最近、山仲間を立て続けに二人亡くした。毎年何人か見送っている。亡くなった人がお年寄りならそんなこともあり得るが、みんな30台か40台。きっと普通の社会生活をおくっている人にはありえないことだろうと思う。でも、何か危険なことにチャレンジしている仲間とつながっていると、こういうことは普通に起こる。毎年何人かが山で亡くなっていくのだ。
こんな時、山仲間の中にも気持ちが落ち込んで、ふさぎ込んだり、感傷的な言葉を連ねる人がいる。でも、私はそうではありたくない。亡くなった彼らは、ほかの人にはなかなかできないチャレンジをして生きてきた者だから、ほかの人の何倍もの濃密な人生を送ってきたように思える。
残された親族にとっては、割り切れない気持ちがあるだろうこともわかる。でも本人が素晴らしい人生を送ってきたということも理解してほしい。自分勝手かもしれない。周りの人に迷惑をかけてきたかもしれない。でもあなたの子供は、あなたの夫は、あなたの妻は、あなたのお父さんは、あなたのお母さんは・・・。自分勝手だったかもしれないけど、でも、あなたが自慢をしてもいい人だったとおもうのです。山に登ることにどんな価値があるの?と問われれば応えられません。でも、困難にチャレンジしていること、それも命を懸けてチャレンジしている人ってそんなに多くはないのだとおもいます。そんなことにチャレンジしてきた人を誇りに思ってもいいんじゃないでしょうか。
今回、お葬式に行ってきました。盛大でした。良かったと思います。もし私が山で死んだとしたら、やっぱりみんなに涙を流してもらうより、仲間には思い出を語り合って送り出してほしいと思うのです。最後まで「みんな山の友達」であってほしい。これをマイナスに取らえてほしくない。自分が少しでも、残されたものに影響が与えられるなら受け継いでいってほしいと思うから。
もし、自分が山で死んだら、仲間には「いつまでもうじうじしてないで、俺が出来なかったことをやってくれ。」と言いたいと思います。