Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

北海道 今年も悪天

2012-03-28 00:56:58 | 山スキー

毎年恒例の北海道スキーツアー。今年は余市岳を目指しましたが、悪天候のため断念しました。キロロスキー場でゲレンデ(脇)スキーでお茶を濁してきました。今年は月稜会のボクリンが一緒に行きました。

 

ゲレンデ(脇)パウダーをおなかいっぱい食べるボクリン。

 

スキー終了!こんなに雪が降ってきちゃいました。

余市岳は来年登ろう。

 

今年も札幌の大学時代の友人とジンギスカン。1年分食べてきました。これで目的の半分は達成したので「よし」としよう。


1日フル活動でした。

2012-03-21 00:55:03 | 日常

3月20日、今朝は早起きして仕事を始めました。私がYMCAに入職して初めて配属された「横浜西YMCA」が30周年を経て閉館になるのです。その感謝祭に出席するためです。

早めに家を出て、大池自然公園を歩き、横浜西YMCAに向かいました。

休日で公園は家族連れでにぎわっていましたが、天気も良くほのぼのとしています。

 

梅の花も見頃。

 

横浜西YMCAに勤務していたのは30年近い昔のことで、良く利用していたこの公園も、今日見てみるとあまり記憶をたどって歩けません。こんなに大きな公園だったのか。横浜西YMCAでは本当に懐かしい顔ぶれに出合ってうれしかった。でも、顔は覚えているのに名前が出てこない。失礼してしまました。感謝礼拝が終わって、自宅に帰らなくてはならなかったので、懇親会には出席できず残念でした。

自宅に帰り仕事をしてから、夜は月稜会のメンバー数人が集まりました。名古屋に赴任しているこぞーくんが東京に戻ってきている機会に教えてほしいことがあったので、大崎に来てもらいました。そこにメンバー4人が加わりました。

あわただしい1日でしたが、こんな日が4月初めまで続く予定です。

 


BIG ROCKルート変更

2012-03-19 22:49:20 | フリークライミング

3月19日、今日はBIG ROCKのルート変更を手伝ってきました。今回は4番のメイン壁。11台が充実してますが、皆作業でくたくただったため、値踏みがいい加減かも。わしは5.11a(茶V)、5.11b(緑■)、5.11c(赤V)、5.11d(緑×)の4本を設定してきました。写真は新スタッフまっちです!

よろぴく!


梅の花

2012-03-17 01:09:18 | 日常

家の鉢植えの梅の花がやっと咲きました。いつも2月上旬には咲いているのですが、今年は1カ月遅れです。でもこれからいろいろな花が次々と咲き始め、やっと春が来たなあと感じる季節です。


被災に強い人

2012-03-16 01:16:55 | 災害ボランティア クライマー派遣

昨年、教会の付属幼稚園の保護者に、被災地でのボランティア活動についてお話をさせていただいたことがありました。その時に私が最後に伝えたかったことは「被災に強い人になってください」ということでした。それはおりしも東京都知事選の真っただ中。候補者は「被災に強い東京」を訴えていました。被災を受けて悲惨なのは、町がめちゃくちゃになること以上に、被災者の心がめちゃくちゃになることです。しかし中にはどんな状況でも動じない人もいるのです。どっしりと構えて、現実を受け入れている。当時私は聖書の「ヨブ記」を繰り返して読んでみました。被災者に「ヨブのようになれ」等とは決して言えませんでしたが、被災しても動じないというのは、ヨブのような人だからだと思うのです。今日「キリスト品川教会」の牧師先生から、教会員あてのメールが届きました。その中の一文です。

 

「昔、新潟で地震と津波があった時に、良寛

というお坊さんが、こう言ったそうです。

 

地震が来たら、揺れればよい。

津波が来たら、呑まれればよい。

 

実際に津波の恐怖を経験した人に、こんなことを言えば、石を投げられるかも知

れないけれど、石を投げられても、これを言うのが信仰者だろう、とい うのです。

 

ハイデルベルク信仰問答の中に 「・・雨も日照りも、実り豊かな年も、実らぬ

年も、・・・健康も病気も、富も貧しさも、偶然からではなく、父とし てのみ

手によって、われわれに、来るのであります」という言葉があります。

当然、地震も津波も、その中に入るでしょう。そして 「万事が益となるように

共に働く」(ローマ8:28)と信じるのです。

 

それが、わたしたちの信仰です。

 

でも、そうなったのは、主イエスの十字架によって、わたしたちの罪が赦された

からです。十字架以前には、日照りや病気は、絶望をもたらすものに過 ぎな

かった。でも十字架があったから、それらも益となると信じることができるよう

になったのです。

 

もちろん、日照りはない方がよい、病気も地震も津波も、ない方がよいし、被害

を避けるために、最善の努力をするけれども、でも、努力してだめだっ たら絶

望か、というと、決してそうではない。だから、良寛さまよりも深い確信をもっ

て 「津波が来たら、呑まれればよい」と言える。

 

そういう信仰に、わたしたちは主イエスによって導かれました。

悲しみも苦しみも、いやなことも、わたしたちには、たくさんあります。

でも、絶望はありません。神さまを信じるからです。

 

だから主イエスは、あなたがたに この世とは違う、わたしの平安を与える、と

言われたのです。」

 

実際に去年のような大地震が襲ってきたら平静でいられるかはわかりませんが、きっと信仰が現実を受け入れさせてくれると思います。

私が幼稚園の保護者の方に「被災に強い人になってください」と伝えた後、「どうしたらそうなれるのかは、牧師先生に聴くのがよいと思います」と言ったのは、このことでした。実際震災の後、その中で神様の恵みを沢山いただいているという実感があるのです。


宮古に行ってきました。

2012-03-14 01:21:41 | 災害ボランティア クライマー派遣

3月11日。宮古に行ってきました。

大震災から丸1年がたちました。山の仲間と「被災地にクライマーを送る会」を立ち上げ、盛岡YMCA宮古ボランティアセンターの活動に参加し続けてきましたが、本当にいろいろなことがありました。今回現地に行ってみて、この一年の様々な出来事が次々と思いだされました。

震災直後に「何から手をつけてよいやら」という状態の中で、精神的にもつらかった第1陣から第3陣までのメンバー。

活動も軌道に乗ってきたゴールデンウィーク。大勢のボランティアが押し寄せ、調整作業がパニックになった。「山屋の我々は、もっと厳しい環境の中に拠点を移すべきだ」という声が起こり、急きょ現地を訪れ、「それでも最後まで宮古を見届けよう」と決断して帰って来た。

街中は片付き始めた一方、避難所や仮設住宅でのメンタルケアーが課題になる中、力仕事が減ってくると活動に対する充実感が失われ、消化不良で帰ってくるメンバーが出てきた。急きょ現地に赴き、現状視察やセンターとの打ち合わせ。在京メンバーともう一度活動の方針や体制を理解するためのミーティングを行った。この時期に、何とこの私が「過敏性大腸炎」に苦しめられた。

夏が過ぎ、被災地ではボランティアが減ってきても、我々のメンバーは宮古に通い続けた。現地のイベントや東京でのイベントにも参加し続け、冬になると宮古の小学生の為のスキーキャンプなども手伝った。

このようなYMCAのボランティア活動が、宮古の地域住民の方々に感謝されていることはうれしいが、それよりも宮古の方々と本当に友達になれていることを感じられることがうれしい。これは「してあげる」「してもらう」という関係ではなく、両者対等の関係だ。こういった活動で一番得るものがあるのは、結果的にはボランティア本人であることは初めからわかっていたことではある。私も多くのものを得ることが出来たその中の一人だ。

3月11日の当日は、朝一の新幹線で盛岡に行き、レンタカーで宮古へ。キリスト教団宮古教会で主日礼拝を守る。

更地になったままのところは多いが、町の中は本当にきれいになった。

 

午後は赤前小学校で行われた慰霊祭に参加。

韓国から来てくれた歌手のコンサート、慰霊式典、子供たちの合唱と作文発表。

子供たちの合唱と作文には泣けた。

 

蝋燭に慰霊の灯が灯され、花が捧げられた。地震が起きた2時46分。

 

慰霊祭が終わるとYMCAやほかのボランティア団体が、体育館で軽食をふるまう。

1年間センター長を務め、今日が最後のI氏も仮設の方々に囲まれている。

 

ボランティアがお世話になった銭湯「福島湯」。震災直後は無料で店を解放した。

同業者として頭が下がる。

 

「被災地にクライマーを送る会」は、これからも引き続き宮古に通わせていただきます。