梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

<遠見>の意味もうひとつ

2007年10月14日 | 芝居
さて『平家女護島 鬼界ヶ島の場』で<浪遠見>が使われないワケですが、これも劇中の演出と重要な関わりがございます。
俊寛とともに鬼界ヶ島に流された、丹波少将成経が、島の娘の千鳥と恋仲になったことを喜び、祝言をあげさせたところで、沖の彼方に見えた一艘の船。これが都からの迎えの船だと確信した一同は、大喜びで迎えます。
ここで舞台はいったん無人の<空(から)舞台>となり、チンチリトチチリ…の旋律が印象的な<千鳥の合方>になりまして、舞台後方の海を、船が横断する様を見せるのですが、これが<遠見>のもう一つの意味、「実物よりグッと小さいものを使って遠近感を出す」という手法が使われるのです。

全長2尺ほどの模型の船を、昨日ご説明いたしました<浪の並べ>の裏で人力(多くは俊寛役者のお弟子さん)によって動かし、遠く沖合を船が進む様を見せるわけで、この演出を見せるために、浪の裏を人が行き来ができるようにせねばならず、したがって空も海も一緒に描いた<浪遠見>の書割りが使えないというわけですね。

この小さい船が数分後には実際に人を何人も乗せられる丸ものの船になって上手から登場いたしますから、その対比が見せる距離感は抜群でございましょう。
実に原始的な手法ではございますが、それが古風な趣きとなり、このような時代物のお芝居には丁度よいのだと思います。

こうした意味での<遠見>で、本物より寸法を小さくするのはなにもモノにかぎりません。人間ですら小さくしてしまうこともございます。
『恋飛脚大和往来 新口村』で、追っ手を逃れてゆく忠兵衛と梅川の姿を、途中からそっくり同じ姿の<子役>で表現し、と奥に去っていったことを表す型があるのもその代表例。同じ手法は『一谷嫩軍記 組打』での熊谷直実と平敦盛、『ひらかな盛衰記 逆艪』の樋口兼光でも見られ、本役同様の扮装の子役の演技で<遠方にいる>ことを表現しております。
また、これは厳密にいえば<遠見>ではいないのかもしれませんが、『忠臣蔵八段目 道行旅路嫁入』で、戸無瀬と小浪母子が遠く眺める大名行列はみんな絵に描いたパネル状のもの。やはり人力で(数名がかりで)動かします。これも、奥行きのない舞台で距離感を表すための大きな工夫ですよね。

小さいとはいえなかなかしっかりした作りです。せっかくですので御覧下さいませ。船底についているのは、ドンブラコドンブラコと動かすときに、<浪の並べ>から少々離れてしまってもおかしく見えないようにするための<浪布>です。