温故知新~温新知故?

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東横線に温泉街、二子玉には読売園…東急線の意外な過去~懐かしい話がいっぱい~

2012-06-08 20:40:04 | その他
この記事懐かしい話がいっぱいだ。
大学時代都立大学に住んでいて東横線で通っていた。また高校時代は渋谷にいて大橋まで時には玉電に乗って通ったこともあった。メインは井の頭線で駒場東大前まで通学だった。
住んでいたのは都立大学駅から15分ぐらい歩いたとこだった。
だから、自由が丘にも、大岡山にも歩いて15分というところだった。
今は、都立大学という大学すらなくなってしまったのに駅名だけは残っているですね。

次回は渋谷についてだそうだ。
高校時代、渋谷の駅からやはり歩いて15分くらいのところに住んでいた。
引っ越したのは、小学4年生の頃だと思ったから1964年くらいかな、そこから中学、高校まで渋谷に住んでいた。
その間、しばらくいつも渋谷駅経由だった。
NHK放送センターに榊原るみ目当てで寄り道したりしたものだ。
そんな渋谷の記事も楽しみ。
東横線に温泉街、二子玉には読売園…東急線の意外な過去  :日本経済新聞
「東京急行電鉄五十年史」によると、1927年(昭和2年)、当時の東京横浜電鉄の直営として「綱島温泉浴場」が開業した。

この地に最初に駅を造ったのは、玉川電気鉄道が運営する路面電車の玉川線。「玉川」という駅で、1907年(明治40年)のことだった。玉川線はもともと多摩川の砂利を東京に運ぶためにできた電車で、渋谷から三軒茶屋を通って玉川まで走っていた。

しかし、肝心の遊園地は戦局悪化で1944年(昭和19年)に一時閉鎖となり、駅名も玉電、大井町線ともども「二子玉川」駅に戻る。かと思えば戦後になって遊園地が復活し、1954年(昭和29年)には再び「二子玉川園」駅に。さらには1985年(昭和60年)に遊園地が今度こそ閉園となり、2000年(平成12年)になって駅名が「二子玉川」に再度戻り、今に至っている。なんともややこしい。

ちなみに、玉川電気鉄道は1938年(昭和13年)に東京横浜電鉄(現・東急)に合併され、玉川線は「東急玉川線」となる。しかしモータリゼーションに伴い道路上では渋滞が慢性化。砂利を運ぶ路面電車の「ジャリ電」は次第に「ジャマ電」などと邪魔者扱いされ、1969年(昭和44年)に廃止された。

都立大学はどうか。開業時は「柿ノ木坂」。その後「府立高等前」「府立高等」「都立高等」を経て1952年に都立大学となった。

 それにしても学芸大は1964年(昭和39年)、都立大は1991年(平成3年)に移転したにもかかわらず、どうして駅名が変わらなかったのか。

■自由が丘駅はもともと九品仏駅だった
スーパーの片隅に、かつてここに自由ケ丘学園があったことを記す碑が建っていた
 東急沿線でも屈指の人気を誇る自由が丘。実は、駅が開業した当初は「九品仏(くほんぶつ)」という名前で、その後「衾(ふすま)」駅に名前が変わる予定だったという。

変化が絶えない東急線。次回は渋谷駅の変遷を追う。