梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

対立の現場にいて

2009年09月11日 | 芝居
昼の部『時今也桔梗旗揚』は、<義太夫が入らない時代物>と申せばよいのでしょうか、何とも表現に苦労する演目です。
ですが、光秀と春長のやり取りの、息詰るような展開、そして先人が作り上げた<型>の魅力、その濃厚さ。浄瑠璃が入っていないということにあとから気がつくような、そんな重量感が、この作品の魅力なのでしょう。

光秀が、そうとは知らず,妻の切髪が入った木箱を開け、オヤと思案し、ハッと気がつくまでの時間。
これが義太夫狂言でしたら、いわゆる<カラ二>が何回か「トーン」と入るところでしょう。それがこの芝居では全くの無音の時間となります。この時間の濃密さ…!
お客様の視線、気持ちが、グングン光秀に集まってゆくのが、腰元役として舞台に居並んでおりましても感ぜられます。

無音の魅力の一方で、下座音楽の力も負けてはいません。
演技に付随して、要所要所で場の空気をグッと締める大太鼓や鐘。
歌舞伎ってスゴいなあと思います。ただのBGMでも効果音でもない、まさに役の気持ち、お芝居の展開そのものが、音で表現されるのですからね…。

40分近い正座の行は確かに辛いですが、こういう場面に出られたことは有難い!
4月の『先代萩』と同じく、ピンと張りつめた空気に身を置くということ。勉強というか、“修行”ですね、まさしく。
<腰元>役は本当に難しいです…。