梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

ほんとは凶悪犯…?

2009年09月09日 | 芝居
再び『鈴ケ森』からです。
師匠にとりましては、平成2年5月以来、じつに19年ぶりとなる白井権八。私が歌舞伎に興味を持つ前の上演ですから、その時のことは知る由もないのですが、初役は昭和44年9月。7世尾上梅幸さんに習われたということは、当月の筋書きにも載っておりますし、私も直接お聞きいたしました。

前回までは権八の着付を、“鶸(ひわ)色”にしていらしたのが、今回は黒になりました。
鶸色は、このお役をあたり役とした、江戸の名女形、五代目岩井半四郎の好みが伝わったもので、以来、女形がこの役をお勤めになる場合は鶸色が多く、そうでない場合は黒、というような感じになっておりますが、昨今の記録を拝見しましても、必ずしもそうではないこともありますから、鶸か黒かは、演者の好みということでお考え下さい。

鶸の着付にするときは、襦袢は浅葱縮緬に黒繻子の襟。黒の着付のときは緋縮緬に浅葱繻子の襟。腰から足首までを覆う<紐付>はいずれも緋繻子です。
裾を<東からげ>にしているのは、旅ごしらえという意味ですね。
鬘は前髪、若衆髷ですが、月代(さかやき)の部分の毛が生えた<むしり>になっているところにご注目頂きたいところ。これがために、浪人となり、中国を発ってはるばる江戸へ来た境遇がわかり、ただの前髪の若衆にはない、凄み、強さも出るわけですね。

それにしても、未成年にして大量殺人犯、なのにいい男…。
男伊達、幡随長兵衛も惚れる器量、気っ風。
誰も彼のことは悪くいわない。たとえ足をぶった切られたとしても…。


駕篭ふたつ

2009年09月08日 | 芝居
『鈴ケ森』に出てくる、二つの駕篭をご紹介いたします。

まず、師匠演じる白井権八が乗ってくる<山駕篭>です。
山駕篭は、竹の骨組みに網代の屋根を付けただけのごく簡素なつくりで、名前の通り、山道の往来にぴったりな軽量なものでございます。



そして、播磨屋(吉右衛門)さん演じる幡随長兵衛が乗っているのが<四つ手駕篭>いわゆる“町駕篭”ですね。
竹の骨組みにかわりはありませんが、周囲を畳表で囲っており、担ぎ手が肩に担ぐ“かじ棒”が立派になっていますね。



<四つ手駕篭>の後ろには、客の履物をしまうところがついています。


↑この突起に、履物の鼻緒を引っ掛けるのです。
<山駕篭>にはこういうものはついていないので、担ぎ手が預かって懐中するか、客が自分で持っていたのです。

<四つ手駕篭>を扱う“町駕篭”は、しっかりとした駕篭屋が経営していた(長兵衛の駕篭についている提灯に書かれた「するがや」は、その元締めの屋号だそうです)ので、担ぎ手もある程度の信用を得た者だったようですが、<山駕篭>のほうはと申しますと、この『鈴ケ森』でもそうですが、けっこうアブナい奴らが多かったようで。
宿場宿場にタムロする浮浪の人足<雲助>による、いわばぼったくりタクシーに乗ってしまったのが、権八の災難のはじまりというわけですか…。

駕篭かきの必需品といえば<息杖>ですが、竹の棒の上部には、藁を撚ったもので栓がしてあります。



本当は、この栓を抜きますと節の中に塩が詰まっておりまして、担ぎ手は疲れたときにこの塩を舐めて、体力を回復させていたそうです。(今なら塩キャンディがあるね)先輩から教わりました。

…私、駕篭かきのお役をさせて頂いたことは何度かありますが、実際人を乗せたのは1回だけ。『三人吉三』の大川端、師匠のお坊吉三を乗せて数メートル移動するだけですから、「乗せた」うちにも入らないかな。それでもやっぱり大変でした。肩にかかる重さとか、担ぎ手同士のイキの合わせ方とか…。
こういうお役を得意とされる先輩方が何人もいらっしゃいますが、こういう技術こそ、歌舞伎にとって本当に大切なものなんですよね!


2分間の熱狂

2009年09月07日 | 芝居
『竜馬がゆく』での<ええじゃないか>の群衆も、はや6日目を終えましたが、朝一番の舞台でのテンションの上げ方、あくまでお芝居ですので「皆と合わせて騒ぐ」こと、そしてその騒ぎ方に「暴力的」な部分がないといけないという演出のご指示…。なかなか難しいですね。

<ええじゃないか>は後の世に付けられた呼称だそうで、当時は<おかげ><おかげ祭>、<お下り>などといわれていたとか。
頂いた台本には、ええじゃないかの町人たち」という役名で記載されていましたが、筋書きには「おかげ参りの町人」となっていますね。

江戸時代、周期的に発生した「ブーム」というか「社会現象」ですが、「竜馬がゆく」で描かれる、幕末の町民の熱狂ぶりはすさまじかったようですね。倒幕派が仕掛けた陰謀だという説もあるそうですが、ハテサテ真説は…?
どういうわけにもせよ、抑圧された庶民感情が爆発し、世の中の変革を求める一大ムーブメントとなったということには変わりないようです。

参考までに、今回舞台で唄われている歌詞をご紹介いたします。

ええじゃないか ええじゃないか ええじゃないか
おかげ踊りはお目出度い
今年は世直り ええじゃないか

ええじゃないか ええじゃないか ええじゃないか
江戸や大坂石が降る
ここらあたりは 紙(神)が降る

ええじゃないか ええじゃないか ええじゃないか
お◯◯に紙貼れ ええじゃないか
へげたらまた貼れ ええじゃないか


※一部意図的に表記を変えております。アシカラズ(劇場で確かめてね)。


…最近、やっと三味線弾きながら大声で唄えるようになりました。
今までは撥の方ばっかり気になってしまいまして…。
もっと賑やかになりそうです。どうぞヨロシク。

大南北!

2009年09月05日 | 芝居
当月は昼の部に『時今也桔梗旗揚』,夜の部に『浮世柄比翼稲妻』が上演されておりますが、本年は両作品の作者である「大南北」四世鶴屋南北の没後180年だそうで…。

宝暦5(1755)年から文政12年(1829)までの74年の生涯のうち、劇作に携わったのは52年間。『東海道四谷怪談』『盟三五大切』『桜姫東文章』『天竺徳兵衛韓噺』などなど…奇抜な趣向とリアルな人物描写、からくりや早変わり、仕掛けを駆使した場面展開など、独特のスタイルと味わいをもつ作品は、今でも十二分に観客の心をつかんでおります。

いずれ当月の『桔梗旗揚』『比翼稲妻』のことはお話させて頂きたいと思っておりますが、この偉大なる南北翁の墓所が、我が家から徒歩1分もかからぬ地に祀られているというのが、なんともご縁の深いお話で、ちょくちょくお参りさせて頂いております。

浅草通りと四ツ目通りの交差点のすぐ脇(浅草側)、長養山春慶寺がその場所です。
お寺そのものはビルになっておりますが、南北翁のお墓は、その入り口の脇に、誰でも参拝できるように祀られており、一抱えもないくらいの墓石を囲む石垣は、歌舞伎俳優や興行関係者からの寄進によることがわかります。
由来書きもあり、立派な史跡となっておりますが、戦後のどさくさで、一時は無惨に朽ちかけていたこの墓所を立て直すきっかけをつくったのが、これまた数多くの歌舞伎脚本を残した、劇作家の宇野信夫さんだというのですから、因縁というかなんというか。

氏の随筆集『歌舞伎役者』(青蛙房)の、最後の2編が、南北の墓再建にまつわるエピソードです。氏と、ポマードで固めたオールバックの変わり者住職との、墓を巡るやりとりなど、とても面白いです。(宇野信夫さんの文章はとても素敵ですね。なんというんでしょう、よい日本酒のような香りがします)

皆様も、お近くにお立寄りの際は是非お立ち寄り下さい。
通りを挟んで、建設中の新タワーも見ることができますヨ。






歌舞伎座、隅から隅まで

2009年09月04日 | 芝居
あと二百数十日でお別れとなる歌舞伎座…。
お客様にとっても、役者にとっても名残は尽きませんが、このたび、写真集『歌舞伎座』が上梓されました!
内外のアーティストと、その作品をモチーフに作品を発表し続けていらっしゃる、アートドキュメンタリスト安齊重男氏のカメラが捉えた、歌舞伎座の裏表。
この時を得てこそ実現したアングルと構成が、とっても面白いです!

写真集『歌舞伎座』

著者=安齊重男 編集・発行=松竹株式会社
協力=(社)日本俳優協会  株式会社歌舞伎座

定価2,500円(税込)


歌舞伎座劇場内での販売です。
ご観劇のさいには、何卒お買い求め下さいませ!

私も写ってますからね…。

梅之最初のお役

2009年09月03日 | 芝居
高麗屋(幸四郎)さんの河内山宗俊、師匠の松江出雲守で『河内山』がかかっておりますが、私の<名披露目>のお役が、このお芝居の<近習>でしたので、この演目にはなんとなく思い入れというか、ほかの演目には抱かない感慨がございます。
平成11年の1月歌舞伎座ですから、もう10年前のことですか。ハァァ…。
河内山が本舞台に入ってから、菓子を差し出すお役目でした。
初舞台からは半年以上経っていましたが、<中村梅之>としてのスタートとなる演目、お役ですから、違う意味での緊張がありましたね。

前にもお話したとは思いますが、芸名を頂いて初めての興行では、名題下部屋の先輩方をはじめ、関係各位に御挨拶のお品をお贈りし、初日の名題下部屋では、古参の先輩からお披露目の御挨拶をして頂きます。
これからが修行の始まりですから、浮かれてもいられませんが、やっぱり<特別な日>ですから、嬉しくもあり、また恥ずかしくもあり…。
あの月のこと、今でもありありと思い出せますね…。

さて、当月の『河内山』の近習、10年前も一緒に出ていた左字郎さんが勤めています。
あのころは二人で先輩についてゆく立場でしたが、今回彼は<シン>。つまりリーダーです。
それだけの月日が流れ、それだけの経験を積んできたということでしょうか。
私も頑張ろう!


本日初日です!

2009年09月02日 | 芝居
お陰様で、歌舞伎座<九月大歌舞伎>、無事開幕いたしました。
大勢様のご来場、有り難うございます。

『竜馬がゆく』の「ええじゃないか」も、まずは何事もなく。「暴力的」からさらに進んで、(我々が乗り込んでゆく大店に対して)「悪意をもって」騒ぐように、との開幕前のご指示が、演出の齋藤雅文さんからございました。
慣れてくれば、みんなこれからどんどん突っ込んだ芝居ができると思います。群衆一同、とにかく騒ぎますのでよろしくお願いいたします(お願いされても困りますか…)。

『桔梗旗揚』「馬盥」の腰元も、足が痺れることもなく勤まりましたが、春長と光秀の、緊迫の40分間。そこにいるということは精神的にも疲れますね。こういう場にも、早く馴染むことができるようになりたいものです。

『河内山』や『鈴ケ森』も大過なく仕事ができました。
いずれこの場でいろいろとお話させて頂きたく存じております。
まずは取り急ぎまして、無事初日のご報告でした。

寝覚月稽古場便り・5

2009年09月01日 | 芝居
午前11時より、『竜馬がゆく』2回目の<初日通り舞台稽古>。
ノンストップの<通し稽古>でした。
「ええじゃないか」の群衆は、段取りはだいぶよくなりましたが、はてさて熱狂、喧騒の具合は?
稽古後に、「もっと<暴力的>に騒いでください」とのダメ出しを頂きました。「ええじゃないか」は、庶民による、富裕層へのデモでもあり、暴動とはゆかないまでも、ためこんだ鬱屈をぶっつけるような、激しさが必要なのですね。私は三味線を弾いているので、どこまで暴れられるかはわかりませんが、許される範囲内で色々と試してみたく思います。

夕方『鈴ケ森』の<初日通り舞台稽古>。
はじめて携わる演目ですので、黒衣を勤めるにしましても『河内山』のようにはまいりません。どこかドキドキいたしますね。
おかげさまで大過なく勤まりました。あとは、少しでもきれいに仕事をすることを心がけます。

さあ、いよいよ明日から<九月大歌舞伎>のはじまりです!
どうぞ大勢お出まし下さすよう!