田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

2008/4/29

2008-04-29 18:52:25 | 忘れがたい釣りや山
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
ゴールデンウィークのスタート、初夏を思わせる暖かい日差し。
今日はコーラル丸でアジ・キス釣りでした。

(長老登場)
寒い2月、3月と「寒いから釣りには行かん」とコーラル丸に近寄らなかった、薩摩隼人のO氏、M画伯、郷土史家のT氏の3人、船着き場に久しぶりに雄姿を見せる。
皆さん、60歳も半ばのコーラル丸友の会の長老。
同じ元気な長老の小倉室町の祭りの準備でこれなかったラーメン屋の錦龍のI氏にグチを釣りながら電話すると、「今日は凪で、温かでいいのー」と。
甲板に並んで、パチリ(冒頭の写真)

(海毛虫?)
薩摩隼人のO氏が、リールを巻き上げると、10センチ近くの長さの得体のしれない動物。
山嵐のように背中にビッシリと棘、小さい口があり、キス・グチの餌の青ケブを咥えている。
長年関門で船釣りをしている、川端船長も、郷土史家のT氏も、こんなもの、見たことない。(下に写真。口のある腹側を撮影)
「触るなよ、刺されるかも」とおっかなびっくりでペンチで針を外す。
孫に見せてやると、バケツにO氏。
しかし、気持ち悪いと結局海に戻す。
ビールの酔いに任せて私が「海毛虫」と命名。
ナマコの仲間か、岩虫の仲間か、海にはいろいろと不思議な動物がいるものだと、再認識。

(釣ざおを釣る)
キスを求めて、六連島(むつれじま)近くまでコーラル丸遠征。
ポツポツキスが上がるもまだ、少し時期が早そう。
川端船長の隣で釣っていた、工務店のS氏が、「あー、落ちる」と。
置き竿にしていた川端さんの竿が、根掛か、大物の魚か、強く引かれて海にポシャン。
T氏、「よし、川端さんの竿を釣るぞ」と仕掛けを底近くに落して、引きずる。
なんと、本当に海に落ちた竿から出ている糸にT氏の仕掛けがからみ、見事に竿とリールが水面上に出てくる。
竿を落としたところから、50メートル程離れており、大物の魚(マゴチ?)が食いつき、引きずってきたものと推測。
針が折れていたとのこと。
これで魚もついていたら面白かった。

 家族で食べるにちょうどいい程度にアジ、キス、グチが釣れ、昼下がりの波止場に帰港。
5/3、コーラル丸でまた釣りの予定。
べーべキュー用の大形のキス、たくさん釣りたいもの。
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海毛虫?

2008-04-29 18:44:44 | 海の珍妙生物
4/29に、コーラル丸で釣りをしていると、釣れた、得体の知れない生物。一体何という名かと、船長以下全員????? 写真は、口のある、腹側。長さ10センチ弱。
(後で、まさかと思いながら、googleで「海毛虫」で検索すると、「海毛虫」が正式の名前だそうです。刺は柔らかいが、毒があり、一週間こそばいとか。酒から出たまことでした。)
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2008/4/21

2008-04-21 16:26:57 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
桜の花も終わり、若葉が春の日差しに向かって、勢いよく茂ってきました。
日曜日、快晴、温かい日差しに誘われ、妻と竹田農園にピクニックがてら、夏野菜の種まきに出かけました。

(バーベキュー)
自宅から車で20分の谷あいの行き止まりにある、竹田農園に昼過ぎ到着。
妻はバーベキューの炭火をおこし、私は途中の青空市場で買った、トマトとゴーヤの苗を植え付ける。
火がおこり、用意した肉・野菜がいい香りを漂わせはじめ、農作業中断、隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース)もいっしょに、昼食。
林の中で焼き肉とビールに話がはずむ(下に写真)。
「一人で食べるよりこうしていっしょに食べるとひときわ食事も美味い」と江藤翁。

(なた豆)
私の飲み仲間は、会えばビールだ焼酎で、全員自他共に認める糖尿病予備軍。
仲間内で糖尿病予防の特効薬と評価が高い、なた豆、今年も大量栽培を図る。
昨秋から枯草を山盛りにしていた畑の畝に、鶏糞をたっぷりまき、種を植え付ける。
それまで種が大きいので、40センチ置きに、ひと粒撒いていたのを、2~3粒、それも対に撒く。
種を入れた袋にそうするようにと解説。
昨年まで、専有面積の割に、取れ高が今一と頭をひねっていたが、種と種の間隔が開き過ぎていたたではと、気づいたもの。
この夏こそ、大収穫か。
なた豆の天ぷらを酒の肴に大宴会の光景が目に浮かび、楽しくなる。

(メダカ)
桜が開いた頃から、農園の脇の小川にメダカの群れがスイスイ。
まだ小型で昨年生まれた若いメダカらしい。
我が家のメダカ、3年前から飼っているが、老齢化で次々死に、現在3匹。
また、私が時々出かけている北九州市の若い人の就職支援センターの私の机の上にメダカの水槽があるが、これは、1年で10匹が1匹に。
補充に、捕獲を図る。
昼飯の握り飯を口に含み、クチャクチャと噛んで、ペッと小川に飛ばすと、メダカが食べに来る。
食べるのに夢中になっているところを、網で掬うとたちまちバケツにメダカ10匹。
これに勢いのいい、水草を入れて、持ち帰ることに。
現在、我が家の水槽に4匹移し、スイスイ元気に。
明日は、残りを支援センターに運び、移す予定。
支援センターの方は、太陽光が当たらず、その分、寿命は短い。
太陽光が当たると動物は寿命が延びるとメダカを飼っていて実感。
人間も同じと思われる。

(竹の子)
農園からの帰り、谷の入り口にある孟宗竹の茂る山にはいり、竹の子掘り。
この山は、妻の父親の山で現在は親戚の持ち物で入ってもおとがめなし。
竹は、この父親と伯父さんの二人が50年前、苗を2、3本植えたそうで(二人とも既に他界)、今は山全体が孟宗竹に覆われている。
藪をかき分け地面を見るも、イノシシ君達が豪快に掘った後で、なかなか見つからない。
やっと5本、可愛いのを掘り出し、我が家に戻ると即湯がく。
今晩の食卓に。
(竹の子を持ってパチリ。冒頭の写真。後ろが竹山、腰にはイノシシ除けの鈴)。
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バーベキュー

2008-04-21 16:15:25 | Weblog
4/20日、竹田農園で、畑仕事前に、昼食。焼肉とビールがうまい。林の木漏れ日が心地よい。
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2008/4/14

2008-04-14 21:34:24 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
春たけなわ、2日前の土曜日は、M画伯の足立山の中腹のアトリエ(プレハブ)で花見とバーベキューと露天風呂、昨日はコーラル丸で釣りのあと、室町の町おこしの皆さんと宴会、今日は、竹田農園で夏野菜の準備と春を堪能しました。

(M画伯の母上)
M画伯の好意で、飲み仲間の10人余り、画伯の小倉の夜景が全貌出来るアトリエに夕方集合。
蟹、サザエ、その他山海の珍味を炭火で焼き、ビール、ワインが次々開いて、とどめは評判の露天風呂でビール。
ろれつが少々回らない感じに。
いい加減に周りの人の話を聞いていたが、M画伯の母上の話に意識が正常に。
室町のラーメン屋のI氏が、「素晴らしいおかあさんだ、サッポロ星の会(サッポロビールしか飲まないという、あまり意味のない会)の名誉会員になってもらいたい。」
M画伯によると、94歳だが、今でも縫い針に糸をとおせるとか。
先週の柳川バス旅行にも娘さんの押す車椅子持参で参加、温和な表情の方で、バスの中の俳句会に「バカ息子持ったばかりに長生きし、いやしてくれるサッポロビール」を作句してくれたとのこと。
句はあわてて手帳にメモ。

(グチ・キス到来)
翌日はコーラル丸でアジ・キス釣りで朝5時起き。
まだ3時間寝たい。
二日酔いと寝不足で、歯をくいしばって港まで。
工務店のS氏、H氏も同行。
S氏は昨晩の露天風呂でいっしょにビールを飲んだ仲間で、「連ちゃんはつらい。」と一言。
しかし、朝の気持ちのいい潮風を浴びて、徐々に気分スッキリ。
昨晩、S氏にろれつが回らないまま、「このS氏の差し入れのワインれ、ふ、船れも飲もう」としゃべったのを覚えてくれていて、安心院(あじむ)ワインをS氏持参。
甘口で、二日酔いもすっかり収まる。
アジは大漁、キス・グチも少々で、いよいよ晩春のキス釣り到来か。
初のキスを手にパチリ(冒頭の写真)。

(睡魔)
昨日夕方は、小倉室町の町おこしの面々が宴会。
私は錦龍の常連客でI氏にくっついて仲間入り。
立食のパーティで、昨日の二日酔いがぶり返し、寝不足もひどい。
二次会の錦龍でギョーザと焼酎を前に、バナナのたたき売りの名人のK氏の一番安いフィリピンのバナナが中国に輸出され、手に入りにくくなったといった話を面白く聞いていると、9時過ぎ。
隣に居たM画伯に「眠い、もう帰る」でお開き。

(夏野菜)
 一晩爆睡でスッキリ。
快晴で暑いくらい。
昼前から、妻と竹田農園に。
トマト、キュウリの苗に近くの竹やぶから細身の竹を10本余り切り出し支柱造り。
例年以上にしっかりした支柱が出来たと自画自賛。
里芋、ヤーコンも昨年のイモを畑に埋めていたのを掘り出し、植えつけ。
気がつくと夕方。
帰宅して、血糖値を測ると88と健康値。
愉快な酒はたらふく、釣りと畑で体を動かし汗をかけば、心も体も健康と実感した3日間でした。
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2008/4/7

2008-04-07 23:49:01 | Weblog
 田舎生活の好きな皆さん、お元気ですか。
昨日の日曜日、サッポロビールしか飲まないという、あまり意味のない目的の会、「黒ラベルの会」の面々で柳川の川下りのバス旅行に出かけました。

(低気圧)
雨が降ると企画オジャンの「柳川の川下りの船で、うなぎのせいろ蒸しを食べる」という企画。
幹事は、小倉室町のラーメン屋錦龍のI氏と私。
週間天気予報は、この日だけ雨の予報。
うなぎは、バスの中で食べるかなど、冴えない話をバス会社と。
しかし、I氏だけは「俺はお天気男だから必ず晴れる」と自信満々。
なんと、旅行前日の朝から天気予報は、柳川日中は晴れの予報。
当日は、青空に映える満開の桜を楽しみながらバスは一路柳川に。
I氏の気迫に押されて接近中の低気圧、半日、臨時停車した様子。

(川下り)
総勢43人で、私が乗った船には、I氏の他に、コーラル丸の川端船長、冒険家のM先生、画家のM氏、工務店のS氏と釣仲間がズラリ。
この日、皆さん5~6本目の缶ビールをお茶代わりに、M画伯の馬鹿話にゲラゲラ笑い、春の澄んだ水面を切って、どんこ舟は、スイスイと掘割を進む。
ウナギも美味い。
春の色とりどりの花が、目に鮮やかで、「来たかいがあったワイ」というところ。
船着き場に上陸、一休みしながら、江藤正翁(もと南海ホークスのエース)と居酒屋のT氏とパチリ(冒頭の写真)。

(俳句会)
バスの中で、俳句会。
日が傾き、最後の目的地の温泉で疲れを取ったところで、審査と発表会。
入選の5点には、景品として、M画伯が短冊に見事な絵を描いて贈呈。
休憩の都度、絵の具と筆を取り出して、真剣に「つくし」「アスパラカス」「野の花」「シイタケ」を明るいタッチで描いてくれる。
景品欲しさもあって、皆さん句を様々にひねる。
私は、筑後川に架かる、重要文化財の昇開橋を見ながら「昇開橋 干潟にのっそり むつごろう」の一句。
なんと、入選、「つくし」の絵をゲットで幸せ気分。

(江藤翁の食事)
夕方遅く小倉にバスは戻り、妻運転の車で江藤翁も加わり3人で帰路に。
江藤翁と毎日の食事の話に。
一人暮らしの江藤翁によると
「レタスと焼き豚にトマト、これにゴマドレッシングをかけたものを、毎日欠かさず食べている。
また、わかめの芽カブのトロロも。」
緑の葉緑素は気分が落ち込むのを防ぐ働き、豚は沖縄の長寿の元、トマトの出来る家には病人は居ないとことわざも。
別に栄養士に聞いたわけでなく、江藤翁の体が自然に要求した模様。
一人で暮らしていると何かと気がめいりそうになることもあるそうだが、いつ会っても気力充実で鷹揚な江藤翁の健康の秘密を垣間見た気分。

(ピッチャー沢村)
同じ車中でピッチャーの沢村を見たことがあるか聞いてみる。
「試合は見たことはない。
一度戦争に出て、戻り野球を一時していたが、その頃、偶然電車の中で見かけたことがある。
フォームがきれいで、威圧感はなかったが、足を高くあげ、若いころは素晴らしいスピードのある球を投げていた。
身長は176センチくらいだったと思う。
元巨人の桑田投手とよく似ていた(雑誌か映画のニュースで見た?)。
このタイプの投手は若い時はスピードあり、球もボール半分微妙に変化して打たれないが、少し年齢が進むとスピードが落ち、フォームがきれいだけに打ちやすい棒玉になってしまう。
年齢は自分より5歳程上だったと思う」とのこと。

 今週末はM画伯の山のアトリエで花見を兼ねてバーベキュー。日曜日はコーラル丸で釣り、夕方、小倉室町でI氏達とバーベキューと遊びの3連投の予定。
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2008/4/1

2008-04-01 23:42:21 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
火曜日の今日は、北九州の若い人の就職支援センターは休んで、竹田農園にバーベキュー。農園の隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース)とビール、カッポ酒、日曜日に釣ったアジを堪能しました。

(20年前のベースボールマガジン社の南海ホークス特集と江藤氏)
江藤氏と焚き火と炭火にあたりながら、農園の林でビールを飲んでいると、
「こんなものを知り合いの毎日新聞の記者が送ってくれた」
と1988年に発行された「さらば南海ホークス」という冊子のコピーを見せてくれる。
阪神と南海と二重契約をしたと、1949年のシーズンを江藤翁が棒に振ったことは、時々耳にしていたが、その詳細を軽妙なタッチの文章で紹介したもの。
詳細は末尾に。ワードで4ページと長いが面白い)

(お守り)
記事の中に、1950年、プロ初勝利の際、ユニフォームのポケットに江藤翁がしのばせていたお守りの記事。
一番最初に聞いてのは、このお守りは本当かと聞くと、江藤翁、表情を変えずに、こんがり炭火で焼きあがった鶏の骨付き肉を食べながら、
「本当。当時は、大阪では商売人は、縁起かつぎで、よく持っていた。私もそうですか、では使わせてもらいますと、もらった」と。

(一人の練習)
1949年は、ペナルティで一年間、南海の選手として練習したと記事にあり、どんな練習をしたのか尋ねると、目を丸くしながら、
「一人でした。当時は、プロ野球の二軍はなかった。
また、練習グランドもなく、球団事務所の近くの空き地、これが、周りを空襲で燃えたガレキの山に囲まれていた。
球団職員に一人、昔野球をやっていた人がおり、この人が元キャッチャーで、昼から出かけて投球練習。
そのあと、いっしょに酒を飲んでいた。
社会人野球チームで南海土建というチームがあり、このチームに加わって投げたこともある。
後で、このチームが南海ホークスの二軍になった。」とのこと。

(アジの塩焼き)
昨日の寒さは峠を越し、温かい春の風。話に花が咲き、気がつくと2時間経過。
金串にさして、遠火の炭火で焼いていた、一昨日釣ったアジ、こんがりと、燻製のように。
食べると脂が乗り、合流した妻の卓球仲間のy夫妻も、「これは美味しいと」。
皆さんで記念写真(冒頭の写真)。

↓ベースボールマガジン社特集「さらば南海ホークス」(1988年出版)より

アマの剛腕、江藤獲得へ阪神と火花
ドラフト制下では考えられない自由獲得競争下の激しい選手争奪戦の例

 都市対抗野球は、昭和63年から東京ドームを使用しているが、この大会は、昭和30年代から都市対抗とは名ばかりの「企業対抗」になってしまったが、それ以前はクラブ組織のチームが多く、しかもプロに入っても投手なら20勝、打者なら3割代が打てる強打者がずいぶんいた。
 23年の都市対抗で優勝投手になった西鉄のアンダーハンド、武末悉昌(大連高商出身)や大洋漁業の本格派右腕投手の江藤正(法大出身)など、プロでもいきなりエースになれる技量を持っていた。
 この年の秋、西鉄の武末は阪神と南海から積極的に勧誘されたが、阪神入りを決意して、同球団と契約するため大阪にやってきた。ところが、それから数時間後に南海と契約をかわした。武末の回想によると、こういうことになる。
「私は阪神と契約するつもりで、球団事務所へ行ったんですよ。ところが事務所には女性の事務員しかおらず、話をしてもさっぱり要領を得ないんで、それでナンバの南海に行った」
 武末を南海に奪われたと錯覚した阪神監督の若林忠志(法大出身)は、南海監督の山本一人(現姓鶴岡)に激しく抗議した。
「若林さん、武末はウチ。江藤は阪神にしましょうや。こんなことで、ガタガタしてもしょうおまへんし・・・」
 山本は若林をなだめる目的もあって、軽い気持ちでいったつもりだったが、若林は、それを真に受けた。
 南海は江藤と仮契約をすませていたが、阪神代表の富樫興一は下関まででかけて、
「南海の山本監督が、江藤君をウチに譲ると約束してくれたので、契約をしにきた」
 といって契約書を江藤の前に置いた。
江藤は驚いた。
「山本監督がいらないというのなら仕方がありません。阪神にお世話になりますが、その前に山本監督に電話をして・・」
 江藤は、山本の了解を取った上で阪神と契約するつもりだった。しかし、富樫に
「私から契約したと伝えておく。だから・・」
とうながされ、江藤は阪神と契約した。だまし討ちである。
 翌日、下関から帰ってきた阪神代表の富樫は、新聞記者に大洋漁業の江藤の入団発表をした。これを耳にした南海の山本は怒った。
 代表の松浦竹松は、ただちに下関の江藤に電話をかけた。
「江藤、おまえは、えらいことしたぞ。二重契約やないか。ウチはおまえを阪神に渡すという約束をした覚えはない。とにかく、すぐ大阪へ出て来い。汽車に乗る時間がわかったらすぐ電話せえ」
松浦も山本も江藤を、どこかへ隠すつもりだった。
江藤が下関を出発した。彼から電話で大阪駅到着時間を知らせてくると、松浦は球団職員全員を集めて、
「ここにいる者で、どうしても抜けられないものはともかく、その他の者は大阪駅へ行ってくれ。江藤が大阪駅に着いたら、無理矢理でもええからタクシーに乗せて連れて来い。阪神にも、江藤が大阪へくることはわかっているはずや。向うも同じことを考えとるやろ。ええか、だから、そのつもりでやってくれ」
と厳しい口調で指示した。
 松浦は、大阪駅頭で南海と阪神による江藤争奪戦が必ず起こると予想していたのだ。
 このころ阪神では、こんな作戦がたてられていた。
「もしも南海に江藤をさらわれるようなことになった場合は、江藤がさげてくるであろうカバンをひったくれ。そうすれば、江藤は、カバンを取り返そうと、こっちにくるはずや」
 二重契約事件は、身柄争奪戦になってきた。大阪・ミナミの南海とキタの阪神の対決は目前にせまっていた。
 ドラフト制の現在ではとうてい考えられない24年早春の出来事である。
 大阪駅前の一帯がヤミ市だった24年早春、駅前で南海、阪神と「二重契約」をしていた大洋漁業の江藤正投手をめぐり両球団が江藤の身柄争奪戦を演じた。両球団とも彼をどこかへ隠そうという作戦だった。
 下関発の汽車で江藤が大阪駅に着き、改札口を出てくると、南海は総動員した球団職員が江藤を取り囲み、待たせてあったタクシーに押し込もうとした。
 後れをとった阪神の球団職員は江藤が下げていた荷物を奪い取った。
「万一、江藤の身柄を確保できなかった場合、荷物を奪え。そうすれば、彼は必ず、荷物をもらいにやってくる。そうすれば、こっちのものだ」
 というのが阪神の作戦だったからだ。
 荷物を奪われて江藤はあわてたが、南海球団職員は、
「そんなもの、どうにでもなるわ。とにかく球団へ・・・」
とタクシーをナンバに走らせた。
南海監督の山本一人(現姓鶴岡)と代表の松浦竹松は、江藤から阪神と契約させられた事情を聴取したあと、球団職員に金を持たせ大津市内へ隠した。
 南海に江藤を奪われた阪神は血眼になって彼を探したが、行く方はつかめなかった。そこで阪神監督の若林忠志と代表の富樫興一は、相談の末に、
「こうなったら、しようがない。ことし一年だけ江藤をウチが使い、来年から南海に渡そう」
という妥協案をつくり、南海に持ち込んだが南海は一蹴した。
 南海が先に江藤と契約。阪神は江藤に「南海の山本監督から譲ってもらうことが決まった」とだまして契約したのだから、南海が、江藤は南海の投手と主張するのは当然のことである。
 南海はやがて阪神を提訴した。阪神もまた南海を連盟に提訴する。
 やがて連盟から裁定が出た。その内容を知った監督の山本は烈火の如く怒った。代表の松浦も同様である。
「江藤は南海ホークスの選手として登録を受理する。ただし、一年間の出場停止とする」
というものだったからだ。
「あれは裏で巨人が動いたとワシは思う。この年の3月、ウチはエースの別所を巨人に分捕られた。このとき連盟は誰が考えても巨人有利の裁定をしているんや。それにまた江藤や。江藤が投げたら武末もいることやし、優勝を狙う巨人からみると、ウチは目の上のコブや。それで、あんなきついことをした」
これは山本がのちに語った話である。
江藤の一年間出場停止処分は、山本一人の構想を潰されて困ったが、それよりも彼はマウンドに立てない江藤がかわいそうでならない。
「あれは、ほんまに悔しいだろう。これからもつらいこともあるやろ。みんなで、江藤を見守ってやらないかん」
山本は選手を集めて、そんなことをいった。
 一年間、江藤は中モズで練習を続けた。山本は、時折姿をみせては彼を励ました。
江藤がマウンドにたったのはプロ野球がセ、パ両リーグに分裂した25年。初勝利をあげたのは4月1日、小倉球場で行われた阪急線。8対4の勝利だった。
 江藤はユニフォームのポケットに「お守り」をしのばせていた。これは大阪・宗右衛門町の美人芸者の「アンダー・ヘア」だった。
「あれはな。ワシが江藤に何とか勝ってもらおうと、知り合いの芸者に抜いてもろうて江藤にもたせたんや」
 山本が教えてくれたエピソードである。
エピローグ(memo)
 のどかな時代。
選手の契約、獲得をめぐっての実話は、びっくりするような内容が多い。
 しかし、大の男たちが大阪駅のど真ん中で、選手の身柄を奪い合ったのはこの江藤氏しかいない。
 いま彼の契約を振り返り、関係者こういっている。
「あれはかつての国鉄ストライキと同じだつた」と。
つまりかつての国鉄ストライキのとき、運転者をめぐり、経営者側と労働者側とが奪い合う。あれを指しているのである。
江藤が26年、24勝をあげてエースにのし上がったあと、鶴岡監督は江藤を連れて、その宗右衛門町の美人を訪れ、「おかけさまで」と礼を言ったという。
大阪駅頭の争奪戦から始って宗右衛門町秘話まで、いまにして思えばのどかな時代だったといえる。
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アジ塩焼き

2008-04-01 23:26:38 | Weblog
4/1日、竹田農園で、農園の隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、第一回オールスターのパリーグ先発)炭火で2時間こんがり焼いた、アジを食べました。うまい。
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