タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

あの頃の山メシ~2

2019年01月17日 | 山歩きから
飯盒飯

キレイに晴れました。しかし、午後にはCT検査のため病院に行く予定です。

心臓に不都合なところが出たのではありません。15ヶ月前に治療したところが正常に動いているかをチェックするための検査です。

そのためせっかくの好天ですが、山歩きはひかえています。

    

当然のことかも分かりませんが、青春のころの登山は、回数的には日帰りの山が多かったことは間違いありません。
 
コンビニもない時代、そのころの昼飯は何を食べていたのでしょうか?その記憶はまったくありません。

タカ長はパン食派ではないので、米の飯を食べていたことは間違いありませんが、具体的な記憶は本当にありません。おそらく梅干し入りのおにぎりなどを食べていたのでしょう。

       

のんびり歩きの登山では飯盒飯を食べたこともありそうです。テント泊の登山では間違いなく飯盒飯でした。

その飯盒飯は夕食だけではありません。夕食で残したものは翌日の朝食、そこで余ればそれが昼食になりました。とにかく、出来るだけ多く炊いたものです。

    

最後は飯盒に残した飯にお茶をぶっかけてお茶漬けにするのが通例でしたが、お茶を沸かす時間が取れないときは沢の水を飯盒に入れて、お茶漬けならぬ「水漬け」を腹に流し込んだこともあります。

その時のおかずは何だったのか、その記憶はまったくありません。おそらく塩こぶとか、その程度のものだったのでしょう。何を食べても美味かった青春のころの昼飯です。

    

飯盒飯といえば思い出すことがあります。

近所の医院の婦長さんから、近くの山での山メシの世話を頼まれたことがあります。婦長さん他数名の看護婦さんたちとの山メシです。

しかし、当日はあいにくの雨でした。

雨の中でも飯盒飯を炊けるようになったら一人前だ、と偉そうなことを言いながら飯を炊きました。 

    

そして、雨の中何とか飯盒飯をたきましたが、雨の中で火を消さなことに神経が集中していたようで、炊きあがった飯盒飯は黒く焦げていました。失敗といえば失敗ですが、少し焦げ臭いのを我慢すれば美味しく食べることが出来ました。

その意味では成功で、山男の面目をほどこしたような、、、、

だからといって思い通りの飯盒飯を炊くことが出来なかったので、山男の自尊心を傷つけられたような気もして、ちょっと複雑な味がする飯盒飯でした。