タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

スマホ登山

2019年01月23日 | 山歩きから
Hiroshi君と二人で野貝原山に行きました。

野貝原山はわが裏山の隣の山、といってもいいような山ですが、登山としてこの山に登ったことは一度だけです。

その一度は若いころ、わざわざ藪こぎをして県道から強引に登った記憶があるだけです。

というわけで、登山道を登るのは今回が初めてのことです。タカ長の登山はピークハント型の180度逆なのです。

    

マイナーな山に登るときはいつも取りつきでもたつきます。

登山口の案内など何もなくて、、、、、例えば民家の物置のそばから山に登り始める、、、、というような状態ですから、もたもたするのが当たり前といえば当たり前です。

しかし、今は強力な味方がいます。スマホの地図アプリです。

登りやすいところを行くと、どうやらルートから外れているようで、、、、

そこで修正して、、、、、、

    

自分の想定したルートに戻ることが出来ました。

二人ともまだまだ若いので、強引に尾根に登りました。

ウロウロしている間にまわりの様子が少しずつ理解できて、、、、、

それにスマホからの情報を見ると不安感をまったく感じることなく初めての山を歩くことができます。

    

その軌跡です。

    
少し歩いては現在地を確認していたのは良いのですが、、、、

ウッカリして軌跡が取れていませんでした。そのため変なところから軌跡が始まっています。

マクロで見ればほぼ想定通り歩いたのですが、細かく見るとネットで得た情報とは違うところを歩いたような気がします。

それでも1%の不安もなく初めての山を歩くことが出来るのは「スマホ登山」だったからでしょう。

スマホを持たないで、従来のように地図だけで歩いたら、登ることは出来ても、心のどこかには少なからず不安はあったはずです。

そのような不安を感じることなく初めてのルートを登ることが出来たのですから、タカ長としては大満足です。

これだけでスマホにした価値があったようです。

    

ルートに戻ればこれといった問題はありませんでした。

スマホで自分たちが向かっている方向を確認しながら登ってゆきます。

頂上が近くなったような雰囲気が感じられるところまで登ると、、、、、

    

方位岩と表示のある岩が現れ、、、、

その岩を過ぎてしばらく登ると、、、、

    

めでたく頂上に到着です。

野貝原山の山頂部はテーブル状で広くて、かつては車で登ることが出来ました。

そこにはレジャー施設もあり、ずいぶん前のことですが、そこで会社の忘年会をした記憶もあります。

しかし、その施設は廃屋状態になり、テーブル状の山頂部がどのようになっているのか知りません。

今日はそのようなことを確認することなく下山しました。

    

その前に無事の登頂を祝って(?)赤飯のおにぎりで昼食です。

野貝原山は700メートル級の山で、その下を車で走っている時は大きな山には感じないのですが、、、、、

実際に歩いてみると思った以上に奥が深くて、いい山でした。

一度だけの登山では様子が分からないので、後日また登ってみたいと思いました。

それにしてもスマホの地図アプリ、有難いですね。そのことを実感した登山でした。



   

平家山から源氏山

2019年01月22日 | 山歩きから
仲間たちとの山歩き、今日は先日下見を済ませた平家山から源氏山へのコースを歩きました。

天気は晴れ、少し気温が高くなりましたが、最高の山日和になりました。

そのため今日は写真をたくさん並べることにします。

      

そのコースです。

軌跡のスタート地点に設定したのは麻里布中学校です。ここで朝礼を済ませて、、、、、

    

歩き始めます。

室の木町の民家がきれるところから山道に入ります。

    

前回の下見ではここが分からなくてウロウロしました。

分かってしまえば簡単なことですが、チョッとのことで苦労するのが下見です。

    

    

平家山への登りは距離はないのですが、急登はあります。

少し登るだけで展望が開けてくるので、その展望を楽しみながら登ります。

すると、、、、

    

    

すぐに平家山の山頂につきます。

ご覧のように天気が良いので、ここでゆっくりと休憩しました。

そして、、、

    

まるで鉄塔めぐりのようなコースに入ってゆきます。

三つ目の鉄塔のところから右側に下りてゆきます。

    

    

シダの谷というかウラジロの谷というか、、、

距離は短いけど、なかなか雰囲気の良い谷に下りて、、、、

    

沢を渡り、帰りに利用する道を横切るかたちで源氏山への尾根に取りつきます。

    

こちらも急登があるといえばありますが、問題にするような登りではありません。

この登りでスミレの花が一輪咲いていました。

そこから少し登るとまたまた鉄塔のそばを2回通って、、、、

    

源氏山へ到着です。どこが山頂か分からないような平たい山頂です。

ここでまた休憩です。ここからは北東方面の山が見えました。低い山頂ですが展望は悪くありません。

    

その展望を楽しみ、、、

もうひとつ、今日の山歩きではたくさんの軍用機を見ました。すぐそばに米軍岩国基地があるからです。

ここで弁当にしても良い時間ですが、今日の予定は山を下りて豪華レストラン(?)に行って昼食と言うことになっています。

と言うことで、あまり長居しないで出発です。

    

この竹林のそばを通って、先ほどの谷すじの道に下りてゆきます。

    

特徴のある石垣のそばを下りると、、、

雰囲気の良い谷すじの道になります。

    

    

冬鳥がたくさんいてもおかしくないような道を下りてゆきます。

途中で双眼鏡を持った人に出逢ったので、鳥情報を聞き出そうとしたら、、、

その人は鳥の経験が少ないようで、ゆっくり話し込むような情報は持っておられないようでした。

    

山を下りて、国道2号線沿いの豪華な店に行き昼食をとりました。

   

左は仲間のモノ、タカ長は右の釜めしです。

いつもはコンビニのおむすびで済ませていますが、今日はチョッとだけ遠出(?)したので奮発しました。

まぁ、たまには良いでしょう。

と言うことで昼飯前の山歩きは無事に終わりました。

このコースは仲間たちに好評で、3月のファミリー登山はこのコースが良い、という声も聞こえました。

ネットで見つけた小さな山ですが、いい山が見つかった思いです。

しかし、その名前の由来はまだ調べていません。

地元の公民館に行けば分かるのでしょうか?ファミリー登山までには何かを知りたいのですが、、、、、、。



    

あの頃の山メシ~3

2019年01月21日 | 山歩きから
インスタントラーメン

餅つき大会は終わりました。

団地新聞の冬号はその日の様子を取り上げるので、これからがタカ長の出番です。

このところ山ばかりの毎日ですが、そろそろ「編集長」の頭に切り替えないといけないようです。

と言いながら山のことを考えています。

    

いまNHKが放送している朝ドラ「まんてん」はインスタントラーメンを開発した人の物語だと聞いたことがあります。まだその段階にはなっていませんが、そろそろ日本最初のインスタントラーメンが紹介されることになるはずです。

        

タカ長が登山を始めたころはそのインスタントラーメンの草創期だったように思います。

そのころ広島の某食品メーカーのインスタントラーメンが売られていました。そのインスタントラーメンは味が良くてお気に入り、何度も山メシとして使いました。

しかし、難点もありました。調理してすぐに食べないとドロドロになる代物でした。今の時代では売り出すことのできないレベルのものでした。そのようなものが堂々と売られていたのは、インスタントラーメンの草創期だったからではないでしょうか?

    

あの味は何の味だったのか、今となっては、何やらあやしいものを食べさされたような気がしないでもありません。しかし、当時のタカ長にとっては間違いなく美味い山メシでした。

その程度の山メシは思い出せますが、それ以上のことはやはり分かりません。

コンビニもない時代、昼飯は何を食べていたのでしょうか?


団地の餅つき大会

2019年01月20日 | 日々雑感
今日は団地の餅つき大会でした。

この餅つき大会に参加する人は年々増えて、今では団地の一大イベントになっています。

今日の天気予報は良くなかったのですが、何とか雨に遭わないで終えることができました。

    

男性軍の主な仕事は「かまど奉行」です。

団地住民には「10時から」と案内していますが、その時間にはある程度の餅をつき上げておく必要があるので、関係者は早朝から準備することになります。

    

餅をつくのは大人ですが、子どもにも杵を持たせます。

リクエストが多いので短時間しか持つことは出来ませんが、子どもたちにはいい思い出になるはずです。

    

これはお隣さんの孫、チカちゃんです。最年少のつき手?

子どもたちには杵を持たせてやりたいし、この時間が永くなると冷えてしまうので、ホールの中のもみ手はハラハラしています。

    

餅は豚汁やお汁粉に入れて頂きます。

タカ長ももいちろん頂きましたが、今年の餅はキメも細かい感じで、例年より良い出来でした。

    

ご覧のように「臨時レストラン」は大繫盛です。

ピーク時にはテーブルが足りなくなり、屋外のテントの下のテーブルを利用する人もいました。

このようなことになったのは初めてのことです。

年々参加者が増えているからでしょう。嬉しい悲鳴です。

この餅つき大会は参加者も多いのですが、このようなイベントをするには多くの人たちの協力が必要です。

そのボランティアの人たちもたくさん来られました。

多くの人が参加して成功裏に終わった餅つき大会、、、、、

会場では多くの触れ合いがあり嬉しくなりました。

餅つき大会に参加された人、それを支えてくださった人たち、本当に有難うございました。

お蔭さまでいい一日をす語すことが出来ました。



白い雲が、、、

2019年01月19日 | 山歩きから
    

今朝も裏山を歩いてきました。

天気は晴れ、山日和です。しかし、、、、

白い雲が見られました。

その雲を見て、、、、今日の話題はこれ、、、、ということにしました。

    

だから、このような写真を撮りました。

この写真が良いのか、それとも、、、、

    

これが良いのか、、、、、。

白い雲が尾根の向こうから流れてきます。

その雲を見ながら、そのむかし「観天望気」をしていたことを思い出したのです。

西のほうから巻雲が流れてきたら天気は下り坂、、、、

そのようなことを教わり、そのことを頭において行動していました。

いまは小さな山しか歩かないし、天気の様子はテレビやスマホで、そう、スマホでリアルタイムに見ることが出来るので、本気で「観天望気」をする必要はないのかも分かりません。

でも、、、、これは忘れてはいけない登山技術のひとつだと思います。

その観天望気で正確な予報が出来ないとしても、雲の流れや風の吹き方に関心を持つことは出来ます。

それだけでも意味があるような気がするのです。

    

牛池は半分凍っていました。

といっても、申し訳程度のうすい氷です。

その氷を見ながら立戸岩を目指しました。ここが今日の目的地です。

    

その立戸岩からの展望です。県北の山には雪が見えましたが、ほんの少しの雪です。

目立ったのはスキー場の人工雪だけです。

この景色を見てから下山しました。

本日の歩数は13,200歩、タカ長には丁度よい半日仕事でした。


新年会

2019年01月18日 | 日々雑感
今日は山仲間との新年会でした。

忘年会はどこかの店で行っていますが、新年会は団地の集会所ホールで行うのが恒例になっています。

恒例といえば、以前は新年会の前に近くの小さな山を歩いていましたが、いまはそのようなプランは立てません。

宴会の日は宴会だけです。

 

ご馳走の一部です。刺身は買いましたが、その他のものは女性軍の手づくりです。

思った以上にたくさんのご馳走が並びました。

    

左はデザート類。これも買ったものですが、右のほうは手づくりのものです。

    

酒は差し入れされたものばかりだった?

何もしないタカ長はよく分かりませんが、とにかくこのような場をセットしてもらえるのですから有難いことです。

すごくいい仲間でしょう。これがタカ長の自慢のひとつです。

    

乾杯のあとは、、、

飲んで、食べて、歌って、、、、、楽しい宴です。

そちらのほうが忙しい(?)ので画像はありません。

飲まないタカ長はお茶を飲みながら最後までつきあいました。

今日もハッピーな一日、有難いことです。

     カラオケの窓にひとすじ冬日さす  鷹蝶

はい、陽が傾くまで楽しみました。

それにしても、宴席が好きだなぁ、、、、と我ながら思います。ノンアルコールでここまでやるのがタカ長の特技(?)です。




あの頃の山メシ~2

2019年01月17日 | 山歩きから
飯盒飯

キレイに晴れました。しかし、午後にはCT検査のため病院に行く予定です。

心臓に不都合なところが出たのではありません。15ヶ月前に治療したところが正常に動いているかをチェックするための検査です。

そのためせっかくの好天ですが、山歩きはひかえています。

    

当然のことかも分かりませんが、青春のころの登山は、回数的には日帰りの山が多かったことは間違いありません。
 
コンビニもない時代、そのころの昼飯は何を食べていたのでしょうか?その記憶はまったくありません。

タカ長はパン食派ではないので、米の飯を食べていたことは間違いありませんが、具体的な記憶は本当にありません。おそらく梅干し入りのおにぎりなどを食べていたのでしょう。

       

のんびり歩きの登山では飯盒飯を食べたこともありそうです。テント泊の登山では間違いなく飯盒飯でした。

その飯盒飯は夕食だけではありません。夕食で残したものは翌日の朝食、そこで余ればそれが昼食になりました。とにかく、出来るだけ多く炊いたものです。

    

最後は飯盒に残した飯にお茶をぶっかけてお茶漬けにするのが通例でしたが、お茶を沸かす時間が取れないときは沢の水を飯盒に入れて、お茶漬けならぬ「水漬け」を腹に流し込んだこともあります。

その時のおかずは何だったのか、その記憶はまったくありません。おそらく塩こぶとか、その程度のものだったのでしょう。何を食べても美味かった青春のころの昼飯です。

    

飯盒飯といえば思い出すことがあります。

近所の医院の婦長さんから、近くの山での山メシの世話を頼まれたことがあります。婦長さん他数名の看護婦さんたちとの山メシです。

しかし、当日はあいにくの雨でした。

雨の中でも飯盒飯を炊けるようになったら一人前だ、と偉そうなことを言いながら飯を炊きました。 

    

そして、雨の中何とか飯盒飯をたきましたが、雨の中で火を消さなことに神経が集中していたようで、炊きあがった飯盒飯は黒く焦げていました。失敗といえば失敗ですが、少し焦げ臭いのを我慢すれば美味しく食べることが出来ました。

その意味では成功で、山男の面目をほどこしたような、、、、

だからといって思い通りの飯盒飯を炊くことが出来なかったので、山男の自尊心を傷つけられたような気もして、ちょっと複雑な味がする飯盒飯でした。



あの頃の山メシ~1

2019年01月16日 | 山歩きから
     

ヤミ鍋

先日紹介したこの本に「コンビニがない時代、弁当はどうしていた?」という一節があります。

そういえば、当然コンビニもありません。弁当はどうしていたのでしょう?特に夏、保冷パックもないのに、、、、。
それについてはよく覚えていないのですが、(以下略)。


著者の徳永哲哉ガイドはタカ長より17歳若いのです。その徳永ガイドが覚えておられないのですから、タカ長が青春のころの山メシのことを覚えていなくても何の不思議もありません。

しかし、断片的な記憶は少しだけあります。その乏しい記憶の話です。

    

広島高等師範学校山岳部OBの猛者に連れられて冬の大山に登ったときのことです。
風雪の山で下山できなくなっている九州から単独行の人に遭遇、私たちについて下山してもらったことがあります。結果としては人助けしたことになります。

無事下山したその登山者が牛肉を土産に持って私たちのテントを訪ねてきました。その夜はその牛肉を入れた豪華なすき焼きになりました。冬の大山にしごかれて、予定を早めて下山する彼、私たちにはそれが最後の夜でした。

何もかも自分たちの肩に担いで登らないといけない当時の登山、食料をはじめすべてのものは必要最低限のものだったはずです。そこの届けられた多めの牛肉、それを一度に食べるすき焼きがまずいわけがありません。

ひと山終えた充実感とご馳走。その登山者をふくめた夕食は盛り上がりました。この夜の山メシはタカ長の山人生最高の山メシだったようにも思えます。

    

季節は問いませんがテントを担いでの山行き、最後の夜は残りものを全部鍋にして食べていたようです。文字通りの「闇鍋」で、明るいところでは食べられないようなものだったのかも分かりません。それでも不思議に味は良かったように記憶しています。

    

ヤミ鍋といえば、私たちの職域の山グループの納山祭(?)、山での忘年会ではヤミ鍋をしていました。そのルールはただ一つ、一人一品もって来て、それをひとつの鍋に入れること、それだけです。

まともな食材を持ってくる人ばかりではありません。何やらあやしげなものを鍋にぶち込む仲間もいました。それらをぶち込んだ鍋の味は味噌味だったのか、醤油味だったのか記憶にありません。しかし、その何とも怪しげな鍋が案外美味かったことだけは覚えています。

山メシのレシピ本が売れている昨今には通用しない怪しげな鍋ですが、タカ長には忘れられない青春のころの山メシです。



頑張って高齢者登山

2019年01月15日 | 山歩きから
    

仲間たちとの裏山歩き、今日は18名が集まりました。

この時期の、うすら寒い曇り日にしては多くの人が集まったようです。

今日はいつもと違って女性の参加者が目立ちました。

     

そのコースです。中国自然歩道を荒谷林道まで歩きました。

赤い軌跡は極楽寺山に登られる人の軌跡です。南から北に向けて登るのがこの山の定番コースです。

タカ長たちのフィールドは赤い軌跡と青い軌跡のあいだです。

スタート地点の右のほうが私たちの団地で、この団地の裏のほうにある山だから「裏山」と言っていますが、、、、

山上の古刹、極楽寺をベースに見ると、私たちのフィールドはこの古刹の裏のほうにある、とも言えます。

そのように私たちのフィールドは、二重の意味で「裏山」と言えるのかも分かりません。

    

今日は体力的にも楽な自然歩道コースを歩きました。

加齢にともなってこのコースの人気が高まっているようにも感じます。

    

ところで、今日のタイトルですが、、、、「頑張って」というのは山を歩くときに考えるのではなくて、、、、

家を出る時に自分に言い聞かせる言葉のように思えてきました。

私たちは「高齢登山者」ですが、タカ長などふつうに「高齢登山者」と言ってよいものかと考える歳になってきました。

高齢登山者ではなくて高齢登山者、と言う訳です。

そのようなことはどうでも良いことかも分かりませんが、たとえば高齢者の体力は若いころと比べたら〇〇%落ちている、というような資料には70歳までしか記載されていません。

私たちのグループの平均年齢はその70歳を超えているはずで、平均年齢を引き上げているタカ長はまもなく80歳になります。

    

タカ長にかぎったことではないでしょうが、誰も自分の年齢を意識しながら生活しているわけではありません。

山を歩いている人などは、気分的にはいつまでも20代か30代のつもり、のはずです。

しかし、気分はいくら若くても、私たちの体の経年変化を止めることは出来ません。

体が歳をとると、何をするにも億劫になりやすいようなので、、、、

だから、家を出る時に頑張って、山ではほどほどに歩くのが良いのではないかと思うのです。

    

そのようなことを考えるのはタカ長の言い訳かもわかりませんが、、、

どんなに頑張っても若いころのようには歩けないので、歩くときはほどほどに、というのは案外いいことかも分かりませんね。