Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

山仲間の死について思う

2022-08-19 00:39:00 | 山とクライミングの話

最近、山仲間を立て続けに二人亡くした。毎年何人か見送っている。亡くなった人がお年寄りならそんなこともあり得るが、みんな30台か40台。きっと普通の社会生活をおくっている人にはありえないことだろうと思う。でも、何か危険なことにチャレンジしている仲間とつながっていると、こういうことは普通に起こる。毎年何人かが山で亡くなっていくのだ。

こんな時、山仲間の中にも気持ちが落ち込んで、ふさぎ込んだり、感傷的な言葉を連ねる人がいる。でも、私はそうではありたくない。亡くなった彼らは、ほかの人にはなかなかできないチャレンジをして生きてきた者だから、ほかの人の何倍もの濃密な人生を送ってきたように思える。

残された親族にとっては、割り切れない気持ちがあるだろうこともわかる。でも本人が素晴らしい人生を送ってきたということも理解してほしい。自分勝手かもしれない。周りの人に迷惑をかけてきたかもしれない。でもあなたの子供は、あなたの夫は、あなたの妻は、あなたのお父さんは、あなたのお母さんは・・・。自分勝手だったかもしれないけど、でも、あなたが自慢をしてもいい人だったとおもうのです。山に登ることにどんな価値があるの?と問われれば応えられません。でも、困難にチャレンジしていること、それも命を懸けてチャレンジしている人ってそんなに多くはないのだとおもいます。そんなことにチャレンジしてきた人を誇りに思ってもいいんじゃないでしょうか。

今回、お葬式に行ってきました。盛大でした。良かったと思います。もし私が山で死んだとしたら、やっぱりみんなに涙を流してもらうより、仲間には思い出を語り合って送り出してほしいと思うのです。最後まで「みんな山の友達」であってほしい。これをマイナスに取らえてほしくない。自分が少しでも、残されたものに影響が与えられるなら受け継いでいってほしいと思うから。

もし、自分が山で死んだら、仲間には「いつまでもうじうじしてないで、俺が出来なかったことをやってくれ。」と言いたいと思います。

 

 


新型コロナウィルスとクライマー

2020-04-09 00:54:18 | 山とクライミングの話

とうとう私のホームジム「BigRock」も、新型コロナウィルス感染拡大防止のために休業となる。我々利用者の健康と、世の中全体の安定のためにはもっともな決断だと思う。しかしオーナーや従業員の生活にとっては辛い決断でもあるだろう。でもこの苦難を乗り切って、再開したときには今まで以上に盛り上げたいと希望を捨てない。

こんな状況にある多くのクライマーは、ジムがだめでも岩場があるさ、と考えている人もたくさんいるようだ。確かにオープンエアーの岩場では感染リスクは低いかもしれない。自分が感染しないからいい。仲間にも感染させるリスクが少ないからいい。という考えているとしたら、もう一度よく考えてから行動してほしい。特に大都市圏に住んでいるクライマーは。

このような世界的危機の中でも穏やかに暮らしている岩場周辺の住民。彼らからしてみれば、我々が岩場に行くということは、極端な言い方だが新型コロナウィルスが来たという風にとらえられてもおかしくはない。オープンエアーの岩場だからいいじゃないかと思うかもしれないが、地元で手に触れるもの、接する人のことまで彼らは気にするはずだ。それが高じれば岩場の封鎖にもつながりかねない。今は来てほしくないと思っているのではないのだろうか。

昔、クライマーといえば世の中の反流人種のような人たちで、世の中に逆らったような態度でも、数が少なかったからあまり影響もなく相手にもされていなかった。でもその数が増えれば地元の迷惑ものになり、登れる岩場を失うことになっていった。しかしクライマーも岩場を守るために努力と反省をして、今登れる岩場を確保している。しかしクライミング人口が増える中で、このような経緯に無関心な、または知識のないクライマーもたくさん出てきてしまっている。このような問題を「アクセス問題」と言っているが、新型コロナウィルスも岩場の「アクセス問題」に発展する恐れがある。だから私は、今岩場に行くことを控えている。

私のようなものがこのような戯言を行っても、何の影響もないかもしれないが、影響力のあるクライマーは一考して、その考え方を多くの人に伝えてほしい。


澤田実氏の思い出

2019-06-24 01:34:14 | 山とクライミングの話

 先月、ロシア カムチャツカの山で亡くなった澤田さん。私の大切なクライミングパートナーでした。昨日6月22日、お別れの会が行われ出席してきました。私もクリスチャンですが、澤田氏もカムチャツカに出発する前に信仰告白をし、澤田家は奥様やお子さんとともにクリスチャンホームとなったので、それを知り、私は本当に安堵したのです。イエス キリストとイエス キリストの父である神様を信じて生きる私たちは、神の国で永遠の命を約束されているからです。私も神の国に召されたときに、真っ先にイエス様にお尋ねするのは「澤田さんはどこですか」だろう。私はそれほど彼のことが好きでした。昨日「お別れの会」から帰って、彼のことを綴ってみようと思いましたが、やはり当日だといろいろ感傷的な言葉があふれて、あとで読み返せないものになってしまう。一日置いてつづってみることにしました。

 

 彼との出会いは、20年近く前のことでした。

 私は「山岳同人チーム84」の集会を訪ねました。知らされていた時間に集会所を訪ねましたが、誰も来ませんでした。しばらくしてやってきたのが澤田さんでした。(私は以前から彼のことは知っていました。三浦洋一という俳優とともに、エベレストのベースキャンプに入り、澤田さんはエベレストの山頂に挑みながらも、かつて海の底だった山頂から、海洋生物の化石を持ち帰るという、彼らしいミッションに挑んだテレビ番組を見ていたからです。)それからしばらくしても誰も来なかったので、澤田さんと山の話をしていました。澤田さんは私に質問をしました。「どんな山が目標ですか」と。私は「カムチャツカの山に行ってみたい」と答えました。澤田さんはカムチャツカの山を経過していたので、うれしそうにその経験を語ってくれました。しかし、彼の語ることは、その自然のすばらしさや山での体験の感動だけで、彼の行ってきた自慢話的なものは微塵もなかったのです。

 

 瑞牆 天鳥川右岸スラブのクライミングルート開拓

 私がチーム84に入会して間もなく、澤田さんと瑞牆山に通うようになりました。私がチーム84に所属する前から開拓をしていた「天鳥川右岸スラブ」の岩場のクライミングルートを一緒に開拓をするようになったのです。彼は数本のクラックを登りましたが、中でも気合が入っていたのは「智草」5.10cでした。このルートはきっと彼の思い入れの深いルートだったのでしょう。生まれたばかりの娘さんの名前をルート名にしたのですから。私も登らせてもらいましたが、本当に素晴らしいクラックです。それ以来、私は瑞牆に限らず、私の本当にやりたい山やクライミングには、彼に声をかけるようになりました。

 

 「一粒の麦」の開拓

 その後、やはり私がチーム84に所属する前から登っていた、瑞牆山十一面岩奥壁に行くことになりました。「一粒の麦」の2ピッチ目はその前年に登っていたので、そこに澤田さんを案内したのです。その時彼は、さらに岩の上部を観察して、そのクラックの前後にルートを拓いて岩の下からピークまで登ろうと提案したのです。そして数回通い、登りきったルートが「一粒の麦」でした。このルートの最終ピッチは美しいコーナークラックなのですが、私はオンサイトトライでホールドが欠けフォール。二度目はつかんだブッシュが折れフォール。フラッシングの可能性のある澤田氏にリードを譲りました。しかし彼はブッシュのところに支店を取り、テンションをかけクラックを掘り起し、そのまま登り始めてしまいました。6ピッチのうちの5ピッチ目までオンサイトかフラッシングで登ってきたのに、最終ピッチはそのどちらもかないませんでした。その時は雨が降り始めていたし、後続に同じチーム84の仲間も続いていたので仕方なかったのですが、私としては残念でした。後でそのことを澤田さんに話したら、彼はオンサイトとかフラッシングに全くこだわっていなかったということで、彼としては十分満足のいくクライミングだったとのことでした。要するに、彼は名誉とか偉業と達成するとか、そういうことにはまったく関心がなく、ただただ自分が満足するクライミングができればよいという気持ちだったのでした。

 

 「大武川一の沢大滝」のアイスクライミング

 一の沢大滝は、以前にチャレンジしていたのですが、アプローチが悪く日帰りは断念していました。その頃澤田さんも忙しく、日帰りでしか登山ができない状況でしたので、一緒に一の沢大滝を日帰りで登ろうということになりました。一緒にプランを練り、左岸の尾根からアプローチしようということになり、その結果日帰りが実現しました。

 

 「東日本大震災ボランティア」

 東日本大震災発生直後、私は被災地の支援にかかわることになりました。そこで私が最初に声をかけたのが澤田さんでした。私は長期間現地に滞在することはできなかったので、私は以前から所属していた「月稜会」という山岳会をはじめ、多くの山仲間から寄付金を募り、主に澤田さんは、その寄付金を使い、現地に長期滞在できる山仲間を集めてもらうようにお願いしました。そうしてできたのが「被災地にクライマーを送る会」でした。私たちは岩手県宮古市に拠点を構える盛岡YMCAの活動に協力することになりました。彼の人柄か、澤田さんはあまり表には出ず、いかにも私が創設者のようにふるまってきましたが、本当は彼がいなければ活動が始まることはありませんでした。彼のほかにも創設からかかわってくれた水野さんや廣川さん、最初に現地に乗り込んでくれたけいちゃんや竹内君、石田君、加藤君、畑さん、日本キリスト教団宮古教会の森分先生など、多くの方に支えられ、いまだに活動は続いています。たぶん、この会にかかわってきたメンバーも、澤田さんがこの会にどれだけ貢献してきたかご存じない方も多いでしょう。だから今言いますが、実は創設したのは私だけではなく、澤田さんと一緒に立ち上げたのです。

 

 「瑞牆 クラック地獄エリア」の開拓

 今となっては人気のエリアですが、「瑞牆山 クラック地獄エリア」。私が開拓を始めたと思っていたのですが、実はカナダで亡くなった後輩のじろー君がこのエリアの看板ルート「カヌー」を初登していたことが後から分った岩場です。この岩場に走るクラックを登りに行った最初は、亡くなったけいちゃんとユッキーが一緒でした。その後再びユッキーと石田君を伴い訪れた後からは、ほとんど澤田さんと一緒でした。私と澤田さんは、主にマルチピッチのグランドアップに専念しました。「オリジナルルート」「南面オリジナルルート」を登りましたが、澤田さんはそのほかにも別のパートナーともこの岩を訪れ、いくつかのクラックを登ったようですが、私が聞いてもはっきりしたことを覚えておらず、全くルート図を作ろうとか、雑誌に発表しようとか、ほんの少しも思っていなかったようです。やはり自分の満足するクライミングができれば、それはそれで完結したという考えは変わっていなかったようでした。今発表されている「リアス式エリア」や「瑞牆ロケット」などは、たぶん澤田さんが単独で何本か登っているはずですが、彼は全く初登の栄誉には無関心で、発表もしていません。そういう人なのです。

 

 星空を眺めていた澤田さん

 前夜泊で瑞牆に行くと、仮眠の前に、澤田さんはいつも星空を眺めていました。いろいろ星の話をしてくれるのですが、私は「きれいだな」とは思うものの、星座とか何等星とか、関心がないのでちんぷんかんぷんです。でもはっきり覚えているのは、いつも同じことを言う。「僕の奥さんは星が好きなんですよ」って。「今度ここに連れてきてあげたい」と。澤田さんは星空を見るたびにそういっていた。

 

 山での死を語った

 みな彼のやさしさを知っている。私と同じように、みな彼のことが好きだったと思う。そんな澤田さんが先に山でいってしまった。誰もが悲しんでいると思う。私もそうだ。でも、数年前にけいちゃんが山で亡くなった時に、私は澤田さんとけいちゃんの死について話した。「みんな悲しいとか残念だとかいう気持ちはわかるけど、けいちゃんは本当に素晴らしい人生を生きたよね。彼女にしか生きられない人生だったよね。だから拍手で送ったあげたいんだ。」 私と澤田さんの気持ちが一緒だった。

 だから私も澤田さんを拍手で送ってあげたい。「あなたにしか送ることのできない素晴らしい人生を送った。」と。そしていつか神様の国で再会しましょう。その時は何歳の澤田さんに会えるのだろう。この世では年下だった澤田さんが神の国の先輩になっているのだろうか。

 

 

 

 


それでも拍手で送ってあげたい。

2019-05-19 01:01:01 | 山とクライミングの話

今日非常に衝撃的なニュースが流れた。ブログなんて書いている場合ではないくらいショッキングな出来事なのに、でも書かないわけにはいられない。

今までたくさんの山仲間が山でなくなっていった。友達が山でなくなったのだから感傷的にならざるを得ない。だけど私と彼は、他の人とちょっと考え方が違うところがあった。

数年前、私と彼の共通の仲間が山で命を無くした。有名な登山家だったのでネットではたくさんの感傷的な言葉が渦巻いた。もちろん私にも彼にもそういった気持ちがなかったわけではないが、でも危険なことをしている我々は、心のどこかで「死」に近いところにいることは感じている。それでも精一杯生きることを実践していて、それでも生き抜いていることを喜びにしていた。こういうことを言うと、「自分勝手」とか「迷惑」とか言われることもあるが、でも我々のような人種は、そういう生き方ができるということはうらやましいし、たとえ命をささげても、そう生きたいと思うのだ。彼女が亡くなった時も、私と彼は「素晴らしい人生だったよね。拍手で送ってあげたいよね。」と語り合った。そう語り合った相手が山でなくなったのだ。

私は彼と最初に会ったとき私は「いつかはカムチャツカの山に登りたい。」と話した。カムチャツカの経験のある彼はいろいろ体験を話してくれた。「カムチャツカには登られていない2000mの岩壁があるんだよ。いつか登りに行きたい。」といっていた。その壁にチャレンジしに行くことを数日前に知り、「登ってほしい」「登れなくても無事に帰ってきて話を聞かせてほしい」と思って送り出した。でもそのカムチャツカで命を落としてしまった。

私は彼の人生は素晴らしかったと思う。自分が挑戦したいことにチャレンジしてきたし、何より登山家としても、一人の人間としても本当に素晴らしい人間だった。私はこの人が本当に好きだった。ただ信頼できるクライミングのパートナー以上に、人間として信頼でき好きになれる人だった。私だけではない、みんなそう思っているだろう。

でも残された奥様とお子さんは、私のように割り切れないかもしれない。ただ奥様にいえるのは「あなたが選んだ彼は、本当に素晴らしい人でした。」お子さんに言いたいのは「あなたのお父さんは、みんなに愛される素晴らしい人でした。」

涙があふれて仕方ない。


「違和感を覚えるクライミング用語」に対するコメントを読み返してみた。

2018-05-19 01:55:11 | 山とクライミングの話

数年前に「違和感を覚えるクライミング用語」という投稿に対してコメントをいただいたが、改めて読み返してみました。

海外でもちゃんと通じる用語かどうか、参考になりますね。

以下、いただいたコメントです。

 

クライミング用語 (岳人)2015-07-31 17:41:19こんにちは。検索で通りかかり、ブログを楽しく読ませていただきました。この記事の内容についてどなたもコメントしていらっしゃらないようでしたので、私の知っている情報を共有したいと思います。私が読んだり聞いたりした範囲での知識ですので、間違っていたらご容赦下さい。

Natural Protectionというのは、おっしゃるとおり岩や木などをプロテクションとして利用することで、カムなどを「ナチュプロ」に分類するのは間違いです。カムなどは、正しくはRemovable Protectionと言うようです。

Climb Downは正しい英語です。クライミング用語というわけではなく、「木から降りる=climb down from a tree」のような通常の会話でも使われます。

Lowering-downという語も、クライミング関係の本や映像などで見かけますので間違っているわけではないと思うのですが、一般的にはLowering-offの方がひろく使われているように思います。

Rope Climbingは、ご指摘のとおり英語ではもっぱらロープを手でつかんで登るものを指すようです。ロープを使用したFree Climbingに対しては、Ropeを形容詞化してRoped Climbingという言葉が使われているのをよく見かけます。これもご指摘のとおりですが、Roped ClimbingTop-Rope climbingあるいはTop RopingLead Climbingに分類されます。

また、クライマーが「Tension!」とコールするのは間違っていません。海外のクライミングのビデオでも普通に使用されています。このほかに、ご指摘にあった「Take!」「Tight rope!」などが一般的なコールとして使われているようです。意味はいずれもほぼ同じです。

以上、お目汚しですが、ご参考までに。


ロング&ファースト ハイキングシューズ

2018-05-16 00:49:57 | 山とクライミングの話

5月14日。月稜会の会山行で高尾山から生藤山まで歩きました。

今年月稜会は60周年を迎えるので、その記念に、高尾山から日本海の親不知まで、みんなでリレーでつなごうと計画しています。

そういうわけで、初回の今回はみんなで高尾山から出発したのでした。

 

その様子をお知らせするのではなく、使ったシューズのレポートです。

洗って干してある画像です。

今回使ったのは右のアディダスTEREXです。

真中は5.10アッセント、左はスポルティバのワイルドキャット。

 

スポルティバは白砂山(八間山経由の周遊)や皇海山(銀山平からの往復)などでも使いましたが、疲れにくい良いシューズでした。しかし欠点も見つかりました。それはソールがぬれた岩や木の根で滑りやすいということでした。この点においては5.10ノステルスならば全く問題がないのですが、残念なことに5.10のアッセントは長距離を歩く靴ではないのです。ソールが柔らかすぎて、たぶん山道を5~6kmも歩けば、足の裏が痛くなってしまうでしょう。ルーズな履き心地なので、ねじれた斜面を横切るような場合は、足が横にずれてしまいそうです。でもその良さは、狭い範囲で岩場を歩き回ったり、頻繁に脱ぎ履きを繰り返すような場合には便利です。つまりフリークライミングのお供にはうってつけ。

アディダスTEREXは足にタイトにフィットします。斜面のねじれのせいで足がずれるようなことがありません。

足首もタイトに見えますが、素材の伸縮性が良いので脱ぎ履きは楽です。まあ、ハイキングの場合は頻繁に脱ぎ履きすることはないので、あまり関係ないですが。

ソールは薄目ですが、新品なのであまり石などによる突き上げ感はありませんでした。使い込んでからどうなるか?

なかなか良かったのはフリクションです。ステルスと同等とまでは言えませんが、このコンチネンタルのソールは、ぬれた岩などのフリクションがいい。ソールパターンによる設置面積が小さいので、ぬれた岩などのフリクションに不安があったのですが、実際はいてみると、フリクションは上々です。たぶん泥を意識したパターンなので、それでもフリクションが良いということになれば万能に近いような気がします。

十分軽量なので、もう少し重くなってもソールを厚くするか固めにして足裏保護をしてくれれば最高です。ほかのモデルでそういうのがあるのかな?

アディダスはステルスを使って万能ロング&ファースト ハイキングシューズを作ろうとしているのかな。


昔の話 雪山避難小屋での粋なリーダー

2016-12-28 00:59:45 | 山とクライミングの話

最近、友達が山に食料をデポして山に登るという話を聞いて思い出した話。

山のデポとは、目的の山行以前に山に入り、食料などの必要な物資をあらかじめ山の経路に保存しておくことです。そうすることによって入山時の荷物を軽くすることができ、行動のスピードを速くすることができる。最近はこういう登山をする人が少なくなった。そうするほど大掛かりな登山が少なくなったのかもしれないが、「ワンプッシュ」「ファーストアッセント」という考え方が一般的になってきたからかもしれない。デポをすれば「ワンプッシュ」ではないし、背負えるだけの荷物で目的を達成するのが「ファーストアッセント」になるから、最近は「デポ」をする人は少なくなったようだ。でもこの方法も経験する価値はある。実に計画的で合理的な方法だと思う。信念に照らし合わせて受け入れない人もいるとは思うが。

「思い出した話」というのは「デポ」とは少し違うが、冬季避難小屋での「非常食」にまつわる話だ。

もう30年ほど前の話。私はゴールデンウィークに雪山に向かった。テント泊で2泊3日の予定だった。出発時は快晴だったが、お昼ごろになって空には雲がわき始め、雷鳴がとどろくとあられが降り始め、猛吹雪になった。私は通り過ぎた冬季避難小屋に引き返し早々に寝袋に潜り込んでいた。1時間ほどすると数人のパーティーが入ってきた。リーダーらしき登山者が「先客が寝てるから静かにやれよ」というと、みんな荷物を広げ寝床を作り始めたようだ。続いてリーダーが、「そこにある缶から食料を出せ」という。言われたメンバーは「これを開けるんですか?」と問いただしている。「缶」とは避難小屋に備え付けられていた非常食のことであることは私にもわかった。缶には「非常時に食べてください」と書かれていた一斗缶だ。「なんて悪い奴だ」と思いながら、寝たふりをしながら聞き耳を立てていた。言いつけられたメンバーは「非常食開けちゃまずいんじゃないですか」と言っているが、リーダーは「いいから開けろ」という。メンバーは仕方なく開け始めるが、リーダーは「バカ!もっと丁寧に開けろ」という。開けた形跡を残さないようにしているんだなと思い、リーダーは確信犯的な極悪人に違いないと思っていた。

メンバーが缶を開け終えたころ、リーダーは「お前たちが持ってきた保存のきくものを缶に入れて、缶に入っている古い食料と入れ替えろ」というのだった。メンバーはリーダーの意図を理解し喜んで作業を続けたのでした。リーダーは、非常食の古いものを自分たちでいただき、代わりに新しい食料に入れ替えようとしていたのです。「丁寧に開けろ」というのは、缶に張ってあったガムテープがちぎれないように開けろということだったのです。私も寝たふりをしたまま感激していましたが、とうとう我慢ができなくなり、そのパーティーの仲間に入れてもらい、一緒に宴会を楽しんだのでした。このリーダーは以前に単独で登山中、悪天候で冬季避難小屋に数日間閉じ込められ、小屋にあった非常食と燃料に助けられたことがあったそうです。それから会の後輩を連れてこのような経験をさせているのだと言っていました。粋なリーダーです。

翌朝は大量の雪が積もっていましたが、私は山頂に向けて出発しました。かのパーティーは避難小屋の近くで雪上訓練をして下山することにしたそうですが、私が出発するときにはみんなが「お気をつけて」と送り出してくれたことを思い出します。


クライミングジムで子供たちを邪魔者にしたくない

2016-12-25 01:02:15 | 山とクライミングの話

今日もクライミングジムで子供たちのスクールを行いました。そのあとも自主練の子供たちに立ち会いました。

自主練に来るような生徒は、周りの大人たちと同じようにふるまえます。自分が頑張って上手になろうという気持ちが周りの大人たちと一緒だからだと思います。ジムに通う目的が周りの大人たちと一緒だから同じようにふるまえるのではないかと思います。そこに年齢の違いはありません。だから大人であっても子供であっても、一緒に楽しいクライミングができるのです。

でも、そういうクライミングの目標がない子供たちは、単に面白い遊びとしてはしゃいでしまうこともあるかと思います。それは子供ですからそういうことがあるのは当然だと思います。でも、真剣にスポーツに取り組むべきクライミングジムの中では許される行為ではありません。だから保護者の付き添いが必要です。付き添いというのは、その場にいればいいということではなく、必要に応じて注意を促したり手を差し伸べたりすることが欠かせません。真剣なスポーツですし危険も伴います。そこに子供たちが参加するのですから、保護者は子供から目を放すことなどできないはずです。

私はスクールに通ってくる子供たちを指導していますが、子供たちの安全はもっとも重要な課題です。それとともに、真剣に練習している大人たちから、子供たちが白い目で見られないようにしたいということに気を使います。そのためには、子供たちが真剣にクライミングに取り組めるようなモチベーション作りが課題です。そういうモチベーションをもっている子供は、周りの大人たちと一緒にクライミングを楽しむことができるのです。

だから子供にクライミングをさせたい保護者は、自らクライミングがどんなスポーツであるか理解していただき、それに基づいて適切な付き添いをしていただきたいと思います。遊園地や公園に連れてきて遊ばせるのだって監視は必要です。それに益して、クライミングという「自分の安全は自分で守ると」いうアクティビティーをするのですから、子供に対する保護者の責任は大きなものです。

私もスクールの間は子供たちの保護者です。言うだけではなく実行していきたいと肝に銘じます。


クライミングをしない人に聞かせたいクライミングの話(その2)

2016-12-10 01:19:11 | 山とクライミングの話

クライミングが2020年のオリンピック種目に決まったことを、喜んでいないクライマーもいます。

私個人としてはうれしいと思っていますが、このことを喜んでいないクライマーの気持ちもわかります。クライミングの楽しさってなんなんだろうと考えてみると、「誰かに勝つ」ということは全く大きな要素ではないんですね。今できないこと、難しいことを鍛えて考えて、少しずつ克服してクリアする過程が楽しいのです。それも自然に囲まれた癒される場所でできたら、さらに楽しいのです。そして気の置けない仲間と競うだけではなく、一緒に励ましあいながら登れたらもっと楽しいのです。だからクライミングが「誰かに勝つ」という競争にしたくないのではないでしょうか。

そして、オリンピック種目になることで、クライミング人口が増えることは、クライミングに対する認知度が上がり、理解が深まることはよいのですが、岩資源の少ない日本、冒険的な文化が遅れている日本では、オーバーユースの問題も含んでいます。登れる岩場が少ないのにクライマーばかり増え、ルールやマナーに疎いクライマーが増えてしまったら、岩場に立ち入り禁止の看板が立ってしまう。そういうことも懸念しているのです。昔はクライマーといえば世間から異質の人種に思われていたかもしれませんが、数が少なかったせいで目立たないし、少々社会の流れに逆らった生き方をしていても、それほど一般社会に対する影響はなかった。でも今は違います。クライマーだってちゃんとした社会人でないと、世間から批判される対象になってしまいます。今年ちょっと話題になった「天然記念物にクサビ」問題もそうです。「クサビ」はクライマーが目立たなかった時代、岩が天然記念物に指定される前に打たれたものであっても、クライミングが世間一般に認知されるようになると、こういうことも表ざたになってきます。

だから私も、目立たないようにひっそりとクライミングを楽しんでいたい。あまりクライミング界を騒がしくしてほしくないという気持ちがよくわかります。でもそのままにしていたら、自分の世代は楽しめるかもしれないけど、やっぱりこの国におけるクライミングの認知度を上げて、冒険的な文化を成熟させないと、いまクライミングを初めて頑張ろうとしている子供たちに、クライミングが楽しめる環境を残せないかもしれないと思うのです。

安全が確保できるエリートスポーツとしても、自分の命を自分で守る冒険としても、誰も成し遂げられなかったことを成し遂げるチャレンジとしても、クライミングという文化は残していきたいと思うのです。


クライミングをしたことのない人に聞かせたいクライミングの話

2016-12-07 01:10:42 | 山とクライミングの話

 スポーツクライミングが2020年の東京オリンピックの公式種目になり、都内を中心に日本の各地にクライミングジムが急激に増加しているようです。

もし渋谷の交差点で「クライミングをしたことのある人、いますかー?」と叫んだら、何人かの方は手を挙げるくらいにクライミングは認知されたスポーツになってきたような気がします。各地にクライミングジムができ、テレビでもスポーツクライミングが取り上げられる機会が増え、比較的手軽に体験できるスポーツになってきたように感じます。クライマーのファッションも一般的になっているような気がしますし、今ならクライミングウェアーを街できていても違和感がありません。

でも私がクライミングを始めた30年くらい前は、登山用ウェアーとしてのウェアーはありましたが、フリークライミングウェアーというのはグラミチくらいで、街で着ているとかなり違和感があったようです。私はその頃、グラミチのTシャツとズボンで、品川プリンスのトイレに入ったら、警備員に後をつけられました。不審者に思われたのでしょうね。それ以前のフリークライマーは、定職に就かず、岩場の近くで生活し、お金が無くなると街に戻って小遣い稼ぎをして、少しお金がたまると岩場に戻ってくる、いわゆる「バム」が多かったのですね。しかもいでたちは反社会的勢力のようなヒッピースタイルが多かったので、まっとうな社会人から見ればかなり異質な人種だったのだと思います。

今はジムに行っても岩場に行っても、ほとんどまっとうな社会人のレジャーやスポーツの場になっています。岩に触ったことがなくてもジムで強くなるクライマーのほうが多くなってきたようにも思います。人の殺し合いがスポーツになるくらいだから、危険な岩登りがスポーツになるくらいは全然不思議でもないのですね。

持論ですが、クライミングというのは本質的には冒険です。スポーツとして始めて冒険の世界を知るクライマーが増えていますが、それも良いと思います。本物の岩場でも、あらかじめボルトというプロテクションが設置されているスポートルートが多いのですが、さらに冒険的なのは、自分で何も人工物のない岩にプロテクションを設置しながら登るクライミングがあり、もっと冒険的なのは山の山頂をめざし、厳しい自然環境を克服して登るクライミングがあります。そのように考えると、今のクライミングというのは、私が体験してきた過程の逆を行っているような気がします。

私の出発点は厳しい山登りで、岩場の通過の練習が山岳地帯でのクライミング。さらに山岳地帯のクライミングでも特に厳しい条件の練習が、自分でプロテクションを設置しながら登る「トラディッショナルクライミング」。その中でも安全に非常に困難なクライミングを練習する場がスポーツクライミングでした。

そう考えると、今の社会で認知されつつあるクライミングって、私が経験してきたクライミングとは逆のアプローチになっているように思えるんです。