Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

ゴールデンウェーク以降のボランティア募集

2011-04-28 01:40:37 | 災害ボランティア クライマー派遣

「被災地へクライマーを送る会」では、ゴールデンウェーク明けのボランティアを募集しています。特に2回目の方は是非考えてみてください。もちろん初めての方もご連絡ください。このブログに書き込んでくださっても結構です。

今、ゴールデンウェークを迎えようとしていますが、この期間はボランティア拠点のキャパシティーがいっぱいです。多分ほかの拠点も同じような状態ではないでしょうか。被災地では確かに働き手は欲しいのでしょうが、それを取り仕切るマネージメント機能も足りなくなってしまうのです。要するに仕事を受け付け、人を割り振る作業ですが、あまりにもボランティアの人数が増えすぎると、その機能が果たせなくなってしまうのです。

すでにゴールデンウェーク中にボランティアに行くことが決まっている方はご注意ください。自分は本当は何をしに行くのか、もう一度考えてください。「被災地を見たい」とか、漠然と「ボランティアというものをやってみたい」というのでは、コーディネーターを困らせるだけになってしまいます。自分はどんな被災を受けている場所に行くのか、現地の活動がどういうものか把握して、出来るだけ被災者の気持ちを理解し、こころの準備をしていくことが必要です。

中には被災者の心の中をめちゃくちゃに掻きまわしてきたり、コーディネーターに大きな負担をかけてきたりしてしまうボランティアもいます。そうならないように事前の情報をよく聞いてから行きましょう。私もたくさんのボランティアを送らせていただきました。やってみてわかったのですが、なかなかひとりひとりに詳しい情報を提供するのは難しいです。しかも良く伝えたつもりでも、現地に行って体験してみないと理解出来ないことも多いようです。ですから、何か不安があれば、遠慮なく人に聞くことが大切です。そして自分で考えて、自分の「善意」で参加してください。


軽トラ、商用ワンボックス車、貸してください!

2011-04-27 01:07:46 | 災害ボランティア クライマー派遣

今日、宮古のボランティア拠点から要請がありました。

今、宮古では被災した家の取り壊し、引っ越しが始まり、ボランティアたちはそのお手伝いに奔走しているそうです。しかし、荷物を積む軽トラや商用ワンボックス車がありません。

これからゴールデンウェークを迎え、宮古の拠点では人はたくさんいます。でもその人たちに有効に働いてもらうためにも、ゴールデンウェーク中だけ貸していただける軽トラ、商用ワンボックス車が必要です。車の貸出しも立派なボランティアです。是非ご連絡ください!

chimney@life-jp.net

 


瑞牆 北の沢右岩スラブ

2011-04-26 14:04:43 | フリークライミング

4月25日、瑞牆山北の沢右岸スラブに行って来ました。

ボランティアのことで頭がいっぱいのわしは、あまり山モード、クライミングモードにならないのだが、でも気持ちと頭をリセットするためにもクライミングや山が必要。その辺をよく理解してくれている月稜のみじかいさんとSZKが誘ってくれました。わしは計画をみじかいさんに任せて、気楽についていくだけ。みじかいさんは瑞牆を計画してくれました。

この日、瑞牆の森の駐車場はわしらだけ。この時期にこんなことって、最近では珍しいです。

今日は非常に寒い一日でした。雪なんか降ってきちゃったりして。

写真は「スリーダイク」5.11bを登るわしです。

スラブ壁は出だしが苔で緑色になっていましたが、きれいに掃除してきました。

「虹を追いかけて」5.9の出だしから10mくらいボルトがありませんでしたが、1本打ちました。

カムを決められるフレーク状の岩が、たたくとパカパカ音がするのです。

カムにテンションをかけたら岩がはがれそうな感じなもので、ボルトになりました。

 

早めに大崎に戻り、ボランティアから帰って来たりかちゃんを呼び出し、いろいろと話を聞くこともできました。

彼女は宮古でとっても頑張ってきました。


だって、クライマーだもん・・・

2011-04-24 01:12:13 | 山とクライミングの話

今日はBIG ROCKに行ってきました。先週宮古に被災地の視察に行ったときには、岩手県内で200mの石灰岩の岩壁をみつけてきました。震災からちょうど1ヶ月の日には宝剣岳に行ってました。ボランティア第2陣が宮古で活躍している間に、ニセコへスキーに行ってきました。

「被災地にクライマーを送る会」の活動を初め(3月21日)、もう1ヶ月になりました。その間、名簿上で60名ほどのボランティアが活動し、この後10名ほどの出動が決まっています。

さて、このボランティアたちは、私がこの間スキーやクライミングをしていることを許してくれるでしょうか。「おれたちが泥まみれになって働いているときに、そんなことしてるなんてけしからん!」と思うかもしれません。

私の立場を正当化するつもりはありません。でも皆もボランティアから帰ったら、心おきなくクライミングをしてほしいのです。だれをはばかることなくクライミングをしてほしい。そして気持ちをリセットしてから、また宮古に行こうじゃありませんか。だってわしらはクライマーなんだもの。わしもクライマーだから「被災地にクライマーを送る会」なんてのをやってるんだ。クライマーじゃなくなったらやらないよ。クライミングを継続しながらボランティアもするんだ。

今つくづく思う。ああ、自分はクライマーでよかったなって。人の役には何にもならないと思っていたクライマーが、こんな時に集結して、「被災地の為に何かしたい」と頑張ってるんだもの。わしはこの人たちと同じ人種だと思うとうれしくなってくる。宮古にクライマーが結集するってのは、そこに集結したクライマーにとって、「クライマー」としての収穫もあるはずだ。わしはそれも願っているのです。


見慣れてしまった光景

2011-04-23 01:03:26 | 災害ボランティア クライマー派遣

テレビのニュースで、被災地から遠く離れた我々も、このような光景は何度も見せつけられています。

この期に及んでびっくりする人はいなくなってしまったかもしれません。

 

でも、消防自動車がこんなになっていたりすると、津波が襲いかかるぎりぎりの時まで、

消防士たちはどうしていたんだろうか、と考えてしまいます。

私も瓦礫の中を歩いてきました。

多分中学生が下げていたエナメルかばんがありました。

津波が襲ったのはちょうど学校からの帰宅時間。

このかばんを下げていた中学生はどうなったんだろうか、と考えてしまいます。

 

テレビではなかなかこういうところまで伝わらない。

現地で被災者に接してみると、全く遠く離れた者には伝わってこないこともあることに気付きます。

それを知るためだけに、むやみに現地に近付くことは避けたいですが、

ボランティアが、たとえ小さなことしか出来なくても、

こういうことに気付くことは、それだけでも意味のあることだと思います。

 

「何もできなかった」と落胆して帰ってくるボランティアがいます。

でもそれは仕方ない。

だって相手がでかすぎるんだもの。

それより行かなかったらわからなかったことが沢山あったんじゃないか?

 

わしのブログが「Climbing」ではなくなってきた。

そろそろ本来の姿に戻したい。そこで「被災地にクライマーを送る会」のブログをリンクします。

そちらもどうぞ、見てください。


ゴールデンウェークのボランティア

2011-04-21 22:07:17 | 災害ボランティア クライマー派遣

今日YMCAから連絡がありました。ゴールデンウェークはボランティアラッシュが予想され、拠点の物理的なキャパシティーが心配であるとのこと。

そこで、「被災地にクライマーを送る会」では、すでに参加表明されている方を除いて、ゴールデンウェーク中の派遣はしないことに決めました。ただし、2度目または3度目で、コーディネーターのアシスタントができる方は検討の余地があると考えています。

参加を考えていた方は、ぜひみを後ろにずらして、ゴールデンウェーク明けにお願いします。

 

宮古には大変有名な「浄土ヶ浜」という観光スポットがあります。

学生時代、徒歩で「三陸海岸野宿の旅」をしたことがあり、この砂浜で野宿をした思い出があります。

こうしてみると、今も変わらず美しい景色のように見えます。

 

ところが一歩下がると、フレームに瓦礫の山が写りこんでしまうのです。

私は、こういうところのお掃除も手伝えないかと視察してきたのですが、

瓦礫は一か所に集められていて、すでに手が入っているようでした。

観光客らしき人もちらほらと来ていましたが、皆、駐車場まで来て帰ってしまい、

浜に降りたのは私一人でした。

またここにたくさんの観光客がやってくる日が、早く来ればいいのですが。


ボランティアの実態

2011-04-21 00:52:12 | 災害ボランティア クライマー派遣

朝、昼、晩の食後はミーティングです。それぞれが集めてきた情報を集約して、作業の計画を立てます。

休憩時間にはバカ話で盛り上がっている山仲間も、この時は人が変わったように真剣です。

 

大工でクライマーのエッチー。地元の方々に大人気でした。

そして大活躍。

床下にヘドロが流れ込み、ほおっておくと腐ってしまう床板をはがしていきます。

そしてほかの隊員がヘドロを除去します。

 

一日の作業を終えた隊員は、朝陽が上がるまで、ぐっすりと寝ています。

また一日が始まります。


現地を視察してきました

2011-04-20 02:02:59 | 災害ボランティア クライマー派遣

4月17日と18日の二日間、短い時間でしたが現地視察をしてきました。きょうから少しづつ様子をアップしていきます。

視察の目的は、「被災地にクライマーを送る会」の今後の方針を見極めるためでした。そのために被災地の現状把握、作業の体験、参加ボランティアとの交流、周辺の観光資源の現状把握をしてきました。

 

被災地に咲いた水仙の花

被災した3月11日、きっとこの花は民家の庭で花開く時を待っていたのでしょう。

家が流された後の庭に花を咲かせました。

この家の主は、今どうしているのでしょうか。

避難所で生活しているのか。無事だったのでしょうか。

この水仙の花が、また主のもとで花を咲かせる時が来るように祈っています。

 

我々「被災地にクライマーを送る会」の拠点、「YMCAボランティアセンター」は、

宮古市内の「日本キリスト教団 宮古教会」にあります。

今はガス、水道、電気等のライフラインも整っていて生活に不自由はありません。

この教会の裏手は津波の影響も小さく、銭湯にも入れるし、買い出しも自由にできます。

 

これからこの拠点では、岩手大学の学生など、一般ボランティアを受け入れていく段階を迎えています。そうなると我々「被災地にクライマーを送る会」としては、2度目、3度目の参加者を送り、YMCAのコーディネーターを補佐していかなくてはなりません。今までの参加者も、地元の人と向き合い、絆を深めてきています。

このことを確認できたことにより、一つの迷いが消えました。「宮古の拠点を出て、新たな拠点を立ち上げるべきか」という迷い。それは消えました。

宮古にある今の拠点をしっかり固めること。それをしなければ新たな局面は生まれない。またパッと来て無責任に去っていくようなことは、この地で真剣に人と向き合ってきたボランティアは望んでいないだろう。最後までこの地の将来を見守っていきたい。


被災地ボランティアとしてのクライマー

2011-04-16 00:42:49 | 災害ボランティア クライマー派遣

「被災地にクライマーを送る会」の活動を始めて、もうすぐ1カ月になる。今、振り返ってみて「被災地ボランティアとしてのクライマー」の特徴、または強みとは何かを考える。

まずは自活力があること。何処でも寝れて生活できる。これは受け入れ側としては非常に重要なポイントだ。受け入れ側としては、せっかく来てもらっても、ボランティアの生活のお世話までしなくてはならないとなると、かえって面倒なのである。

次に問題解決能力があること。普段から山屋は、目の前に立ちはだかる問題を解決しながら山に登っている。しかも自分の力で、もしくは仲間と協力して。こういうことができるというのは、何もかも初めての被災地で十分に生かされるに違いない。しかも山屋は、「どこどこに行ってくれ」といえば、自分でそこまで行ってくれる。いちいち携帯で場所を教えなくても、自分でたどり着いてくれるのだ。これも現地に迷惑をかけない重要な要素だ。

団結力があること。被災地で初めて顔を合わせたメンバーでも、「おれたちはクライマーだ」という共通の意識がある。だから団結しやすい。共通の言葉を持っているのだ。まあ、個性の強い奴が多いので、送り出す側としては心配の種は尽きないけれど、今までを見ていると、本物の山屋は相手の個性を受け入れるだけのキャパシティーがあるのか、おおらかなのか、すぐに協力体制が築けるようだ。

精神的に強い。たいてい1週間も被災地という非日常的な現場で過すと、精神的に過敏になってしまうことが多い。でも山屋はそんな中でも生活自体を楽しむことができる。これは非常に大切な要素だ。全ての山屋がそうだとは言い切れないが、免疫が蓄積されているので、一般人より相当強い。ただ楽しみすぎて羽目を外さないかが心配ではある。


宮古、難しい局面

2011-04-15 01:17:59 | 災害ボランティア クライマー派遣

宮古にクライマーがボランティアに入り、3週間が経過した。すでに述べ30名ほどのクライマーが現地に入り活動してきた。初めの段階では地元に溶け込み、信頼を勝ち取るための地道な作業。そしてきつい肉体労働。それが実を結び、比較的快適な拠点の環境が築きあげられ、被災者からも信頼され、さまざまな仕事の依頼が来るようになっているようだ。ここにきて岩手県内陸部の学生などのボランティアが入り始めている。しかしまだ彼らには荷が重いようだ。彼らは日帰りでやってくるそうだが、それでは十分な仕事をするのは無理かもしれない。しかし、何とか地元の非被災者や一般ボランティアにこの地を引き継いで行かなくてはならない。そしてクライマー・山屋はあるべき場所に立たなくてはならないと考える。

わしは今度の日曜日と月曜日で現地を見てくる予定だ。電話やメールでは伝わらないことがある。現地に行かないコーディネーターなんてのもおかしな話だ。二日間フル活動で視察してきます。

実は宮古という土地は、わしの学生時代の良い思い出の地でもある。

30年も前、学生時代の夏休みに久慈から宮古まで、野宿しながらひとりで歩いたことがある。小本から田老港まで歩いていた夕方、後ろから若いアベックが車でやってきた。「どこまでいく?乗せてってやろうか?」「いや、歩きに来たんだから歩いて行く。この先に屋根のあるバス停はある?」「田老港まで行くとあるよ」ってな会話だった。屋根のあるバス停で野宿していると、さっきの彼らとほかにも仲間が酒やつまみを持ってやってきた。楽しい夜だった。(彼らは無事なのだろうか) 次の日は浄土ヶ浜まで歩き、砂浜で野宿をした。宮古では「蛇の目寿司」という名前だったか、うまい寿司を安く食べられた。漁港ではホタテを焼いてもらって食べた。そのころ付き合っていた彼女が一の関に、夏休みで帰っていた。実家に1泊させてもらったが、夏休みが終わってすぐに振られた。なんだか甘酸っぱい夏休みだった。

さて現実に戻り、今日の一日。風呂屋の夜は遅い。仕事は、短縮営業中とはいえ、仕事が終わるのは夜中の1時過ぎ。それからメールのチェック、ボランティア参加者のリスト更新、スケジューリング。3時に寝る。朝7時半に携帯が鳴り、起こされる。ボランティア参加者希望者からだ。すぐに参加者名簿の作成。それを本部のYMCAに送る。店(風呂屋)の準備をしながら、ボランティアとのメールや電話に対応。昼ごろには浴場組合の仕事で大井町まで行き、資料作成と役所への資料提出。帰って来て店を開け、夕飯を食べた後は犬の散歩。それからその間に来たボランティア希望者のメールに基づき、リストを作成。それとともにエクセルの表をを使いやすく直す作業。夜中に店番をして12時に店を閉めた。

このところ、携帯の着信履歴が昨日の分が残らない。今度の請求書が怖い。こんな生活がいつまで続くのか・・・。でも被災者も「こんな生活がいつまで続くのか」と思っているはずだ。わしがくじけている場合ではない。現地で汗水流している仲間もいるのだ。

明日もがんばろう。