梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

山蔭に 哀れ流人の 石の塔  

2007年10月05日 | 芝居
今月『平家女護島』で、高麗屋(幸四郎)さんがお勤めになっている<俊寛僧都>。1143?~1179年の実在の人物でございますが、僧職にありながら平家打倒ための<鹿ヶ谷の密議>に加担したのは、後白河院の側近であったことや村上源氏の出身であったためでしょうか。『平家物語』『源平盛衰記』に、その顛末は語られておりますので、ここでは省略させて頂きますが、絶海の孤島での日々、身中は如何ばかりでしたでしょう。

私、俊寛様のお墓にお参りしたことがございます。
といってはるばる鬼界ヶ島まで行ったわけではなく、山口県の長門、湯本ホテル「大谷山荘」のすぐ近くに、その名も<俊寛山>という小山があり、その山頂に俊寛の墓と伝えられる石塔があるのです(写真参照)。
現地の由来書きによると、鬼界ヶ島で俊寛が死去した後、家来であった亀王が島を訪れ遺骨を拾い、京都へ戻し埋葬しようとの帰路の途中、この長門において急に遺骨が重くなり、運ぶことができなくなった。そのため亀王は遺骨をそのまま埋葬した…とあります。

『平家物語』では、亀王の弟、有王丸が、俊寛の最期を看取り遺骨を高野へ納めたとなっておりますが、まあ伝説は登場人物も筋もコロコロかわりますので…。
私は平成12年3月の<近松座>巡業で長門を訪れ、このお墓に詣でることができたのですが、芝居でお馴染みの人とは申せ、約800年も昔の歴史的人物が、こうして今も祀られていることに感動いたしました。
御覧の通り本当に小さな石塔ですが、それがまた、流人の哀れを伝えているような…。

隣にいる7年前の私のことは無視して下さい。