(う)は、地震予知の学者であり、低コスト高効率の防波堤の設計技師であり、その他知らない何かを弛まぬ努力で作り上げる人。
 禹(う)の時代は、その前の名君の堯、舜、禹(う)と続く中国の高揚時期。
 孔子も理想の時代と懐かしみ、彼らの没したという場所は、中国の聖地となっている。
 東日本大震災を契機に現代の禹(う)が輩出して日本の復興も本物と思った次第。

 明後日は、関門に釣りの予定。大物釣れますように。


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南三陸町のメルマガ 花火大会の様子(2011/8/13)

2011-08-18 21:58:53 | Weblog
南三陸町の観光協会の楽天出店のメルマガ届きました。

8/13日、花火大会、予定どおり行われたそうです。その様子は、以下原文。

「当日は、久しぶりにたくさんのにぎやかな声が聞こえました。
花火は三部構成でした。

『第1部 こども夢花火』

   子供たちの笑い声が響きました。それを見て、大人も微笑みました。

『第2部 追悼の光』は、、、
私は、こんな花火は見たことありません。
一つ一つ、丁寧に、確認するようにあげていました。ひゅーぅ…どぉーん…パラパラパラ……
花火に向かってつぶやく人。
花火に向かって手を合わせる人。
花火に向かって泣く人。
でも、花火が花開く瞬間、みんなの顔は光り、しっかりと花火を見ていました。
空を見上げていました。

『第3部 復活ののろし』
元気がありました。光となった多くの方々に対して、見ていてください、私たちを!って言う感じや、
支援してくださっているたくさんの全世界の皆さんに対して、感謝の気持ちと同時に、
これからは私たちが前に!って言う感じ。まさに、この花火が復活ののろしとなり、
きっかけとなり、進んでいくんだな、、、って思える花火でした。」

発起人の花火実行委員会「チーム花咲」メンバー9名、
当日スタッフが約300人。警備の方170人。
署名をいただいた方々、約3500人。
花火をご購入いただいた方々が1626人。
とのことです。

同じ日の関門の花火大会も、例年と違ったより多くの人出と、集中力があったように思います。
今年の日本の夏は、特別の夏のようです。

南三陸町の花火大会を伝える動画
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松井先輩の思いで(2011/08/17)

2011-08-17 23:37:27 | 農園巡り
友人のS氏より、メール。
私が東京の学生のとき、3年間暮らした、同志会という小さい学生寮の先輩の
松井仁氏が亡くなられたとのこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お別れ会:8月18日(木)9:30 出棺11:00
 会場 :浜名湖エデンの園
  浜松市細江町中川7220-99 053-439-1165
  浜松駅からバス 聖隷三方原病院下車
  納骨式 :8月18日(木)14:00
  場所  :三方原霊園 エデンの園納骨堂
  喪主 松井すゞ子(妻)
 *御花料はご辞退とのこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私より20歳あまり年上で、当時、神奈川県の恵泉女子大の先生で、学校農園(7ヘクタール)の
管理をしておられ、8月末、栗が取れるからいらっしゃいとのお招きに、遠慮なく同志会の暇な仲間、3人で押しかけ、栗をしこたま頂いた。
印象に残っているのは、栗の木に寄生する大きなイモ虫を火箸でつかんで一匹づつ踏み潰しておられた。
農薬は使わないのだと。
あれから40年、竹田農園のピーマンとトウガラシの枝に鈴なりのカメムシを下に竹のザルを置いて、ふるい落とし、コンクリートの地面にぶちまけて、長靴の足で踏み潰す。
この技は、40年前の恵泉女子大での松井先輩の模範演技の物まね。
冒頭の写真、後列真ん中が松井先輩。
前列のお二人は、偶然、北九州と下関に居を構え、親しくおつきあいさせていただいた。
お一人は、長網良明氏で小倉で弁護士をされ、10年前亡くなられた。
もうお一人は、今も親しくおつきあいいただいている。
梅光学院院長をしばらくされて、今は、滝部のご実家で農耕生活らしい。
ちなみに私は後列右。

これからもカメムシを踏み潰す都度、松井先輩の温顔を思い出すことと思います。

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遊べ、遊べ、遊べ、遊べ(2011/8/15)

2011-08-15 22:09:42 | Weblog
今日は、我が家には長男、長女の家族に、長男の幼馴染の家族、自衛隊のS青年も飛び入りで、元気に遊びの4乗でした。

(100キロサイクリング)
長男の幼馴染のSW氏、自転車が趣味。
長男もつられて自転車大好きに。
今日、平尾台、福智山山麓100キロサイクリング。
釣り仲間の冒険家のM先生も飛び入り参加で、朝6時に3人の英雄、勢揃い。
私はパジャマでお見送り。(冒頭の写真)
我が家の前の下り坂を猛スピードでスタート。(下の写真)


(ちびっ子お散歩)
強情なSI君1.5歳、聡明なZ君2歳、母ちゃんを従えて、日豊線で下曽根モールまでお買いもの。(下の写真)


(竹田農園の夏)
自衛官のS青年、元野戦重砲隊の少尉の江藤翁(元南海ホークスのエース、89歳)を訪ねて竹田農園まで。
江藤翁、先日、自転車でこけた時のあばら骨の打ち身、少しずつ良くなって、木陰で3人でバーベキュー。
今日の朝は打ち身と時々手足のしびれの相乗か、右手指が動かなかったそうだが、お昼には、はしで黒豆をつまみながらビールで問題なし。(下の写真)


(大バーベキュー)
夕方の雨(スコール)で心配していたバーベキュー、夕方6時にはすっかり上がり、総勢12名で我が家でバーベキュー。

長男の幼馴染の大分の親戚から特上牛を大量に送っていただいたり、ご縁のある皆様から酒やらシューマイやら次々届き、全員美味い美味いで酔っぱらう。

自転車グループは来年もこの3人でサイクリングの約束をしたとのこと。

楽しい一日でした。
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農園のお盆(2011/8/13)

2011-08-13 15:32:07 | 3.11東北大震災の頃
お盆で竹田農園の近くにある妻のご先祖様のお墓に墓参り。
長男一家、長女一家と我が家で農園に。
冒頭は、真夏の竹田農園近くの道からパチリ。

墓参りのついでに、今が盛りのなた豆(糖尿病に効果があると飲み仲間に好評)とカボチャを収穫(下の写真)。


墓参りが終わり、引き上げようとすると、同じ集落の、最近お亡くなりになった方があったお宅にお参りの帰りの、長男の幼馴染。
25年振りの再会。
記念写真(下の写真)。

たまたま、29年前、竹田農園にまだガス、電気が通っていたころ(今は廃止)一夏、農園の屋敷で避暑で過ごしたことがあり、その時のこの幼馴染のマコト君と長男の写真が見つかる。
写した場所も同じでした。(下の写真が29年前の長男とマコト君)

お盆はご先祖様の霊がやってくる時らしいが、懐かしい人々にも再会する時らしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今晩は、飲み仲間、釣り仲間で関門に花火見物。

 今、花火大会から戻ってきたばかり。
花火職人さんは東北の方が多いそうで、今日の関門の花火、例年、終わる2分前に打ち上げる、超大玉の見事な花火が最後の15分間打ちっぱなし。
 採算無視で、花火職人さんたちが、東北の皆さんの思いを胸に、この15分間の見事な大玉のオンパレードやってくれたと推測。
あいにくカメラを持っていくのを忘れ、妻の携帯で、花火をパチリ。

 周りの人、気持ちが伝わり涙がこぼれていました。私も。
ご一緒の飲み仲間のリーダーの小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏も、「涙が出た」とポツリ。

 来年も11名でレストランの予約を済ませて、妻と、冒険家のM先生ご夫妻と帰路に。
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南三陸町観光協会のメルマガ(2011/8/11)

2011-08-11 23:21:52 | Weblog
 南三陸町の観光協会の楽天出店のメルマガ届きました。
要旨は

 コンビニも当初の急ごしらえからしっかりした建物に変わりました。
また、南三陸町で有名だった魚屋さん、店も工場もすべて流されましたが、仮店舗が出来、車で1時間以上かけて買いものにいかなくても良くなった。
全国、世界各国からいただいた救援物資の写真も
以下原文「中国?韓国?台湾?タイ?インド?スウェーデン?ロシア?
日本だけでなく本当にいろいろな国からたくさんご支援いただきました。
突然、米軍の船や飛行機が降りてきて、物資だけを置いていかれたりもしました。
本当にありがとうございます。・・・・
Thank You、カムサハムニダ、謝謝、コップンカッ、スパシーバ・・・。」
今日8/11は震災から5か月。ビーチで追悼した
南三陸町の花火大会、いよいよ明後日。
(このメルマガの申し込みは左のブックマーク、南三陸町のメルマガで)


8/13は関門海峡でも門司・下関両側から13,000発の花火大会。
飲み仲間、釣り仲間11人で見物に繰り出す予定です。
打ち上げ場のすぐそばのレストランに陣取って、ビールとワインを飲みながらの一時。
南三陸町と同じ時で、ひと際思い出深いものになりそうです。
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