田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

槇<まき>の大木の剪定<2011/3/28>

2011-03-28 21:45:48 | Weblog
月曜日、妻と竹田農園にハイキング&畑仕事に行ってきました。

槇<まき>の木の大木の剪定
敷地内の林に、直径40センチはありそうな槇の木がある。
生垣にすると野趣に富むいい生垣になる。
一本で育てると、結構大木になる。
25年前、植木屋さんに剪定してもらったが、それ以来伸びたい放題。
お隣の敷地に伸びた枝がかぶさって、台風でも来ると、枝が多い分、風圧を受け倒れて危険。
これを、手の届くところの枝を、脚立と2メートル程に柄の伸びる鋸で切ることに。
妻が脚立を支え、私がフーフーいいながら、横に伸びた枝で隣の敷地に入り込んでいるもの、農園の屋敷に覆いかぶさりそうなものを切り落とす。
ちょうど、居合わせたお隣のE氏がいろいろとアドバイス。
おかげで、5本の直径7、8センチ、長さ3メートルの枝を切り落とす。
脚立の足が地面にめり込んで、バランスを崩して、落ちたり(見事に両足で着地)で見ていられんと、私がやってあげようと、E氏、地下足袋に安全ロープに鋸でやってくる。
スルスルと木に登り、「全体を小さく切り詰めましょう」と2時間、バサバサと枝を切り落としてくれる。
身軽さと、休むこともなく、枝を切り続けるタフさに私は、唖然として見上げておりました。
散髪を終わった槇の木を背景にパチリ(冒頭の写真)。

(健康のため歩け)
 作業がおわってから、お礼に、農園でバーベキューにE氏をご招待。
お隣にお住まいだが、出会えば会釈するていどで、お付き合いはなかった。
ビールを飲みながら世間話。
お年は、69歳、兼業農家だったが、会社勤めの方は定年退職、農業の合間、散歩。
それも毎日、3時間。
往復10キロ程度の買い物などの移動は、歩き。
お人柄が表れて、よいお顔。
木の剪定は、頼まれて、庭師の友人の手伝いをすることがあり、独学でマスターしたとのこと。

(薪の備蓄)
 切り落とした槇の枝は、林の2か所に積み上げる。
大ぶりの枝は、イノシシ避けの柵の杭にするよてい。
残りは、寒さ避けのたき火の燃料。
年内いっぱいは、山に薪を取りに行く必要なさそう。
ラッキー。(積み上げた槇の木の枝の前でパチリ)


今度の日曜日、飲み仲間、釣り仲間の不良爺さん達と柳川に日帰りバス旅行の予定。
よいお天気でありますように。
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汐巻で鯛、アラカブ釣り(2011/3/27)

2011-03-27 22:26:44 | Weblog
田舎生活の好きなみなさんお元気ですか。
日曜日、名高い漁場の山陰汐巻に釣りでした。
この35年間、月2回のペースで汐巻に釣りを楽しんでいる木工職人のSGさんの
グループの釣りに仲間入りしたもの。
冒頭の写真は、日の出を出港する船の上からパチリ。

(鯛が釣れた)
 皆さん、鯛が釣れると大喜び。
同行の工務店のS氏、今日は好調で、次々、50センチの鯛を皮切りに
3匹の鯛。
 アラカブは釣れるが鯛はさっぱりで、S氏の生簀を指をくわえて眺めていると
私にも待望の鯛。
 あたりがあったので、強く合わせると、鋭い引き。
鯛です。(下の写真)


(船長の腕前)
 船は、SG氏たち、いつもY船長操船の船を利用。
もう70歳を超えているようだが、身のこなしは、素早く力強い。
釣りの腕前も、よくポイントをご存じで、釣りのベテランのSG氏たちの、いつも
3倍近く釣り、自分で食べる魚1、2匹を取った後は、すべて、釣り客にくれる。
今日も50センチ近くの鯛、ボッコ(大型アラカブ)等、大漁。
これをSG氏が5等分して、山盛りにし、くじで、当たった山を持ち帰る。
下は、今日のくじ風景。

朝早くからの釣りに釣果はともかく、満足で、帰りの船で記念写真。(下の写真)
 海水浴でよく出かける角島の島影が汐巻の釣りではいつも見える(下の写真)
なだらかな斜面になっており、たぶん、角島は死火山で、この斜面は溶岩流の跡。


(単1電池)
 朝が早いので、車を運転できない私は、前日の晩、工務店のS氏のご自宅に泊めて
もらい、一緒に、車で1.5時間の粟野漁港に。
妻にS氏宅に送ってもらい、寝る前にビール少々。
聞くと、工務店を営んでいるS氏の仕事で、水平面の測定に単1電池4本で動く器具を
用いているが、最近の震災の関係で、単1電池がどの店にもないとのこと。
仕事に支障となり、困った困った。
我が家に単1電池、4、5本未使用のものがあるので、妻が今日、私を迎えに来たついでに届けてくれる。
地震の影響は日本のあちこちに。

夕食は、船長からくじでもらった、ボッコ(長さ40センチ程の大型アラカブ)の刺身とアラ炊き。
美味しいと妻からもお褒めの言葉。
 
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驚き(2011/3/24)

2011-03-24 22:29:34 | 3.11東北大震災の頃
NHKそのものの、画像でなく、台湾のテレビの画像がネットにありました。(2011/3/30)
NHKで再編集したもの。「私たちには過ぎた娘です」との父上の一言、心にしみました。(2011/5/12)
NHKの画像、その後、見れるようになりました。(2011/5/23)

連日の東北の津波の報道、2日前のNHKの番組で、感動しました。
町民の半分以上が行方不明の、南三陸町の緊急拡声器の担当の女性職員のご両親と同行の取材。

この若い女性職員、自らが波に飲み込まれるまで緊急放送を繰り返し、たまたま、その時の映像と放送のスピーカーの生々しい音声を収録しており、それを紹介していたもの。

この若い職員、津波がとんでもない規模と分かって、冷静に「津波が来ています、至急高台に避難してください」と繰り返しアナウンス。
声のトーンが、緊急事態ということを、はっきり伝えていました。
これを聞いて足を速めて命を間一髪救った住民が何十人もいたそうです。
その方に命の恩人と感謝の年配の女性のインタビューも番組にありました。

この女性職員のご両親が、緊急放送の建屋跡に来て、NHKのスタッフに、その時の様子と御嬢さんのしっかりした放送の声をもう一度聞かせてくださいと、遭難した緊急放送室の骨組みだけの現場の前でポータブルのディスプレで、御嬢さんの最後の仕事を見届けていました。
父上は無言、母上は、津波がここまで来て、まだ、・・・まだ、放送していると、独り言でした。

 日本は、何度も危難を若者に救われています。
黒船来航の、植民地か独立かの時、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田松陰、坂本竜馬、・・・全員20代で人生を閉じ、日本の独立の礎。

 この若い女性の最後の仕事、幕末の日本の若者とそん色ない。

 日頃の職場の北九州市の若い方の就職支援センターに見えたフリーターの若者と昨日、この方の話になり、私も独り言で「おりゃー、62近くまで生きてきたが、この若い女性のような仕事はしていない。長く生きればいいもんじゃないねー」と。私の前にいた若者、瞳がキラリと光りました。

 この放映を見た日本人、1000万人単位でいたと思います。
 このNHKの放送、日本の歴史の一里塚としてホームページでいつでも、見て聞けるように長く残してほしいものと思います。
今日、あちこち検索してみましたが、見つけれませんでした。
下のようなブログの書き込みを見つけただけ。


「住民に津波を知らせるため、最後まで無線放送で避難を呼びかけた南三陸町の女性職員。
右手に拡声器のマイクを握りしめたまま遺体で見つかった、名取市の消防団員。
もし私が同じ立場だったら果たして出来るでしょうか。自信がありません」
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たき火の効能(2011/3/22)

2011-03-22 18:58:55 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日までの雨もあがり、竹田農園に、グリーンピースの支柱作りに出かけました。
妻が送り迎え。

(たき火)
 東北の震災のテレビを見ていると、避難所で、廃材や薪をあつめてたき火。
男性が多いが、火を取り囲んでいる人たち、皆さん、穏やかな表情。
農園でお昼のバーベキューで、いつも暖を取るため、周りの山から枯れ木や竹をあつめて
たき火をしている。
チロチロ燃える火の近くにいると体の芯まで温まる感じ。
気持ちも落ち着き、お茶を飲みながら本を読むと、家で炬燵にはいって読んでいる時よりスーと頭に入る感じ。
人間が火を使い始めて以来、寒さを防ぎ、オオカミやイノシシを近づけず、生ものを焼いたり煮て食あたりを防ぎと火は人を守ってくれている。
何万年かのそうした経験が、チロチロ穏やかに燃える火を見ると、気持ちが落ち着き、安心感があり、集中力が出るように脳が反応するようになったと思われる。
なお、たき火には、太めの丸太を一つ置き、その横で細身の枯れ木や竹を燃やすと、長持ちがして火もやさしい。
この方法は10年ほど前、中国のウィグルから来ていた友人夫婦と農園でバーベキューをしたとき、教わったもの。
お昼は農園の隣に住む江藤正翁(88歳、元南海ホークスのエース)とバーベキューで肉に畑のネギ、近くのIKさんからいただいた椎茸、サツマイモと焼いて食べる。
ビールにカッポ酒で二人ともいい気分。
(冒頭の写真)

(グリーンピースの支柱)
 グリーンピース、春になり、ツルが伸び始め、竹で支柱を作り、這い上がらせるようにする必要がある。
昨年暮れまで使った、なた豆用の竹の再利用やら、カッポ酒用に切った竹の先の部分を集めて組み立てる。
なかなかうまくできた。(下の写真)


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西谷温泉(2011/3/20)

2011-03-20 16:53:36 | 3.11東北大震災の頃
この連休は雨と高めの波の天気予報。
行きたいと思っていたメバル釣りはあきらめて、今日は耶馬渓にある西谷温泉に。

九州は、南に行くほど、新しい火山や温度の高い温泉が見られる。
いつも釣りに行く、山陰汐巻から関門沖の白島にかけて、活動をとめた火山が連なる。
釣りをしながら船が島に近づくと、白島の女島はカルデラが半分崩れた地形、吉見海岸、蓋井島の山肌は溶岩の流れた地層、角島の牛を放牧しているなだらかな斜面は溶岩が流れた跡に見える。
また、汐巻での鯛釣りに出る時の漁港のある油谷湾は別府湾と同じカルデラの跡とのこと。

その少し南に、秋吉台、平尾台といった石灰の山が連なる。
これらは、ハワイあたりで出来た火山がプレートに乗って西に移動し、上にサンゴを抱きながら、海山になり、日本に吹き寄せられて、地表に出てきたものらしい。
これが地表に出るまでは、移動するプレート間の妨げになり、地震の元のエネルギーを貯める原因になる。
北部九州や山口が大規模地震が少ないのは、この海山がすでに地表に出ているからかも。

今日出かけた耶馬渓は、溶岩が積み重なった地形で、青の洞門のあるあたりは、奇岩が続き、このあたりの温泉は温度が40度弱。
これがもっと南下して別府、湯布院になると、鶴見岳、由布岳といった火山。
温泉は高温で、湯気でゆで卵を作る。
九重山まで南下すると、温泉は高温で、筋湯では地熱発電も。
更に南下すると、新燃岳や桜島で今も噴煙。

地震と火山は密接に関係があるそうで、地層にかかる圧力が限界近くになると火山が噴火し、地震になりエネルギーが発散されて、噴火も収まるとのこと。
神戸地震と雲仙普賢岳がそれとのこと。
東北の大地震の前の宮崎の新燃岳の噴火は、振り返るとその予兆だったのかも。

などと、ぼんやり考えてるうちに、妻運転の車は、のどかな西谷温泉に到着。(冒頭の写真)
かけ流し、肌がツルッとなるいい湯。
お彼岸の連休で、併設の山小屋風の宿舎に泊まりできたグループもおり、にぎやか。

今度の日曜、汐巻に釣りの予定。
第二日曜に汐巻に出かけた、工務店のS氏、作業服屋のH氏、50センチ超の鯛やアマダイに大型のアラカブも釣り、ニコニコ。
波静かでありますように。
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農園で春野菜の手入れ(2011/3/14)

2011-03-14 18:54:52 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
11日の大地震、私の家族、友人は被害なく、やれやれですが、被災された方には
一日も早い生活の回復を祈るばかりです。
北部九州は、地震の影響はなく、今日は竹田農園に妻と、春野菜の手入れに行ってきました。

(バーべキュー)
 気温は16度と、少し寒い程度。
妻もいるので、手分けして林でバーベキューの準備。
2月の汐巻の釣りで釣れた、鯛を塩焼きに。
炭火でじっくり焼き、私と妻とお隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)の3人で、こんがり焼きあがった鯛を仲良く分け合って食べる。
カッポ酒の肴にちょうどいい。
これは美味いと江藤翁も舌鼓。(冒頭の写真)

(春野菜スクスク)
 私が大根とにんじん、妻がジャガイモの植え付け。
既に育ちつつあるイチゴ、ソラマメ等の草取りでやることはたっぷり。
一通り終わった畑をパチリ。

手前から玉ねぎ、グリーンピース、イチゴ、ソラマメ。
どれも、4月になると急速に成長して、5月に食卓をにぎわしてくれる見込み。
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大地震から2日、家族のそれぞれ(2011/3/13)

2011-03-13 16:34:37 | 3.11東北大震災の頃
(地震当日の3/11横浜に住む長女から)
地震の時、息子に昼寝をさせようと2階の寝室にいました。仕事の資材を取りに一瞬、旦那が家に立ち寄った時でした。
ぐらぐらぐら~ゆらゆらゆら~と家がゆっくり揺れだしました。
ガタガタガタと本棚が揺れ、クローゼットも大きな音を立てていました。
外に出てしまいたかったんですが、部屋にいる方が良いと判断したので、息子に覆いかぶさってました。
旦那が大丈夫大丈夫と言ってくれるものの、私には本当に怖い時間でした。
長い長い揺れで、揺れ終わってからもまだ揺れてるような感覚に陥りました。

その後も余震が度々あったので、高知徳島時代に南海地震に備えて用意していた防災キャリーを外に出し、家の外にいました。車に乗ってカーナビでTVを見ていましたが、津波の様子に言葉を失いました。その後、仕事に行った旦那さんですが、車が渋滞で動かず、携帯も通じず、結局仕事先にはたどり着けなかったものの、帰宅難民にならず無事帰宅しました。

友人・知人より「大丈夫?」とのメールを多数頂きました。お心遣いありがとうございます。我が家は皆無事で、ライフラインも正常です。

地震って本当に怖い。普段は雨風から守ってくれる家が凶器に感じます。稚拙ながらも防災グッズを用意していて良かったと思います。使わなくても心の支えになります。それから、ママバック。あれはおむつや着替え、お菓子や保険証・財布と貴重品とベビーグッズが一通り入っていますよね。あれを持ち出すだけで、スピーディに避難できると思いました。面倒くさがらずに中身をいつも揃えておきたいと思いました。


(地震翌日3/12、東京に住む長男から)

昨日、3/11(金)の15時頃と16時頃に大きな揺れがありました。
また断続的に余震もかなりありました。
今、東京は体に大きく感じる余震はほぼ無く落ち着いている模様です。

我が家、A家は全員無事。
横浜の妹夫婦のところも大丈夫と、うちの母ちゃんから聞いています。
自分の友人からも被害の情報は入っていません。

自分は地震発生時、新宿のJ社ビル18Fでお客さんと打ち合わせ中でした。
先週も地震があったのでまたか~、とのんきな感じでしたが、
揺れがどんどん大きくなり、座っているのが怖くなってきました。
そして全員机の下に避難。

窓の外を見ると、隣の高層ビルも揺れているがわかるほど大きく揺れており、
かつ長時間揺れました(乗り物酔をするほど)。
例えるなら、縦揺れの無いスペースワールドのスターシェイカーに乗っている感じ。
(2回目の揺れは震源が東京に近かったようで、縦揺れもあった。)
ビルが免震構造のため、長時間揺れた(揺らせた)ということもあるみたいです。

そういわけで、東京の電車は夜まで完全ストップ。
J社本社ビルに泊めてもらうことになりました。
揺れが落ち着いてから食料の買出しに出かけましたが、コンビニに棚はカラッポ。
どこの飲食店、屋台も大繁盛な様子。なんとかラーメンをすすって食事は取れました。
帰れないので飲み明かすことを決めた人も大勢いたようです。

もちろん、J社本社ビルにも、食堂、備蓄はあるのですが、
運行に関わる人に優先的に配分されるようです。
これは当然ですね。

ちなみに、停電はありませんでした。
神奈川県は広い範囲で停電があったようです。
やはり、都心は電線等の地中化が進んでおり、地震に強い作りになっているのでしょう

18Fから都心を見渡しましたが、異常はありませんでした。
交通渋滞はありましたが。

泊まりを覚悟していましたが、夜10時頃には一部の私鉄が復旧。
自分が使う西武線も復旧したので帰ることにしました。

駅は大混雑でしたが、係員による誘導、ホームへの入場制限が行われており
混乱は全くありませんでした。
改札はフルオープンになっているのかと思いきや、普通に改札業務が行われており、
皆普通にSuica・PASMOをタッチして入場していました。
家には11時くらいに帰宅できました。

ちなみに、地震で大活躍したツールNo1は携帯のワンセグTVでした。
電話、メールで繋がりにくい状態が続きましたが、ワンセグに影響はありませんでした

また断続的に地震予測メールも配信されていました。
なお、電波状態が良かったのはドコモ。かなり早い段階からメールが使えました。
auはなかなか繋がらなかった。

iphoneを持っている人もいましたが、役にたちませんでした。
ただ、ソフトバンクモバイルは無線LANスポットを無料解放したようで、
接続できた人はラッキーだったと思います。

No2は携帯充電器。これは基本的に持ち歩くことをオススメします。
停電していなければ常にワンセグTVを見ることができます。

とにかく、携帯が重要ということですね。情報があるのと無いのとでは全然違います。

何にしても、正確な情報の集まるJ社本社ビルに居たのはラッキーでした。

(地震の翌日3/12、長男の幼馴染の京都に住むW氏より)

うちの家族も難を逃れて全員無事。

私は,勤務する病院が災害拠点病院で,
医療チームを被災地に派遣するための連絡調整を昨日からやってて,
今朝も伊丹空港で自衛隊機を見送りました。
なかなか普段できない経験をさせてもらいました。2時間しか寝てないけど・・

今後も被災地支援で忙しくなりそう。

(地震の翌日3/12 横浜の長女から)
一歳の息子は地震の時、私が強く抱きしめ過ぎた為か泣いてました。
泣いても離しませんけどね。
地震のニュースをつけると泣いて拒否します。
映像が怖いのか、面白くないのか分からないけど。

それから、昨日義理の姉のERさん(長女)が、和歌山日赤の災害救助隊として宮城県に向けて出発しました。
陸路での移動だそうです。
今夜現地入りとの事です。
お義母さんが県は違うけど、原子力発電所の事でERさんが2次災害に遭わないか心配していました。

今夜は緊急地震速報がよく鳴っています。
あの音は怖いですね。

(地震の2日後、3/13 私)
前から予定していた釣り、どうしようか迷いましたが、関門の様子を見てみようと、コーラル丸で4人で釣りでした。
 冒険家のM先生、釣り好きのST氏に、G青年。
 関門付近でも30センチ~40センチの津波があったと報道があったが、港、船に被害はない。
 (魚釣れず)
 新日鉄近くのアジを釣ろうと、魚探に映った魚影を目当てに、仕掛けを下すも、まったく当たりなし。
 あきらめて、今が旬のワカメを刈り取り、各人バケツ一杯の収穫。
 最後に、コウイカを一時間狙うも、やっと一匹。(下の写真)

 潮がちいさいからか、地震の影響か、魚は餌を食う気がしないようす。
 (鉄鉱石運搬、天然ガス運搬の大型船、多数入港)
 新日鉄の埠頭には、鉄鉱石を積んだ数万トンはありそうな大型船が3隻、天然ガスの大型運搬船が、次々出入り。
 今まで、こんなに多くの大型船の出入りはみたことがない。
 天然ガスの運搬船が荷卸しを終わって出ていく様子。向こうに新日鉄の埠頭に泊まった鉄鉱石運搬船3隻が見える。(下の写真)
 地震で東北の港に寄港できなく、急遽、北九州に入港したのかも。




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フィリピンのヤーコン茶(2011/3/10)

2011-03-09 22:08:45 | ルーツはここに?
先日、冒険家のM先生から、フィリピンのバギオ土産のヤーコン茶をいただきました。
バギオは、M先生のお祖母さんが亡くなった地で、先生の93歳の父上と、毎年命日の2月末に墓参りで出かけている。
 1年前、バギオの面白い話をビールを飲みながら聞いていましたら、竹田農園やM先生宅の畑で栽培、糖尿病予防やダイエットにいいぞと思っているヤーコンがフィリピンでもブームで、バギオの何人かのフィリピン人から、「ヤーコンは日本の原産」と聞かされたとのこと。
 日本で、健康食としてもてはやされているので、そのように、解釈されたんだろうと二人で納得。
 フィリピンでも、日本と同じヤーコンとそのまま呼んでいる。
 ネットで調べてみたが、ヤーコンは南米で広く使われるスペイン語らしいが由来は私にはよくわからない。

 一年越しで、実物を届けてくれたもの。
 なるほど、ティーパックの箱には、YACON TEA とあり、高血圧や癌にも効くぞと書いている様子。
 ためしに飲んでみると、口当たりの良い薬草を飲んでいる感じ。
 ヤーコンの球根、昨年秋、農園でもたくさん取れて、「くれよ、うちの畑でも作る」という糖尿病予備軍の飲み仲間に差し上げる予定。

 なお、ヤーコンはキク科で南米アンデスが原産地とのこと。
 竹田農園には、埼玉に住む友人から、球根のたくさんついた株を送っていただいたのが始まり。
 5月の連休時に植えると、12月頃、地下に芋ができる。
 生でもキンピラでも食べておいしい。
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春の農園(2011/3/7)

2011-03-07 21:52:06 | Weblog
時間があるので、お昼前次男の車で竹田農園に行き、夕方、妻の車で帰りました。
もう春、畑にはかわいいアマガエルもノソノソ。

(マキ集め)
 お昼時で、小一時間、昼食の準備。
春とはいえ、まだ肌寒い。
近くの山に、イノシシ除けのチリンチリンの鈴とトランジスタラジオをかけながら、マキ集め。
カッポ酒の竹を切り、ふと見ると、枯れ木が一本。
竹とこの枯れ木を引きずり、農園の林に。
鋸で枯れ木を、手ごろなマキに。
お隣の土建屋のIさんの作っていた、大きな桜の木の丸太も一個いただく。
今日は結構たくさん準備できた。(冒頭の写真)

(バーベキュー)
 昨日のアジを炭火焼、畑のネギを洗って焼く、ソーセージに焼き芋。
ビールとカッポ酒のいつものメニュー。
お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も加わり、雑談。(下の写真)

○今までで、一番つらかったのは、昭和28年から3年間、肩を壊して投げられないのに、
商品として、高橋球団、東映と転々としたとき。
投げられませんよというのに、いいから行けと言うので、移ったが、することがない。
金はあるので、毎日飲みに行くだけ。
家族と離れた東京暮らしだし、あんなつらいときはなかった。
 この3年間が江藤翁の奥行きのある人格の背骨を作ったのだと推察。

(ジャガイモの畝づくり)
 そろそろ春まきジャガイモの植えつけの時期。
休耕田から運んだ草が山盛りの畝を、耕すことに。(下は耕す前)

土に接した部分の草がいい具合に堆肥化し、柔らかい健康な土が出来ている。
まだ堆肥化していない草をフォークで集めて、空いている畝に移す。
黒々とした土が見えたところで、牛糞を撒き、三鍬で耕すこと一時間、自信の畑が出来上がる(下の写真)

ジャガイモの植え付けは、来週の予定。

(今日の収穫) 
農園には、時期をずらして、いろいろ野菜を作っている。
今は、ネギと遅まきの大根。(下の写真)

無農薬、無化学肥料で、味は素晴らしい。
たっぷり持ち帰って、惜しみなく食べることができる。
自然の恵み。
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春雨じゃアジを釣ろう(2011/3/6)

2011-03-07 10:28:03 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
天気予報は、時々雨だが、気温は高く、波静かでコーラル丸で関門に釣りに行きました。
よく一緒になる個人タクシーの皆さんのグループに冒険家のM先生と一緒に合流。

(エースと4番)
 今日は、11時には納竿の予定。
タクシーの運転手の皆さん、60歳は優に超えていると思われるが、午後ソフトボールの試合があるとのこと。
「ゴメン、早く釣り切り上げてソフトの試合に出なくちゃならん。私が4番、こちらがエースなもんで」と。
コーラル丸には遊び好きの高齢者が多数。

(アジ、コノシロ大漁)
 川端船長の狙ったポイント、どんぴしゃりで、20センチから25センチまでのアジ、コノシロが小気味よく竿を曲げる。
コーラル丸大漁の様子を見て、あちこちから、同じような釣り船が集まってくる(冒頭の写真)。
いい型のアジが釣れた冒険家のM先生と私でパチリ。(下の写真)


(春雨)
 10時ころになると、小雨がボツボツ。
気温は12、3度というところか、それほど寒くない。
風もなく、帰りの船から見る工場群の煙突の煙、まっすぐ空に。(下の写真)

今日は大潮で、沖の大物狙いの釣り人、いい目をみていることと推測。

(宴会)
 先週一週間、御祖母さんのお墓参りにフィリピンのバギオに93歳の父上と出かけていたM先生の冒険談を聞きたく、夕ご飯は我が家で。
クーラーボックスのアジ、コノシロを私が下ごしらえ。
アジは脂がのり、おいしそう。(下の写真)

コノシロは妻が塩と酢で締めてこれからしばらく、食卓を賑わすことに。
アジは大き目は刺身、中ぐらいは明日の農園でのバーベキューで焼く予定。
小ぶりのアジは私が背開きにして、今日の宴会でフライに。
夕刻見えたM先生ご夫妻と、ビールにワインに生酒で宴会スタート。
アジの刺身、アツアツのアジのフライ等どれも新鮮で4人とも満足(下の写真)。


 来週もコーラル丸で釣りの予定。コウイカを狙おうかと船長。
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