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Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

被災地にクライマーを送る会 派遣要綱 4/30

2024-04-30 14:58:28 | 災害ボランティア クライマー派遣
(実際に母連ティアに参加した、共同代表者の広川健太郎さんがまとめてくださいました。)

           ボランティア参加にあたっての事前準備と手続き事項など
NO 事前手続き 相手先 確認ポイント・情報
0-1 派遣要綱(角屋さん作成) ネット  参加にあたっての要綱     0-1 URL
0-2 グループFB確認 ネット 参加状況、情報交換内容の確認 0-2
1-1 参加連絡1 参加者→角屋さん
送る会→YMCA同盟
送る会→現地社協 角屋さん
同盟有田さん 携帯 09024990246(1週間前を目処に早めに)
 ↓災害ボラ参加連絡の際はYMCAからと伝える
能登社協08078421442輪島社協08013322483
1-2 参加連絡2 輪島現地富山YMCA 富山Y竹中さん 携帯 08037446494(現地入り・活動予定など)
1-3 石川県ボランティア登録
(金沢ボラバス参加の場合必須) 石川県
活動団体 (公財)日本YMCA同盟
1600003 新宿区四谷本塩町2-11
1-4 ボランティア保険加入 各地元社協 ネット検索、出向いて手続き
1-5 高速道路通行証明書発行登録 NEXCO  同上 /参加先で確認印をもらうこと
1-6 行き先登録 輪島市立東陽中学校 携帯・ナビ 9280215 輪島市町野町栗蔵原田33番地
1-7 参加予定の関係先への連絡 職場・家族 家族・職場・関係グループへ連絡
0-1 派遣要綱 
https://blog.goo.ne.jp/takarakadoya/e/0dee055c00d274520ac1d78b99ae1285?mibextid=xfxF2i
0-2 グループFB 
https://www.facebook.com/search/top?q=%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0%20%E3%81%AB%20%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%20%E3%82%92%20%E9%80%81%E3%82%8B%20%E4%BC%9A
0-3 石川県ボランティア登録  
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenmin/saigai/volunteerbank.html
NEXCO通行証明発行登録  
https://exvolunteer.jp/VoUsr010/linkDisplay

携行用品・ウェア・作業用品チェックリスト
  基本用品     CHK 装備・生活具   CHK  ウェア     CHK   作業用品      CHK
健康保険証 ザック 作業着 上 靴
運転免許証 手提げなど 作業着 下 (長靴)
通行証明書 水ボトル シャツ 底敷き
踏抜き防止
現金・カード類 ハサミなど 長袖シャツ
筆記具 持病薬 パンツ 皮手・ビニ手
財布・ポシェット等 テープ 下着
携帯 絆創膏 靴下  防護用品   
充電コード 消毒薬  上記予備 ヘルメット
予備バッテリー 鎮痛剤  高所作業時 
ライト・電池 ホイッスル 帽子 ハーネス
タオル 雨具上下 安全環   3
ティッシュ マット 手袋 スリング各種  5
ライター シュラフ 確保下降器
  食料品     断熱シート 入浴・洗顔具 ロープ
 炊事用具・食器  ラジオ
被災地にクライマーを送る会」能登(角屋さん作成要綱に一部加筆)
2024-04-18 00:29:55 | 災害ボランティア クライマー派遣
石川県輪島市町野町避難所(東陽中学校)におけるボランティア派遣要綱(4/25改訂)

1. 派遣場所
輪島市指定避難所 東陽中学校
石川県輪島市町野町栗倉河原田33番地
*現在 東陽中学の生徒は、隣の小学校の校舎で授業を受けています。
*東陽中学校は町野町の物資配布場所となっています。
*輪島市役所職員 消防署員が業務のために同居しています。
*YMCAは、避難所のサポート業務に携わるために入っています。

2. アクセス
自家用車
① 北陸道 金沢西IC 金沢東IC 金沢森本ICなどから「のと里山街道」(無料自動車道)に入り、のと里山空港まで。そこから一般道。
*のと里山街道は柳田IC以北は往路のみ通行可能。北部はかなり被害が大きく、復旧作業中(4月末)。
②北陸自動車道小矢部砺波JCT能越自動車道(無料自動車道)に入り七尾城山IC。その先一般道。
 *全線に被害が少ない。

航空機利用
羽田~のと里山空港
*毎日1便、1往復運航 
*空港からはレンタカーとなるが、レンタカーの確保ができない可能性が高い。

3. 生活面
① 宿泊場所は東陽中学校の家庭科室と女性部屋は隣の教室の2部屋。宿泊定員は10名。寝袋・マットは持参の事。
② 食事は全食自炊。冷蔵庫が小さいため、食材の保管はできないと考えた方がいい。
*水道・流し、電気は使える。送る会がIH調理器具、炊飯器など置かせてもらっている。
*町野町の近所に営業している飲食店、販売所はない。午後、移動販売車がくる。
*買い出し
・ファミリーマート 「のと里山空港」分岐近く11Km品ぞろえは豊富だった。
〒928-0313 石川県鳳珠郡能登町天坂ろ19 電話番号: 0768-76-2054
営業終了: 19:30 日により時間が異なる場合がある
・スーパーしんや柳田店 生鮮食料品、野菜など、十分な品ぞろえ
〒928-0331 石川県鳳珠郡能登町柳田礼部16-1
0768-76-1203
*外食
同じく「のと里山空港」周辺まで行くと「8番らーめん」「GOGOカレー」がある。

③入浴は施設内にシャワーがある。ただし車で6~7分のところに、自衛隊が設置した入浴施設があるので、施設存続のためにも、こちらの利用を推奨。
 石川県輪島水泳プール(輪島市町野水泳プール)=自衛隊拠点、風呂設置され21時まで利用可能
〒928-0233 石川県輪島市町野町東大野出村109
問合せ先 町野スポーツ施設管理棟 電話番号 0768-32-1040
③ 東陽中学校教室棟のトイレは使用できるが、時々不安定になるとのこと。施設外に二カ所仮設トイレがある。
⑤ 洗濯は施設内の洗濯機・乾燥機が使える。
⑥ インターネット(WiFi)は家庭科室内はYMCAが置いたWIFIがつながっている。避難所内は通信各社WiFi有、教室棟内など場所によっては脆弱。充電用電源はたくさんある。
⑦ テント泊の許可をもらっている空き地がある。トイレ、シャワーなどは避難所を使用するため、少し遠い。近所に住民が暮らしており配慮が必用。

4.ボランティア活動について
4月末現在、YMCAに任されているのは避難所のサポート業務(避難所受付 お弁当の仕分け 支援物資配布サポート ラジオ体操などの避難者向け健康プログラム トイレなどの避難所清掃)であり、それ以外の災害復興にかかわる業務は行っていない。ただし今後、同避難所の避難者が仮設住宅に移る際のお手伝いや、その後、家屋内の片づけなどのニーズがあれば、業務の一部として取り扱おうという方針とのこと。
① 避難所内における作業が優先ではある。また、避難所の避難者に引っ越しや家の片づけなどのニーズがあれば、これを行う。その必要がなければ輪島市社会福祉協議会、能都町社会福祉協議会に上がってきたニーズに対し、我々以外のボランティアと同様に活動する。その場合、送る会メンバーがYM社会福祉協議会と連絡を取り、参加者どこに行ってどのような活動をするのか確認し参加者に伝達する。数日の活動になる場合は、初日に翌日以降の活動場所や内容を、直に確認するのが良い。
② 今後「避難所から仮設住宅への引っ越し」お手伝いのニーズが多くなっていくようである。
③ 行政の行うボランティア活動に出向くことが多いと思われますので、石川県災害ボランティアHP https://prefvcishikawa.jimdofree.com/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E4%BA%8B%E5%89%8D%E7%99%BB%E9%8C%B2/
~からボランティアの事前登録をしておくようお願いします。その際、所属団体は「日本YMCA同盟」としてください。
③ 出発前に、地元の社会福祉協議会にてボランティア保険に加入しておいてください。
④ 「被災地にクライマーを送る会」のメンバーが今回の活動に参加する場合、窓口は角屋。
角屋からYMCA同盟の担当者に連絡を取り、YMCA同盟の担当者と現地スタッフの判断で受け入れ可能か判断してもらう。受け入れ可能な場合、避難所運営に参加する場合、現地スタッフが作業の割り振りをする。出発の2~3日前には直接現地に連絡し、確認を取る。このような手続きが必要なため、少なくとも1週間前までに参加表明してください。

5.交通費支援について
高速道路の通行料の無料化措置があります。こちらのリンクからhttps://www.saigaivc.com/ 申請を行ってください。申請後メールが送られてくるので、「災害ボランティア車両 高速道路通行許可証」をプリントアウトして、持参しETCは使わずに入口出口共に一般ゲートを通過します。詳細は許可証をお読みください。
*希望者に対し「被災地にクライマーを送る会」として車両1台に対して10000円。その他航空機や電車地用の場合一人に対して10000の補助をします。事後に角屋宛にお申し出ください。ただし、財源がなくなり次第補助を終了いたします。

2024年4月16日の訪問
ここからは現地を訪問して際の雑感になります。
私(角屋)は15日の昼に、事前に申請しプリントアウトしておいた「災害ボランティア 高速道路通行許可書」を携え東京を出発した。首都高の乗り口の五反田ICでは、ETCカードを抜いておくことを怠り、係員に手間を取らせてしまった。各料金所では「一般」のゲートを使用し、そのたびにチェックが入るので時間がかかる。致し方ないこと。長野県大町市の廣川健太郎氏を訪ね、そこで打ち合わせ方々、宿泊をさせていただきました。「通行許可書」の申請には、高速道路を一時退出する場合の理由を選ぶ項目があるが、私は「途中で宿泊が必要なため」として置いた。ほかに「同乗者を乗せるため」などの項目があるが、多分、災害ボランティア以外の目的で使用しにくくするためだろう。

翌朝(16日)6時に廣川婦人とともに輪島に向かって出発。糸魚川から北陸道に乗り金沢森本ICで高速道路を降り、「のと里山街道(無料の自動車道)」に乗りました。あとから分かったことですが、ここからが長かった。買い出しが必要な場合は「のと里山街道」に乗る前に済ませないと、そのあとは「のと里山街道」を降りた後のファミリーマート1軒のみ。

「のと里山街道」を北上し、中ほどの柳田ICあたりから、対向車線が崩れ落ちている箇所が多数あり、復路には使えない状況。往路もスピードが出せない状態なので時間がかかる。GWともなるとかなり時間に余裕をもっていかなければならないだろう。大町市から6時間くらいかけて「のと里山空港IC」に到着。降りてすぐのところにファミリーマートがある。中を覗いてみたが、品ぞろえが豊富だった。ただし現場作業員が大勢買い物に来ていたので、常に品ぞろえが豊富なのかはわからない。カーナビに従い、避難所でありYMCAと我々の拠点となる東陽中学校を目指す。しかし1か所「緊急水道工事のため通行止め」というところがあり、迂回する必要があった。ナビにも把握できていない通行止めは頻繁にあるようだ。

このあたりでは、地震によってつぶされた家なども目に付く。古い家が多く、耐震化されていなかったことも被害を増した原因だろう。避難所が近づくと、つぶされた家が道路にはみ出て、その中をすり抜けるように進むとすぐに目的地があった。少ない駐車スペースは避難者が使用しているので、私は
路上駐車。多分ボランティア車両もこのようになるだろう。東陽小学校と東陽中学校が隣接しており、現在、小学生も中学生も、小学校の校舎で授業を受けている。中学校の方は、市役所の支所、消防、そしてYMCAがサポートとして入っている。

YMCAの職員に出迎えてもらい、お話をした。YMCAでは一時避難者に対するお世話や避難所の清掃、お弁当配りなどの役割を担っているが、外に出ての災害ボランティアに関しては行っていない。われわれが行く場合は、避難所内部での仕事がなければ、輪島市の社会福祉協議会のボランティアセンターに、一般ボランティアとして出向く形になるであろう。我々「被災地にクライマーを送る会」は、東日本大震災の際に盛岡YMCA宮古ボランティアセンターの活動に参加し、熊本大地震の際には益城町の避難所とYMCA阿蘇キャンプ場を拠点とした活動に参加してきた。そのため、地元社協とも連携しながらも、比較的自由度の高い活動が行えた。しかし、今回はそこまでYMCAが踏み込んでいないので、外での活動となると、行政が募集している一般ボランティアに交じって活動することになる。その橋渡しは何とかYMCAの職員にお願いすることに話が落ち着いた。また、その宿泊場所としての役割をお願いした。ただし自炊。市の職員、消防署員が同居する環境なので、生活もつつましやかにしなければならない。

YMCAの職員に、社協とのすり合わせや業務の間、近所を歩いて回った。倒壊、半壊がほとんどで、見た感じでは住み続けられる家は少ないように見えた。平日の昼間でもあるので、街中は静まり返っていた。この日、重機は一台もみなかったし、手作業で片づけをする様子も見られなかった。まずは被災者の生活を整えること。そのあとに瓦礫の撤去や家の中の片づけになるのだろうか。

ただそんな中、町野町のスポーツ施設のある場所は活気づいていた。野球場やテニスコート、プールなどがあった場所だと思うが、そこには自衛隊による入浴設備が設置されており、その周りは仮設住宅建設が絶賛作業中だった。県内外の建設業者がたくさん集まり、クレーンなども導入されせわしなく働いていた。第一次避難者がここに一旦収まり、落ち着てから片づけが本格化し、新たな街づくりが始まるのだろう。

東日本大震災や熊本大地震の時に比べると、復旧・復興のスピードが非常に遅いことを感じた。多分地理的状況が不利なことが大きいと思う。一般ボランティアが大挙して訪れることによる障害も懸念されるし、その点、現地行政も慎重になっていた。最近は一般ボランティアを積極的に募集してはいるが、宿泊できる拠点も少ないため、金沢からの日帰りが多く、賞味数時間の作業で終わってしまうとも聞いている。だから数日間滞在できるボランティアは有効だとも感じる。

現地での確認を終え、帰路に就いたのは16時ころだった。カーナビに案内してもらい進むと、一般道を穴水に向かい、そこを経由し七尾湾?に沿って能越道の七尾に達する。南下するに従い建物の損壊は少なくなってくる。ただし中身はどうなのかわからない。七尾で能越道に乗り小矢部砺波JCTで北陸道に入る。糸魚川ICで降り信濃大町で廣川婦人を下ろし、再び安曇野ICから中央自動車道に乗り東京の自宅に戻った。
東陽中学校避難所/
=体育館に設置された避難所の運営をYMCAが行なっている
YMCAスタッフ滞在・休憩場所
=教室棟2階、家庭科室 概ね7時起床、22時消灯
=施設 流し利用可、調理台上で食事、床にマットを引いて寝袋で寝る
 定員 2室、男女で10名×2、定員越えの場合は外部でテント泊か車中泊
=YMCA備品 廊下に電子レンジ、家庭科室内に衛生用品、日用品、共用の飲料・食料
=送る会備品 IHヒーター2台、炊飯器2台、電気ポット、ホットプレート、共用食料少々

「被災地にクライマーを送る会」能登

2024-04-18 00:29:55 | 災害ボランティア クライマー派遣
石川県輪島市町野町避難所(東陽中学校)におけるボランティア派遣要綱(4/25改訂)

1. 派遣場所
輪島市指定避難所 東陽中学校
石川県輪島市町野町栗倉河原田33番地
*現在 東陽中学の生徒は、隣の小学校の校舎で授業を受けています。
*東陽中学校は町野町の物資配布場所となっています。
*輪島市役所職員 消防署員が業務のために同居しています。
*YMCAは、避難所のサポート業務に携わるために入っています。

2. アクセス
自家用車
① 北陸道 金沢西IC 金沢東IC 金沢森本ICなどから「のと里山街道」(無料自動車道)に入り、のと里山空港まで。そこから一般道。
*のと里山街道は柳田IC以北は往路のみ通行可能。北部はかなり被害が大きく、復旧作業中。4月16日現在
  ②北陸自動車道小矢部砺波JCT能越自動車道(無料自動車道)に入り七尾城山IC。その先一般道。
    *全線に被害が少ない。

  航空機利用
    羽田~のと里山空港
    *毎日1便、1往復運航 
    *空港からはレンタカーとなるが、レンタカーの確保ができない可能性が高い。

3. 生活面
① 宿泊場所は東陽中学校の家庭科室と女性部屋は隣の教室の2部屋。宿泊定員は10名。寝袋・マットは持参の事。
② 食事は全食自炊。冷蔵庫が小さいため、食材の保管はできないと考えた方がいい。
*水道・電気は使え、IH調理器具が使える。
*近所に営業している飲食店、販売所はない。午後、移動販売車がくる。
*買い出しは「のと里山空港」近くのファミリーマート(11Km)まで行かないとない。4/16現在、品ぞろえは豊富だった。
外食は、同じく「のと里山空港」周辺まで行くと「8番らーめん」「GOGOカレー」がある。
  ③入浴は施設内にシャワーがある。ただし車で6~7分のところに、自衛隊が設置した入浴施設があるので、施設存続のためにも、こちらの利用を推奨。
③ トイレは使用できるが、時々不安定になるとのこと。仮設トイレもある。
⑤ 洗濯は施設内の洗濯機・乾燥機が使える。
⑥ インターネット(WiFi)はつながっているが、場所によっては脆弱。充電用電源はたくさんある。
⑦ テント泊の許可をもらっている空き地がある。トイレ、シャワーなどは避難所を使用するため、少し遠い。近所に住民が暮らしている場合は配慮が必用。

4.ボランティア活動について
4/16現在、YMCAに任されているのは避難所のサポート業務(避難所受付 お弁当の仕分け 支援物資配布サポート ラジオ体操などの避難者向け健康プログラム トイレなどの避難所清掃)であり、それ以外の災害復興にかかわる業務は行っていない。ただし今後、同避難所の避難者が仮設住宅に移る際のお手伝いや、その後、家屋内の片づけなどのニーズがあれば、業務の一部として取り扱おうという方針とのこと。
① 避難所内における作業が優先ではある。また、避難所の避難者に引っ越しや家の片づけなどのニーズがあれば、これを行う。その必要がなければ輪島市社会福祉協議会に上がってきたニーズに対し、我々以外のボランティアと同様に活動する。その場合、YMCAスタッフが社会福祉協議会との連絡を取り、我々がどこに行ってどのような活動をするのか伝達する。数日の活動になる場合は、初日に翌日以降の活動場所や内容を、直に確認するのが良い。
② 4/16現在、「避難所から仮設住宅への引っ越し」の手伝いのニーズが多いようである。
③ 行政の行うボランティア活動に出向くことが多いと思われますので、石川県災害ボランティアHP https://prefvcishikawa.jimdofree.com/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E4%BA%8B%E5%89%8D%E7%99%BB%E9%8C%B2/
~からボランティアの事前登録をしておくようお願いします。その際、所属団体は「日本YMCA同盟」としてください。
④ 出発前に、地元の社会福祉協議会にてボランティア保険に加入しておいてください。
⑤「被災地にクライマーを送る会」のメンバーが今回の活動に参加する場合、窓口は角屋。角屋からYMCA同盟の担当者に連絡を取り、YMCA同盟の担当者と現地スタッフの判断で受け入れ可能か判断してもらう。受け入れ可能な場合、現地スタッフが作業の割り振りをする。出発の2~3日前には直接現地に連絡し、確認を取る。このような手続きが必要なため、少なくとも1週間前までに参加表明してください。

5.交通費支援について
    高速道路の通行料の無料化措置があります。こちらのリンクからhttps://www.saigaivc.com/ 申請を行ってください。申請後メールが送られてくるので、「災害ボランティア車両 高速道路通行許可証」をプリントアウトして、持参しETCは使わずに一般ゲートを通過します。詳細は許可証をお読みください。
*希望者に対し「被災地にクライマーを送る会」として車両1台に対して10000円。そのた航空機や電車地用の場合一人に対して10000の補助をします。事後に角屋宛にお申し出ください。ただし、財源がなくなり次第補助を終了いたします。










2024年4月16日の訪問

ここからは現地を訪問して際の雑感になります。
私(角屋)は15日の昼に、事前に申請しプリントアウトしておいた「災害ボランティア 高速道路通行許可書」を携え東京を出発した。首都高の乗り口の五反田ICでは、ETCカードを抜いておくことを怠り、係員に手間を取らせてしまった。各料金所では「一般」のゲートを使用し、そのたびにチェックが入るので時間がかかる。致し方ないこと。長野県大町市の廣川健太郎氏を訪ね、そこで打ち合わせ方々、宿泊をさせていただきました。「通行許可書」の申請には、高速道路を一時退出する場合の理由を選ぶ項目があるが、私は「途中で宿泊が必要なため」として置いた。ほかに「同乗者を乗せるため」などの項目があるが、多分、災害ボランティア以外の目的で使用しにくくするためだろう。

翌朝(16日)6時に廣川婦人とともに輪島に向かって出発。糸魚川から北陸道に乗り金沢森本ICで高速道路を降り、「のと里山街道(無料の自動車道)」に乗りました。あとから分かったことですが、ここからが長かった。買い出しが必要な場合は「のと里山街道」に乗る前に済ませないと、そのあとは「のと里山街道」を降りた後のファミリーマート1軒のみ。

「のと里山街道」を北上し、中ほどの柳田ICあたりから、対向車線が崩れ落ちている箇所が多数あり、復路には使えない状況。往路もスピードが出せない状態なので時間がかかる。GWともなるとかなり時間に余裕をもっていかなければならないだろう。大町市から6時間くらいかけて「のと里山空港IC」に到着。降りてすぐのところにファミリーマートがある。中を覗いてみたが、品ぞろえが豊富だった。ただし現場作業員が大勢買い物に来ていたので、常に品ぞろえが豊富なのかはわからない。カーナビに従い、避難所でありYMCAと我々の拠点となる東陽中学校を目指す。しかし1か所「緊急水道工事のため通行止め」というところがあり、迂回する必要があった。ナビにも把握できていない通行止めは頻繁にあるようだ。

このあたりでは、地震によってつぶされた家なども目に付く。古い家が多く、耐震化されていなかったことも被害を増した原因だろう。避難所が近づくと、つぶされた家が道路にはみ出て、その中をすり抜けるように進むとすぐに目的地があった。少ない駐車スペースは避難者が使用しているので、私は
路上駐車。多分ボランティア車両もこのようになるだろう。東陽小学校と東陽中学校が隣接しており、現在、小学生も中学生も、小学校の校舎で授業を受けている。中学校の方は、市役所の支所、消防、そしてYMCAがサポートとして入っている。

YMCAの職員に出迎えてもらい、お話をした。YMCAでは一時避難者に対するお世話や避難所の清掃、お弁当配りなどの役割を担っているが、外に出ての災害ボランティアに関しては行っていない。われわれが行く場合は、避難所内部での仕事がなければ、輪島市の社会福祉協議会のボランティアセンターに、一般ボランティアとして出向く形になるであろう。我々「被災地にクライマーを送る会」は、東日本大震災の際に盛岡YMCA宮古ボランティアセンターの活動に参加し、熊本大地震の際には益城町の避難所とYMCA阿蘇キャンプ場を拠点とした活動に参加してきた。そのため、地元社協とも連携しながらも、比較的自由度の高い活動が行えた。しかし、今回はそこまでYMCAが踏み込んでいないので、外での活動となると、行政が募集している一般ボランティアに交じって活動することになる。その橋渡しは何とかYMCAの職員にお願いすることに話が落ち着いた。また、その宿泊場所としての役割をお願いした。ただし自炊。市の職員、消防署員が同居する環境なので、生活もつつましやかにしなければならない。

YMCAの職員に、社協とのすり合わせや業務の間、近所を歩いて回った。倒壊、半壊がほとんどで、見た感じでは住み続けられる家は少ないように見えた。平日の昼間でもあるので、街中は静まり返っていた。この日、重機は一台もみなかったし、手作業で片づけをする様子も見られなかった。まずは被災者の生活を整えること。そのあとに瓦礫の撤去や家の中の片づけになるのだろうか。

ただそんな中、町野町のスポーツ施設のある場所は活気づいていた。野球場やテニスコート、プールなどがあった場所だと思うが、そこには自衛隊による入浴設備が設置されており、その周りは仮設住宅建設が絶賛作業中だった。県内外の建設業者がたくさん集まり、クレーンなども導入されせわしなく働いていた。第一次避難者がここに一旦収まり、落ち着てから片づけが本格化し、新たな街づくりが始まるのだろう。

東日本大震災や熊本大地震の時に比べると、復旧・復興のスピードが非常に遅いことを感じた。多分地理的状況が不利なことが大きいと思う。一般ボランティアが大挙して訪れることによる障害も懸念されるし、その点、現地行政も慎重になっていた。最近は一般ボランティアを積極的に募集してはいるが、宿泊できる拠点も少ないため、金沢からの日帰りが多く、賞味数時間の作業で終わってしまうとも聞いている。だから数日間滞在できるボランティアは有効だとも感じる。

現地での確認を終え、帰路に就いたのは16時ころだった。カーナビに案内してもらい進むと、一般道を穴水に向かい、そこを経由し七尾湾?に沿って能越道の七尾に達する。南下するに従い建物の損壊は少なくなってくる。ただし中身はどうなのかわからない。七尾で能越道に乗り小矢部砺波JCTで北陸道に入る。糸魚川ICで降り信濃大町で廣川婦人を下ろし、再び安曇野ICから中央自動車道に乗り東京の自宅に戻った。


日付が変わり3月11日

2017-03-11 01:29:37 | 災害ボランティア クライマー派遣

日付が変わって3月11日になりました。

地震が起きた午後2時46分には、クライミングのジュニアスクールの最中の予定です。

スクールに通う子供たちは6年前のこの時を覚えているでしょうか。大きな地震があったというくらいは、もしかしたら覚えているかもしれません。でもそれがどんな出来事だったのか、理解しているかどうかはわかりません。自然災害ですから私たちにはどうすることもできないかもしれませんが、この災害によって大きな悲しみを抱えることになった人たちのことを思いやることはできるはずです。

この災害によって住んでいた場所から知らない土地に移り住まなければならなくなった人。通っていた学校から転校しなければならなくなった人。こういう人たちが今も近くにいるかもしれません。近くにいなくてもそういう人のことに思いを馳せて、思いやり、心の中で声をかけてあげる時間を持ちたいと思っています。

原発犠牲者の子供たちが差別されるなんて、理解しがたいのですが、実際に出来事になっています。そんなことが無くなるように、私が子供たちに伝えたいことは、ほかの人の悲しみや苦しみを思いやること。自分がしてほしいことをほかの人にもしてあげること。友達のいない子の友達になってあげること。自分よりできなくても頑張っている仲間を応援してあげること。そういうことです。

人間らしく生きること。人間にしかできない生き方をすること。自分にしか生きられない人生を生きること。

そんな人間でなければ、クライマーにもなれないし、野球選手にも、サッカー選手にも、サラリーマンにもなれない。


私の山仲間

2016-05-03 00:38:36 | 災害ボランティア クライマー派遣

今日は月稜会の集会日でした。会長はじめ会員が、「被災地にクライマーを送る会」の活動に賛同してくれて、寄付金を集めてくれたり、山道具のオークションによって寄付金を集めてくれました。

この日の集会日で17万円を超える寄付金が寄せられました。

自分のできる範囲でできることをしてくだされば十分です。OKMさんという仲間がいるのですが、この人は5年前の東日本大震災の時に身内を亡くされています。そういう中で多額な寄付をしてくださいました。今回も同様に多額な寄付をしてくださいました。こういう善意は金額の多さが善意の大きさだとは思いませんが、でもこの人の気持ちは強く伝わってきます。きっと同じ山仲間に災害に苦しんでいる方々の力になってほしい、寄り添ってほしいと強く願っているのだと思います。被災者の気持ちをわかっていて、そのために活動してほしいという願いが伝わってきます。

だから、私はそういう人の気持ちにもこたえたい。もちろん被災者のために、というのは前提だけど、善意のある方の期待にも応えたい。みんなが一つになるために。


善意と善意の衝突

2016-04-30 01:19:21 | 災害ボランティア クライマー派遣

具体的に書くのは控えるが、被災地の避難所やボランティア受け入れ拠点では、「善意と善意の衝突」が発生する。大規模な自然災害の現場では被災者を救いたいという善意を持った避難所やボランティア受け入れ拠点ができる。想像以上の過酷な現場だ。これ自体がイレギュラーなことだが、より良い、質の高い活動をするためには、イレギュラーな仕事をレギュラー化しなければならない。そうしなければスタッフも被災者も共倒れになってしまうからだ。

ところが、全国各地から善意を持ったさまざまな人、グループがやってくる。現地でも、心に余裕があればありがたく受け入れたいのだろうが、こんな時には受け入れられるだけの心の余裕がない。たとえ善意であっても、計画外の受け入れはイレギュラーが一つずつ増えるということになる。善意を受け入れることは被災者にとって良いことだとわかっていても、「イレギュラーをレギュラー化する作業」を後回しや先送りにしなければならなくなるかもしれない。それによって「共倒れ」の危機感を抱く。

各地からやってきた善意は、苦労して遠くからやってきたのに快く受け入れてもらえない悔しさは想像に難くない。すったもんだの末に受け入れてもらっても、歓迎されなかったことは不本意だろう。事前に自律的な活動をするための綿密な計画を立てて、アポイントを取っていたら歓迎されたかもしれないが、被災地支援の経験がない善意は、とにかく熱い思いだけで動いてしまいがちだ。無理もないことだと思う。どうしたらうまくいくのか、良いアイディアは浮かばない。

でも、そんな中でもまれに心に余裕をもって動いている人を見かける。メンタルが強い人だ。今回、熊本を訪問した際にも、そういう人が3人いた。


お願いしますと有難う

2016-04-22 00:31:47 | 災害ボランティア クライマー派遣

「被災地にクライマーを送る会」が、東日本大震災の際に岩手県宮古市に山屋やクライマーの仲間を集めて送りました。その時の初期の経験者を、今、熊本に送ろうとしています。現在1名、現地にいますが、明日もう1名到着します。日曜日からは私を含め数名入り、現地の状況を視察しながら仲間に情報提供ができるよう、またボラセンのルール作りをする予定です。そこから本格的なボランティア活動に入れると思います。最初は宮古経験者を中心に送るつもりですが、センターが安定して回るようなら初めての人も送るつもりです。

しかし、関東からは交通費が高額になり、現実的には送りずらい面もあります。しかし宮古の経験者はほとんど関東の者ですから、やはり送り出したいのです。そのためにこれをご覧になっている山屋、クライマーのみなさん。「自分はいけないけど、仲間に行ってほしい」という気持ちをお持ちでしたら、募金に協力してください。このブログにリンクしている私のHPからメールを送ることができます。よろしくお願いします。

今日、私がYMCAで働いていた時の同僚から、現金書留で寄付が送られて来ました。ありがとうございます。また、クライミングジムに設置した募金箱にも募金を入れてくださいってる方にも感謝です。まだ中を開けていませんが。また宮古でお世話になった教会の牧師先生が、宮古で募金活動をしてくださっているそうです。私の所属する山岳会でも協力してくれるそうです。

私たちの特徴は、自活できることです。地元に生活面で迷惑をかけずに自活して活動できることです。ただ、おおらかすぎたり、心が熱すぎたりして問題が起こることもありましたが。

今回は経験者として関東から山屋クライマーを送りたいと思っていますが、今、関西以西の仲間を募っています。実際、宮古の経験者である大阪在住のクライマーが仲間を集めて現地に入る計画ができています。

山屋もクライマーも、普段やっていることは誰の役にも立たないですが、こんな時にその生活力と体力を生かせます。是非仲間を被災地に送ってください。


被災地にボランティアに行くなら

2016-04-21 00:58:57 | 災害ボランティア クライマー派遣

明日21日から、被災地熊本の社会福祉協議会がボランティアの受け付けを開始するようです。

被災者はもちろん、地元の職員やボランティアも相当疲れ果て極限に達していると思います。是非力になってほしいものです。

 

しかしやみくもに現地に向かうのはいかがなものでしょう。深呼吸してよく考えましょう。

被災地で地元に迷惑をかけずに活動できるでしょうか。自活能力や判断力が必要です。ボランティア保険は出発前に自分の地元の社協で入れます。たぶん加入していないと活動させてもらえません。行ってから加入するのでは、被災地にひと手間かけてしまうというような情報はお持ちでしょうか。持ち物をいちいち被災地に問い合わせないとわからないというようなことはないですか。ボラセンにはどうやって行くのか、自分で考えていけますか。そういうことをいちいち問い合わせなければならないようでは考え直したほうがよさそうです。特にゴールデンウィーク直前は被災地の社協の電話は鳴りっぱなしになるでしょう。これに対応しなければならない受け入れ側は、ある意味被災者に近い状態になります。

そういうことがクリアできるのなら、ぜひ被災地に行って誰かのために働きましょう。

でもその前にもう一つ。「頑張る」という気持ちは大切ですが、実際にできることは小さなことです。そのギャップに落ち込んだり、不満をボラセンのコーディネーターにぶつけるようなら考え直したほうがいいと思います。「小さなことでも誠実にやる」「立場を越えて理解し合う」という気持ちがもっと大切です。大活躍しよう、などとは思わないほうがいいです。1回行って被災者の笑顔が一つもらえれば上出来。

ボランティアをするということは、沢山きつい仕事があればあったで大変ですが、思い描いていたことができなかった時もフラストレーションがたまります。私はボランティアに行って心に傷を負って帰ってきた仲間をたくさん見ましたし、話も聞きました。しかし1週間や10日のボランティアに比べて、1か月、あるいは数か月の間、現地に張り付いているコーディネーターのストレスはくらべものにならないと想像します。建設的な意見を謙虚に述べるのはいいのですけど、不満をぶちまけるようなことはしてほしくありません。

私は多くの方にボランティアに参加してほしいと思いますが、よくよく考えていってほしいのです。現地に行かなくても、被災地のためにできることはあります。自分の持っている賜物、財産、気持ち、健康に応じてできることをするのが良いと思います。それを考えると、何かしてあげたいけど何もしてあげられないという人もたくさんいるはずです。それなら被災地を思うことだけでもいいと思います。

 

以上、私の考えがすべて正しいとは思いませんが、前回の震災を通して感じたことの一部です。


「被災地にクライマーを送る会」の活動は始まっています。

2016-04-20 00:41:33 | 災害ボランティア クライマー派遣

今回の熊本、大分を中心とする震災に対して、「被災地にクライマーを送る会」の活動は始まっています。まだボランティアセンターは立ち上がっていませんが、避難所のお手伝い、センターの立ち上げ準備のために、宮古での活動経験者が現地に向かいます。またわれわれの活動に対する募金に協力してくださる方も出始めています。

まだ一般ボランティアが入れる状態ではないため公開していませんが、フェースブックでは岩手県宮古市での経験者を中心に、関係者を招待したグループで情報を共有しています。もしクライマーや登山愛好家で、被災地でも自活しながら活動できる方で、本心から被災者のために働きたいと思う方はグループにご招待します。

我々が活動した宮古からも募金協力の申し出がありました。「情けは人のためならず」といいますが、「助けたい」という気持ちは伝染し巡り巡るのです。人間らしい生き方だと思います。私の知人で、「東日本大震災の時に、周りの人がみんな何かしているのに、私は何もできなかった」と嘆いていた方がいました。でも、「人を思う」だけでも十分です。その人たちのために祈ってください。そして自分に与えられたものに応じて分け与えられたらいいのだと思います。だから、私は被災地について、またボランティアについて書いていますけれど、そういうことができない方が沢山いらっしゃることも承知です。「思いを寄せる」「誰かのために祈る」。それだけでもいいと思います。

私には、現地で働ける仲間が沢山与えられています。だから彼らに声をかける活動をします。また、私は現地で活動できる組織とつながっています。だからそこに協力しようと思っています。これらは私に与えられたものですから、自分の利益のためではなく、与えてくださった方に喜ばれるように使わないといけないと思うのです。

決して無理をせず、自分に与えられたものに応じて分け与えましょう。

私も次の日曜日には現地に向かいます。仲間も一緒に行きます。もしよろしければ、与えられたものに応じてご協力ください。


再び被災地へ

2016-04-17 00:40:52 | 災害ボランティア クライマー派遣

18日。朝起きて驚きました。熊本地方で起きた震災は、局地的なものから広域なものになっていました。そして東日本大震災の時の「被災地にクライマーを送る会」の活動拠点になったYMCAの同盟総主事から電話がありました。「熊本へのクライマー派遣の準備をしてもらいたい」という内容です。

最初の震源地で被災の大きかった益城町にはYMCAが指定管理している総合運動場があり、避難場所になっており、現在YMCAスタッフを中心に避難所の運営にあたっています。また熊本市内や阿蘇地域ではYMCAの活動が根付いていて、すでに活動が始まっているようです。そういう意味ではボランティア活動に入りやすい場所なのですが、何しろ今は余震が続いており、現地でもやみくもにボランティアが入り込むことを警戒しているようです。そういう状況ですからかえって東日本大震災での活動経験があり、現地で自活できる「被災地にクライマーを送る会」のメンバーがまず入ることができれば、ということなのです。

岩手県宮古市での活動は、初期にはなかなか現地の人に受け入れられるまでに時間がかかり、ボランティアもフラストレーションを抱えました。今回はそういうことは少ないと思いますが、活動は初期には避難所の手伝い、その次に家屋の片づけなどになるかと思います。

また東日本大震災のときは関東での揺れも大きく、いろいろな意味で生活に影響がありました。しかし今回は関東地方への影響が今のところ少ないためか、ボランティアの呼びかけに対する反応も弱いようです。でも実際には多くの方が助けを求めています。次は我々が助けを求めることになるかもしれません。助けあいましょう。

宮古は東京から600㎞強でしたが、熊本は1200km弱。非常に遠いので車での往復は考えにくいです。交通費もかかります。ですから交通費の補助が必要になってくると思います。これに対する募金活動は今すぐ始めたいと思います。

ボランティアの参加と募金の協力をお願いします。

また情報を載せます。


3月11日

2016-03-12 00:41:13 | 災害ボランティア クライマー派遣

今日(今の時間では昨日になってしまいましたが)、午後2時46分。ここ品川区でも防災放送が流され、1分間の黙とうがささげられました。私も妻と長男のお嫁さんと3人で黙とうをささげました。

あれから5年。「もう5年」なのか、「まだ5年」なのか、人によってさまざまだと思います。被災者にしてみれば「5年たったということなんて、何の区切りでもない」と感じている方もおられると思います。それはそうでしょう。まだ復旧の真っただ中だという人もいるでしょうし、町や生活は平常に戻りつつあっても、心の中はあの時のままという人もいるでしょう。心の底からそういう方に寄り添うことができたらいいなあと思います。

去年は被災地を訪れることができませんでした。今年はまた行ってみたいと思います。現地に行ったって私にできることはないと思います。でも多少なりともかかわることができた所に、私はまた行きたいのです。人に会いたいし自分にとっても思い出の場所ですから・・・。私はもうなかなか現地に行けなくなったけれど、決して忘れているわけではありません。私のようになかなか現地を再訪できない仲間も、「申し訳ない」と思っています。みんなできることなら「また行きたい」と思っていると思います。「ご無沙汰して申し訳ありません」という言葉はよく使うけど、ここでは本当に心からそおう思ってます。

今日は風呂屋の会合でした。毎月11日に行われているので、5年前の3月11日もこの会合が開かれていました。その年、会合が終わって私は自分の家に戻り、金春湯で掃除をしていた時にあの地震が起こったのです。みんなあの時の状況は忘れることはできませんし、今日もみんな口々にその時のことを語っていました。我が家の銭湯は、電気系統にお湯がかぶり、営業が開始できない状態でした。煙突が倒れないかと不安な気持ちで見守り、出かけている家族の安否を確かめようにも携帯電話もつながらず不安で、交通機関はマヒしていて出かけている家族を迎えに車で家を出ても道は車を走らせられる状態ではなく、あきらめて家に戻るしかありませんでした。家では何とか銭湯の復旧を図り、いつもより3時間遅れて店を開けました。こんな状況だから店は休もうかとも思ったのですが、その時点で周りのオフィスでも帰宅困難者が多くいることが分かっていたので、会社に泊まらなければならない人のためにも店を開けようと思ったのです。家の前の普段は人通りの少ない通りも、原宿の竹下通りのような状態でした。店を開けるとビジネスマンの方々がどっと押し寄せました。中には「家に帰れないから泊めてもらえないか」という人もいました。みんな店のテレビにくぎ付けでした。面識のない御客さん同志でも情報を交換し合い、これからどうしたらいいかを話し合っている光景がありました。

翌日でしたか、私は妻と長男と3人でテレビのニュースに見入っていました。信じられない光景が映し出されています。津波に家も車も、町ごと流される。建物の屋上で必死に救出を待つ人々。町全体が炎に包まれ燃えている光景。これからここはどうなるのだろうと思っていました。自衛隊や警察のヘリが現地の上空を必死に飛び回り、救助を待つ人のところに向かう。孤立した避難所にどうやって物資を届けるのか。助けたくてもそこは日常の世界ではない。こういう状況をみて妻が言った言葉に動かされたのです。「あなたたちみたいに、いつも山に行ったり岩を登って面白がっているひとが、もし人の役に立つのならこういう時しかないんじゃない」。

そうです。私達クライマーと呼ばれる人は、準備さえしていけばどんなところでも自活できるのです。私の元勤め先のYMCAが岩手県の宮古市にボランティアセンターを立ち上げることになり、まず私にコーディネーターとして行ってくれないかという話でしたが、そうなると最低でも1ヶ月くらいになるので無理。でも仲間のクライマをたくさん集めて、現地で自活して作業が行える人を送り出すことはできると思ったのです。仲間は集まりました。最初はあまりにも悲惨な状況の中で、われわれ一般人には手が付けられない状況、というより手伝わせてもらえない状況。力は有り余っているのに何もさせてもらえない状況。地道な御用聞きから始まるのですが、なかなか地元の人にも受け入れてもらえない状況に、かえって心に被災を抱えて帰ってくる仲間が続出しました。しばらく活動が続いて安定してからのゴールデンウィーク。ボランティアが殺到しすぎて、その対応や現地ボランティアの生活の乱れの問題。募金の使い道についての議論。もっと活躍したいボランティアの不満など。いろいろな問題が湧き上がりました。実は私はボランティアをしに現地に行くということはなく、こういう問題が起きた時に出向くだけでした。それでも2011年には6回行ったのですから、どれだけ現地でボランティアをすることが大変なことか分かってもらえると思います。それを束ねるコーディネーターはなおさらです。

でも一つだけ言えるのは、みんな遊びに行って問題を起こしているのではないということでした。みんな一生懸命であるからこそ起こる問題なのでした。(生活の乱れ以外は)

いまでも現地に通い続けている仲間がいます。頭が下がります。自分もそうしたいけど、今はよろしくお願いします。

いい街なんです。私は好きです。品川から800kmも離れていなければいつでも行きたいのです。本音を言えば町の人と被災者として会うのではなく、友達として会いたいのです。現地のかたも今置かれている状況はさまざまですから、一言では言えませんが、「いつでも希望を持っていただきたい」。「喜びも苦しみも分かち合いたい」。