Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

「被災地にクライマーを送る会」能登

2024-04-18 00:29:55 | 災害ボランティア クライマー派遣
石川県輪島市町野町避難所(東陽中学校)におけるボランティア派遣要綱(4/25改訂)

1. 派遣場所
輪島市指定避難所 東陽中学校
石川県輪島市町野町栗倉河原田33番地
*現在 東陽中学の生徒は、隣の小学校の校舎で授業を受けています。
*東陽中学校は町野町の物資配布場所となっています。
*輪島市役所職員 消防署員が業務のために同居しています。
*YMCAは、避難所のサポート業務に携わるために入っています。

2. アクセス
自家用車
① 北陸道 金沢西IC 金沢東IC 金沢森本ICなどから「のと里山街道」(無料自動車道)に入り、のと里山空港まで。そこから一般道。
*のと里山街道は柳田IC以北は往路のみ通行可能。北部はかなり被害が大きく、復旧作業中。4月16日現在
  ②北陸自動車道小矢部砺波JCT能越自動車道(無料自動車道)に入り七尾城山IC。その先一般道。
    *全線に被害が少ない。

  航空機利用
    羽田~のと里山空港
    *毎日1便、1往復運航 
    *空港からはレンタカーとなるが、レンタカーの確保ができない可能性が高い。

3. 生活面
① 宿泊場所は東陽中学校の家庭科室と女性部屋は隣の教室の2部屋。宿泊定員は10名。寝袋・マットは持参の事。
② 食事は全食自炊。冷蔵庫が小さいため、食材の保管はできないと考えた方がいい。
*水道・電気は使え、IH調理器具が使える。
*近所に営業している飲食店、販売所はない。午後、移動販売車がくる。
*買い出しは「のと里山空港」近くのファミリーマート(11Km)まで行かないとない。4/16現在、品ぞろえは豊富だった。
外食は、同じく「のと里山空港」周辺まで行くと「8番らーめん」「GOGOカレー」がある。
  ③入浴は施設内にシャワーがある。ただし車で6~7分のところに、自衛隊が設置した入浴施設があるので、施設存続のためにも、こちらの利用を推奨。
③ トイレは使用できるが、時々不安定になるとのこと。仮設トイレもある。
⑤ 洗濯は施設内の洗濯機・乾燥機が使える。
⑥ インターネット(WiFi)はつながっているが、場所によっては脆弱。充電用電源はたくさんある。
⑦ テント泊の許可をもらっている空き地がある。トイレ、シャワーなどは避難所を使用するため、少し遠い。近所に住民が暮らしている場合は配慮が必用。

4.ボランティア活動について
4/16現在、YMCAに任されているのは避難所のサポート業務(避難所受付 お弁当の仕分け 支援物資配布サポート ラジオ体操などの避難者向け健康プログラム トイレなどの避難所清掃)であり、それ以外の災害復興にかかわる業務は行っていない。ただし今後、同避難所の避難者が仮設住宅に移る際のお手伝いや、その後、家屋内の片づけなどのニーズがあれば、業務の一部として取り扱おうという方針とのこと。
① 避難所内における作業が優先ではある。また、避難所の避難者に引っ越しや家の片づけなどのニーズがあれば、これを行う。その必要がなければ輪島市社会福祉協議会に上がってきたニーズに対し、我々以外のボランティアと同様に活動する。その場合、YMCAスタッフが社会福祉協議会との連絡を取り、我々がどこに行ってどのような活動をするのか伝達する。数日の活動になる場合は、初日に翌日以降の活動場所や内容を、直に確認するのが良い。
② 4/16現在、「避難所から仮設住宅への引っ越し」の手伝いのニーズが多いようである。
③ 行政の行うボランティア活動に出向くことが多いと思われますので、石川県災害ボランティアHP https://prefvcishikawa.jimdofree.com/%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E4%BA%8B%E5%89%8D%E7%99%BB%E9%8C%B2/
~からボランティアの事前登録をしておくようお願いします。その際、所属団体は「日本YMCA同盟」としてください。
④ 出発前に、地元の社会福祉協議会にてボランティア保険に加入しておいてください。
⑤「被災地にクライマーを送る会」のメンバーが今回の活動に参加する場合、窓口は角屋。角屋からYMCA同盟の担当者に連絡を取り、YMCA同盟の担当者と現地スタッフの判断で受け入れ可能か判断してもらう。受け入れ可能な場合、現地スタッフが作業の割り振りをする。出発の2~3日前には直接現地に連絡し、確認を取る。このような手続きが必要なため、少なくとも1週間前までに参加表明してください。

5.交通費支援について
    高速道路の通行料の無料化措置があります。こちらのリンクからhttps://www.saigaivc.com/ 申請を行ってください。申請後メールが送られてくるので、「災害ボランティア車両 高速道路通行許可証」をプリントアウトして、持参しETCは使わずに一般ゲートを通過します。詳細は許可証をお読みください。
*希望者に対し「被災地にクライマーを送る会」として車両1台に対して10000円。そのた航空機や電車地用の場合一人に対して10000の補助をします。事後に角屋宛にお申し出ください。ただし、財源がなくなり次第補助を終了いたします。










2024年4月16日の訪問

ここからは現地を訪問して際の雑感になります。
私(角屋)は15日の昼に、事前に申請しプリントアウトしておいた「災害ボランティア 高速道路通行許可書」を携え東京を出発した。首都高の乗り口の五反田ICでは、ETCカードを抜いておくことを怠り、係員に手間を取らせてしまった。各料金所では「一般」のゲートを使用し、そのたびにチェックが入るので時間がかかる。致し方ないこと。長野県大町市の廣川健太郎氏を訪ね、そこで打ち合わせ方々、宿泊をさせていただきました。「通行許可書」の申請には、高速道路を一時退出する場合の理由を選ぶ項目があるが、私は「途中で宿泊が必要なため」として置いた。ほかに「同乗者を乗せるため」などの項目があるが、多分、災害ボランティア以外の目的で使用しにくくするためだろう。

翌朝(16日)6時に廣川婦人とともに輪島に向かって出発。糸魚川から北陸道に乗り金沢森本ICで高速道路を降り、「のと里山街道(無料の自動車道)」に乗りました。あとから分かったことですが、ここからが長かった。買い出しが必要な場合は「のと里山街道」に乗る前に済ませないと、そのあとは「のと里山街道」を降りた後のファミリーマート1軒のみ。

「のと里山街道」を北上し、中ほどの柳田ICあたりから、対向車線が崩れ落ちている箇所が多数あり、復路には使えない状況。往路もスピードが出せない状態なので時間がかかる。GWともなるとかなり時間に余裕をもっていかなければならないだろう。大町市から6時間くらいかけて「のと里山空港IC」に到着。降りてすぐのところにファミリーマートがある。中を覗いてみたが、品ぞろえが豊富だった。ただし現場作業員が大勢買い物に来ていたので、常に品ぞろえが豊富なのかはわからない。カーナビに従い、避難所でありYMCAと我々の拠点となる東陽中学校を目指す。しかし1か所「緊急水道工事のため通行止め」というところがあり、迂回する必要があった。ナビにも把握できていない通行止めは頻繁にあるようだ。

このあたりでは、地震によってつぶされた家なども目に付く。古い家が多く、耐震化されていなかったことも被害を増した原因だろう。避難所が近づくと、つぶされた家が道路にはみ出て、その中をすり抜けるように進むとすぐに目的地があった。少ない駐車スペースは避難者が使用しているので、私は
路上駐車。多分ボランティア車両もこのようになるだろう。東陽小学校と東陽中学校が隣接しており、現在、小学生も中学生も、小学校の校舎で授業を受けている。中学校の方は、市役所の支所、消防、そしてYMCAがサポートとして入っている。

YMCAの職員に出迎えてもらい、お話をした。YMCAでは一時避難者に対するお世話や避難所の清掃、お弁当配りなどの役割を担っているが、外に出ての災害ボランティアに関しては行っていない。われわれが行く場合は、避難所内部での仕事がなければ、輪島市の社会福祉協議会のボランティアセンターに、一般ボランティアとして出向く形になるであろう。我々「被災地にクライマーを送る会」は、東日本大震災の際に盛岡YMCA宮古ボランティアセンターの活動に参加し、熊本大地震の際には益城町の避難所とYMCA阿蘇キャンプ場を拠点とした活動に参加してきた。そのため、地元社協とも連携しながらも、比較的自由度の高い活動が行えた。しかし、今回はそこまでYMCAが踏み込んでいないので、外での活動となると、行政が募集している一般ボランティアに交じって活動することになる。その橋渡しは何とかYMCAの職員にお願いすることに話が落ち着いた。また、その宿泊場所としての役割をお願いした。ただし自炊。市の職員、消防署員が同居する環境なので、生活もつつましやかにしなければならない。

YMCAの職員に、社協とのすり合わせや業務の間、近所を歩いて回った。倒壊、半壊がほとんどで、見た感じでは住み続けられる家は少ないように見えた。平日の昼間でもあるので、街中は静まり返っていた。この日、重機は一台もみなかったし、手作業で片づけをする様子も見られなかった。まずは被災者の生活を整えること。そのあとに瓦礫の撤去や家の中の片づけになるのだろうか。

ただそんな中、町野町のスポーツ施設のある場所は活気づいていた。野球場やテニスコート、プールなどがあった場所だと思うが、そこには自衛隊による入浴設備が設置されており、その周りは仮設住宅建設が絶賛作業中だった。県内外の建設業者がたくさん集まり、クレーンなども導入されせわしなく働いていた。第一次避難者がここに一旦収まり、落ち着てから片づけが本格化し、新たな街づくりが始まるのだろう。

東日本大震災や熊本大地震の時に比べると、復旧・復興のスピードが非常に遅いことを感じた。多分地理的状況が不利なことが大きいと思う。一般ボランティアが大挙して訪れることによる障害も懸念されるし、その点、現地行政も慎重になっていた。最近は一般ボランティアを積極的に募集してはいるが、宿泊できる拠点も少ないため、金沢からの日帰りが多く、賞味数時間の作業で終わってしまうとも聞いている。だから数日間滞在できるボランティアは有効だとも感じる。

現地での確認を終え、帰路に就いたのは16時ころだった。カーナビに案内してもらい進むと、一般道を穴水に向かい、そこを経由し七尾湾?に沿って能越道の七尾に達する。南下するに従い建物の損壊は少なくなってくる。ただし中身はどうなのかわからない。七尾で能越道に乗り小矢部砺波JCTで北陸道に入る。糸魚川ICで降り信濃大町で廣川婦人を下ろし、再び安曇野ICから中央自動車道に乗り東京の自宅に戻った。


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