田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

汐巻で鯛釣り(2014/10/26)

2014-10-26 22:22:39 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
名高い漁場の山陰の汐巻に船釣りでした。
ナギで、天気晴れで、絶好の釣り日和というところ。(冒頭)
舟には、工務店のSK氏、木工職人のSG氏など、6人の釣りバカ。

(ビシ糸のテスト)
  前回の汐巻では、新調のビシ糸で釣るも、当たりは取りにくい、合わせても掛らないで、結局、前からの使い慣れたビシ糸で釣る羽目に。
 しかし、先週の白島沖での船釣りで、使い慣れたビシ糸3本のうち、1本が、途中から切れて3日前、ビシ専用の鉛を買い、糸に固定する夜なべ仕事で、修理完了。
 今日は、その大修理のビシ糸のテスト。
 割合、岸に近い所が今日の釣り場で、さあ来いと、仕掛けを下ろすと、いきなり強い引きで40センチ弱の真鯛。

 その後も、コンスタントに鯛や、レンコダイが釣れ、修理したビシ糸、合格というところ。

(大漁)
  先週は、汐巻(角島沖)あまり釣れなかったと、聞いていたが、今日は、皆さんいい魚を次々。
 塩焼きサイズの鯛、立派なアオナ、アオナ・レンコダイのトリプルと、釣りの合間に飲むビールも美味い。






(鯛ラバの色)
  今日の釣りチャンピオンは、船尾で竿釣りしていた、釣り人。
 60センチの前後の大鯛を6匹で、参りましたというところ。
あいにく、写真は取り損なう。
帰りの車の中で、チャンピオン氏に、鯛ラバの鉛の色は、何色だったのかと質問。
最初、黄色だったが、当たりが渋いので、オレンジ色に替えたら鯛の爆釣となったとのこと。
黄色は、アラ、アオナといった底物がよく釣れることが多いとのこと。
 基本は、オレンジ色と思うとのこと。
 チャンピオンの言うことなので、説得力がある。
次回の参考にしたい。

 持ち帰った、鯛は一番大きいのは刺身でいただく。

甘みがあり、舌触りもよく、美味しい。
一部は、冷凍して、孫共への誕生日プレゼントの予定。
 
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農園にピクニック(2014/10/25)

2014-10-25 17:41:25 | Weblog
 気持ちのいい秋晴れ、家に居るのはもったいないと、妻と、農園に出かけました。
途中、ケアハウスで暮らす、江藤正翁(元南海ホークスのエース、92歳)を訪ねる。
 江藤翁、どうも腰が痛いとのことで、来月末予定の、不良爺さん達とのバスハイクは、欠席とのこと。
 食事のとき、腰が痛いと話すと、隣で食事をしていた男性に、「江藤さん、もう年ですよ」と言われたと、苦笑い。

 そのあと、JA直営の店で、イノシシ肉購入。

山向こうの猟師さん5人の仕留めたイノシシで、竹田農園を荒らすイノシシの間接駆除。
イノシシ肉は、最近は、炭火焼・塩コショウ味で食べている。

ビールによくあう。

 今年は、農園は柿不作。
渋柿はちょぼちょぼ。
甘柿は、6本の木のうち、実がなっているのは、小さい霜ゴネリの柿のみ。

これを10個程、収穫。

 付近の柿、不作のため、この柿、鳥が目をつけているらしく、10%は鳥がかじった後。

 サツマイモ、焼き芋にちょうどいい大きさで、当座食べる分収穫。

先週収穫したものを、今日食べてみたが、舌触りがクリームのように細やかで、おいしい。
夏の長雨で、例年のように、日照りで葉が萎れることが無かったのが幸いしたと思われる。

 サツマイモを一部掘り上げた後には、先日、次男が草刈りをして、草を山盛りにしている休耕田の草をリヤカーで運び、積み上げる。

 土が健康・肥沃になる。
 ミミズ、その他が、土を耕して、次の畝づくりが楽にもなり、この枯草積みは、野菜作りには欠かせない。

 夕方早めに我が家に引き上げる。
 明日は、名高い漁場の汐巻に釣り。
 今晩は、釣の幹事の工務店のSK氏宅に泊まることに。
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なた豆茶つくり(2014/10/23)

2014-10-23 21:58:17 | Weblog
 健康豆のなた豆、竹田農園で、40株ほど栽培。

ジャックと豆の木のモデルになった、高く伸びる豆と聞くが真偽のほどは???
 何の効果かというと、歯槽膿漏、蓄膿の口の病を改善するらしい。
 間接的に、血糖値の改善にも役立つらしい(元々、なた豆を食べたら、私と飲み仲間の小倉室町のラーメン屋の大将のI氏の血糖値が下がり、糖尿病だらけの飲み仲間の不良爺さん達のお気に入りになったもの)。
 夏場は、若い鞘を取って、テンプラが人気。

 秋も中盤になると、テンプラには固い、種にするには、遅すぎるという、中途半端に成長したなた豆の鞘を取り、細切れにして天日干しにする。
 3日もすると、カリカリに乾燥し、なた豆茶になる。
 この中途半端な鞘、昨年までは、大半、種にもならず、テンプラにもならずで、冬場、刈れたツルと一緒に捨てていた。
もったいないことをしていたもの。

  一日干したところで、夜露を避けて、家の中に。(写真)
このザルで今年は、3、4回、なた豆茶作りしたいもの。
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農園は秋本番(2014/10/20)

2014-10-20 18:21:59 | Weblog
 昨日の釣りの後、今日は、やや寝不足気味でボーッとしている。
 農園に妻と遊びに行きました。

 農園のある集落の入り口にある、休耕田、先日、同居の次男が下宿代代わりに草刈り。
綺麗に刈り、草は、うずたかく積み上げている。(冒頭)
草は、暇なとき、畑の空いている畝に敷き詰めて、健康でよく肥えた畑作りの決め手になる。

 今日は、農作業は主として、秋の実りの収穫。
その前に、昼食のバーベキュー。
農園には、井戸があるが、ポンプははるか昔に壊れ、水は、近くの水場からバケツで水を汲んできて、それが、水道がわり。


 農園の周りにたくさん生息するイノシシのロース肉をJAの直営の売店で購入。

この肉は、山向こうの猟師さん達5人が、イノシシ、シカを年間250匹仕留め、上手に処理している。(左のブックマーク、イノシシ猟師の奥さん日誌参照)
 この肉を買うことで、猟師さん達のイノシシ退治に拍車がかかり、イノシシの食害に悩む我が家も助かる。
 昨日の釣りの際、猪肉は塩コショウで味付けするとうまいと、聞き、早速、やってみる。
とても美味い。


 秋の味覚の収穫多数。
栗、これで最後の収穫。


サツマイモ、里芋も当座食べる分を取り入れ。


健康豆のなた豆、鞘を食べるが、成長し過ぎたもので、種にするには、成長不測のものを収穫。
これはおなた豆茶にする。


 今年は、柿は、不作の年と長雨の影響でか、さっぱり。
一本、霜ゴネリの木が、たわわに実をつけており、採り入れ。

丸かじりしてみたが、渋みはとれており(こねている)うまい。

 妻は、私が収穫している間に、ジャガイモの中耕。

この畝は、ジャガイモの連作で、心配していたが、スクスク育っている。

 適当に、自然を楽しんで、早めに我が家に戻ることに。

今日の夕食は、昨日釣ってきたアラの刺身と、アマダイの味噌漬け(味噌を日本酒とみりんでといたものに、2枚に下したアマダイを漬けた)の焼き物。

 どちらも美味だが、私は特にアマダイが気に入った。
アマダイ、おいしい魚とよく人が話していたが、刺身ではうまさがよく分からなかった。
しかし、味噌漬けを焼いたものは、実にうまい。
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白島沖でワクワクの釣り(2014/10/19)

2014-10-20 00:23:21 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
台風が二週連続で週末の日本に上陸、おかげて、船釣りは
この3週間お預け。

 工務店のSK氏、鉄工所のF氏、作業着屋のHM氏の4人で、若松の岩屋から
出る船で、五目釣りでした。(冒頭は朝焼けの白島)
 竿で釣る人、手釣りの人と貸切につき、気兼ねすることなく、自由気ままな釣り。
 私は、手釣りでビシ糸の先に、鯛ラバ・エビ餌(魚屋でワンパック200円)で60メートル下の
海底に仕掛けを垂らす。
 
 工務店のSK氏は快調に次々アラカブ等ゲット。

 私はポツポツとアラカブ。
 ところが、突然、アマダイが続けて3匹、40センチ余りのアラも続けて2匹私の仕掛けに
食いつき、ゲット。


 周りの釣りバカ達も、何であんただけにと、怪訝な表情。
 私も、夢かもしれんと、ほっぺをつねるも、痛いで、本当の話。
 船長の話では、私の座っている場所が、今日は一番先に魚の群に遭遇する場所らしい、とのこと。

 午後になり、釣りつかれた頃、船長の納竿の合図。
一日遊んだ、白島沖の好漁場にさようなら。


重いクーラーボックスをSK氏宅まで迎えに来た妻の車に載せ我が家に。
今日は、我が家が当番になっている、町内会の会計の打ち合わせがあり、魚は、下処理だけして、
食べるのは明日以降。
 アマダイは、味噌漬け焼きになる見込み。
大きなアラカブ3匹は、孫の誕生祝の尾頭付きの魚に、冷凍便で送るかも。
妻は、鯛の方がよかろうとのことで、来週、汐巻に釣りの予定。
 アラは、明日、刺身でいただくことに。


 天気も良く、楽しい一日でした。
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西村秀夫先生の思い出(2014/10/14)

2014-10-14 22:34:41 | 先生・友人
昨日は、台風13号の影響で、外出はダメ、テレビもDVDも飽きた。釣りの仕掛け作りも終わったで、手持無沙汰。
 ふと、思い出して、大学生の時、3年間過ごした同志会という学生寮の会報に、題は自由でいいから、何か投稿しないかとの案内の手紙があったのを思い出しました。
 私が高校生~大学~今の田舎生活・若い人の就職の応援センター勤務と過ごすにあたって、随分と教えていただいた、西村秀夫先生の思い出を前から書いてみたいと思っていました。
 それで、昨日の閑な午後は、西村先生の思い出話しを綴っていました。
 今は、書いた原稿はメールで同志会に送ればそれで終了。随分と便利になったものです。投稿多数の場合は、原稿は没になりますが、どうなりますか。
 長いですが、下のような内容です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 西村秀夫先生の思い出

 学生寮の同志会を巣立って四二年、年齢も六五歳、一〇年前に、勤務していた北九州の会社をリストラで去った後、釣りや畑を堪能し、併せて北九州市が運営している若者向けの仕事相談事務所にも顔を出している。周りの友人や家族も、リストラされて良かったねと言うし、私も同感。

 時々思い出すのが、西村秀夫先生の姿。西村秀夫先生は、当時の同志会では、知らない人はまず居なかった、東大教養学部で、学生の進路指導をしておられた先生。無教会のクリスチャンでもあり、大学内の柏陰舎という茶室で、杉山好先生と、聖書講義を毎月学生向けに開いておられた。

 私が初めて西村先生にお目にかかったのは、高校三年生の冬、受験先を東京の某大学に決めた直後で、ちょうど私が通っていた四国今治の高校に立ち寄り、講演をしてくれた時。聴講の対象は、一年生、二年生で、三年生は受験の追い込みなので来るに及ばすという、校長の指示だったが、これは聞いておくべきだと感じ、敢えて参加。私の故郷今治は、戦後東大総長をした矢内原忠雄の生まれ故郷で、その縁もあり、今治に立ち寄ったとの話だったと思う。矢内原忠雄が今治出身の人で、西村先生の恩師でもあるとその時初めて知った次第。講演の内容は、大学に入って、やるべきことを見つけるのではなく、高校生の時に、何の目的で大学に行くのか、決心して入学してほしいといった内容。当時の私が通った高校の進学指導は、まず大学に入れ、やるべきことはその後、考えたので良いというもので、西村先生の主張は、これと逆。最後に「志を持って大学にはいれ」と黒板に大書して講演を締めくくられた。その時、校長の恥じてうつむいた姿が今も目に浮かぶ。こんな立派な先生がいるのなら、大学に行ってみようと、残りの三カ月、受験勉強に弾みがつきました。また、アーノルド・トインビーの歴史の研究も、毎日少しずつ読んでいました。大学では、経済史を勉強するつもりでした。

 首尾よく、志望の大学に入学すると、すぐ、その年は日本全国、大学紛争の嵐。私が入学した大学も授業は一年間無く、もうすぐ授業が始まるとの噂を信じて、毎日キャンパスに昼食を取りに出掛けたり、知り合った学友と、読書会をして、日を送っていました。その頃は西村秀夫先生の書いた、新聞記事を目にする事が多く、あの西村先生だ、いつか直接話を聞きたいものと思っていました。読書会も、西村先生の、そのまた先生ということで、矢内原忠雄の「キリスト教入門」を選び、無教会キリスト教とか、内村鑑三の生き方を知ることも出来ました。先生の勤務する学内で柏陰舎聖書研究会を行っており、広く都内の大学生、高校生も参加okと聞いていました。私も行こうか行くまいか迷っていました。意を決して、大学2年目の春、都内の書店で聖書と讃美歌を購入、柏陰舎の門を叩きました。勉強が忙しくなるまでの一年半、ここで、西村秀夫先生、杉山好先生の聖書講義を聴くことが出来ました。杉山先生が正月に城ケ島で行っていた聖書講義に参加したのが、きっかけで、学生寮の同志会を知り、北原現同志会理事長の紹介もあり、同志会に暮らすことになりました。西村先生とは、年に一度程度、講演会や公開セミナーでお話しを聞く程度で、大学を卒業し北九州のメーカーに就職するまで親しくお話しすることはありませんでした。ただ、東京を離れる直前、たまたま、山手線の電車で向かいの席に西村先生が座っておられて、ご挨拶したのが思い出となりました。

 その後、友人や、北九州の無教会の方から、西村先生のご子息が自殺され、その後、東大を離れて、札幌の障害者の施設で、クリーニング工場の管理者として働いておられるとお聞きしていました。

 五五歳でリストラ、釣りや畑で遊んでいました。ご縁があり、北九州市が、ハローワークにも行かない若い人の仕事の相談に乗る、事務所を開設、そこの相談員としても働くこととなりました。私もリストラされて、失業の身、同じ失業状態の若い人と話が合いました。

 ちょうどそのころ、同志会で同じ釜の飯を食った岡崎新太郎氏(下関の梅光学院で教鞭を取っていた)が福岡市で、無教会の全国集会があり、一緒に行かないかと声を掛けてくれました。あまり、気が進みませんでしたが(釣りの方が面白い)、岡崎氏が誘ってくれたのだからと、出かけてみました。会場に着くと、作務衣を着た、人の良さそうな耳の遠いお年寄りが前に陣取っていました。よく見ると、西村秀夫先生でした。驚いてご挨拶しましたが、私の事は、よく覚えていないご様子でした。講演の合間にトレイ休憩があり、ロビーで西村先生とすれ違った時、話しかけられて「最近、教育は、一対一のマンツーマンで、落ちこぼれの若い人の夢を実現するお手伝いをすることと、思いますよ」とおっしゃっていました。私も、そういう仕事を現在していますと、名刺をお渡しすると、それは良かったと、喜んで頂きました。この名刺、もらっていいんですかと、おっしゃり、どうぞ、どうぞと返事して別れました。その二か月後、先生はお亡くなりになったと、人から聞きました。

 先生に福岡市でお会いした直後、NHKテレビの宗教の時間で、西村先生のインタビューが一時間あり、それを拝見しました。ご子息が自殺する前後の話がありました。自殺する一週間前に、ご子息と話していて、「お父さん、僕のところに下りてきてほしい」と両手を鳥のように広げたが意味が分からなかったという話、その後ご夫婦で精神科の病院に入院、そこで、看護婦さんに強く叱られた時、「ストンと落ちた」という話が心に残りました。職場の同僚にその話をすると、その時、西村先生は、ご子息の所に下りたんだと思うとの感想で、私も同感でした。

 今も、釣りや畑に夢中になっていますが、若い人との対面での話も続けています。そうした中で迷ったり、方向性を失いかかることもありますが、トイレ休憩の時、私に話してくれた「教育はマンツーマン、落ちこぼれの若い人の夢をかなえるお手伝い」というお話は、心強い道しるべとなっています。西村秀夫先生はいくつか本を出版されていますが、その代表作は「教育を尋ねて」という、東大紛争が終わってから出版した本だと思いますが、亡くなる二か月前に、その結論を聴けたのは、大変な恩恵だと感謝しています。

 高校三年生は、受験勉強が大事だから、西村秀夫先生の講演会に出るに及ばずとの、校長の話に従わずに西村先生の話を聞いたため、柏陰舎聖書研究会、同志会と渡り歩き、北九州の会社にも入社・リストラと続き、釣りだ、畑だの田舎暮らしを楽しみ、若い人の仕事探しのお手伝いもやり、やや粗暴だが信頼できる、主として自営業を営む、友達(不良爺さん達)も沢山出来といった、面白い人生に繋がったのだと思う昨今です。


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農園で昼食(2014/10/12)

2014-10-12 16:02:52 | Weblog
昨日の観月会で、ビールをたくさん飲み、やや体が重い。
酔い覚ましを兼ねて、竹田農園に行ってきました。
 台風の影響で、昼過ぎから小雨との天気予報。

 途中、江藤正翁(元南海ホークスのエース、92歳)の住むケアハウスに立ち寄る。
毎度の食事、残さずしっかり食べているとのこと。
お元気そう。(冒頭)

あちこちで、買い物をして、農園に着いたのはお昼時。
 農協直営店で買った、弁当を、バーベキューセットに火を起こして食べることに。

 妻が火を起こしている間に、私は、菜花の種まき。
 これで、秋野菜の種まきは一段落。
 既に播いた、大根、チンゲン菜、カブの種は、スクスク成長している。

 昼食後、健康豆のなた豆を取りに行くと、小さいアマガエル。


 雨が降り始め、さっさと引き上げる。

台風19号接近で、スーパーは買い出しの客で混雑、DVDショップも外出をあきらめた客でごった返しているとか。
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小倉室町の観月会でカッポ酒(2014/10/11)

2014-10-11 23:35:29 | 先生・友人
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
今日は、小倉室町の観月会。
室町の商店街の皆さんの手作りの祭りで、歌あり、ビールあり、焼き鳥あり。
カッポ酒も定番で、室町のラーメン屋のI氏の加勢もあり、この数年、13、4升の
日本酒が売れる。

 竹は、竹田農園の上手の竹藪で、比較的若い手ごろな竹を切り出す。
妻と9時頃我が家を出て、竹を切り出すことに。
まだ取れている栗をイノシシが食べる前に回収して、真竹を5本ゲット。(冒頭)
カッポ酒を売る際、燗のついた、カッポ酒の竹筒を保管する、孟宗竹も手ごろに切って
用意。
妻は、里芋、枝豆を収穫。


私が、なかなかカッポ酒の竹を伐り終わらないのを見て、竹のしゃれたコップは
妻が作ってくれる。
なかなか、上手。

観月会の会場に、既に開会のセレモニーが始まっている室町の紫川沿いの広場に到着。
ビール党とカッポ酒党に分かれる呑兵衛の皆さん、いい機嫌で、観月会を堪能。

あいにく、月は雲にさえぎられて見えず。
日本酒、13升が売れて、お開きに。
日本酒は、室町近くの神社の寄付、売り上げは、室町の商店街の行事の基金になる。
知り合いの若者3人が手伝ってくれ、お開き時に錦龍のI氏と記念写真。

 面白い一日でした。

明日は、名高い漁場の汐巻で釣りの予定だが、猛烈台風19号接近で、当然ながら中止に。
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月蝕(2014/10/8)

2014-10-08 23:45:29 | Weblog
夜、仕事から帰る道で、ふと見上げると、月が欠けている。
満月だが・・・今晩は、皆既月蝕と新聞に出ていた。
 我が家について、3人の家族総出で、月蝕見物。
 ついでに、バカチョンカメラでパチリ。
 老眼と近眼で、今一、はっきり見えず。
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農園に遊ぶ(2014/10/4)

2014-10-04 23:42:29 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
栗の取り入れ、チンゲン菜・カブの種まきと、農園はやることが結構ある。
午後から、我が家の地区の敬老会の準備で、その前にと、今日は、午前中に妻と農園に出かけました。
農園のある集落に入るところに、休耕田があり、イチジクの木を植えているが、まだ、まともな実を見たことが無い。
 ダメもとで、車を止めて、見に行くと、食べごろのイチジクが一つ。
 今まで食べた中で、一番おいしいイチジク。(冒頭)

(栗取り時)
イノシシ避けのラジオと、鈴を腰に吊るして5分程山道を歩くと、元栗畑、今竹藪着。
竹に飲みこまれて枯れたと諦めていた栗の木が、奇跡的に4本生き延び、10月に入ると立派な栗の実を落下させる。

 あいにく、ここはイノシシの縄張りで、一晩で、立派な栗は、全てイノシシの胃袋に。
 数年前から、この栗を何とかイノシシから取り上げたいと、ネットを高く吊るしてみたが
効果は今一。
 昨年から、古い漁網ネットで12畳程の面積を囲み、ここに落ちた栗は、私がいただくことに。
 今日も、立派な栗がこの区画に落ちており、拾い集めると、竹かごの底が見えなくなるほど。

これだけあれば、栗ご飯を何回か楽しめる。

(秋野菜種まき)
冬の美味しい野菜は、カブ、チンゲン菜、菜花で、今日はその種まき。
どれも、直径1ミリあるかないかの小粒の種だが、発芽しやすく、種まきさえしておけば、そこそこ期待できる。
 カボチャの棚を取り除け、その下の、よく休養した畝に、種まき。


(なた豆)
健康豆のなた豆、1wもたつと、ザル半分ほどの収穫。

 テンプラにして食べるのが一番おいしい。
 大きくなりすぎたなた豆は、来年の種か、なた豆茶にする予定。

薩摩隼人のOG氏にもらった、菊芋の球根、大きくなるぞと、言われたが、なるほど、私の倍近い背丈。

 ヤーコンと同じく、キク科の芋で、健康芋とか。
 どんな、芋が取れるのやら。

(ヘチマたわし)
春に蒔いたヘチマの種、大きなヘチマになり、そろそろ取り時。
集めてみると、20本程。

 持ち帰り、大型バケツやトレイに入れて、ヘチマたわしを作ることに。

 既に一本、ヘチマを水に浸けており、果肉が腐り、しっかりしたヘチマたわしが出来た。

 肌に適度に刺激があり、石鹸落ちがよく、水の使用量が減り、エコでもある。

 今日の夕食は、畑で、珍しくうまくできた、枝豆でビールでした。
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