梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

初めて観たのは天王寺屋さんの紅長でしたなァ…(16年前)

2009年09月16日 | 芝居
夜の部『松竹梅湯島掛額』の「お土砂」の場は、戸板康二氏も「いかにものんきな時代の、ドタバタ喜劇」と述べておられますが、歌舞伎には珍しい、全編が笑いと洒落でまぶされた作品です。
それを大真面目に、真剣にやるからこその、「大人の芝居」なのですが、楽屋落ちがあったり、時事ネタがあったり、アドリブがポンと入ったりと、台本どおりにならないところの面白さも、御覧下さる皆様におかれましてはお楽しみの一つかと存じます。

私も、平成10年11月の松竹座で、今回と同じく播磨屋(吉右衛門)さんの紅長によりますこの演目に、捕手の役で出演させて頂きましたが、まだ芸名も頂いていない頃ですので、お稽古の時点で笑いがまきおこるような,良い意味での<ゆるさ>がある雰囲気に、ちょっと驚くと同時に、毎日楽しんで勤めさせて頂いた記憶がございます。

中盤で捕手一同が「お七はどこじゃ,お七はどこじゃ」と、下座に合わせて囃しながら探しまわるくだりがございますね。
捕手のひとりが、結局お七がいないと報告するときに、ギャグと申しましょうか洒落と申しましょうか、面白オカシイことをいうのが決まりでして、当月も先輩がなすっておいでですが、私のときなどは、お笑いの本場大阪での上演で、俄然捕手一同の意欲がわいたのでしょうか、ほぼ日替わりのネタでやったような…。
先輩が「銭形平次」のテーマをひとくさり唄って(私はコーラス)、『七はいないがハチはいる』みたいなことを言ったりね…。(文で書くと面白くないネ)

その他、お櫃のご飯で喉を詰まらす坊さんが“くいだおれ人形”に変身したり、「551の蓬莱が食べたい」とか当て込みの台詞があったり、吉本のギャクをやったり。
アイディア次第でいろいろできる作品は数少ないですから、凝り性の方は腕の見せ所!?

…お七の母、おたけは、亡くなられた紀伊国屋(宗十郎)さんでした。
お稽古のときに、我々の捕手のくだりを御覧になって、
「自分が若い頃のこの芝居で、捕手がお七を探す動きを、わざと<ナンバ>にしていたのが、ギクシャクした感じがあってとても面白かった」と教えて下さいましたのを、今でも思い出します…。

紀伊国屋さんは、千穐楽にはご自分も女亡者になって早桶に入ったのですよ!