「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

徹さんから地井さんへのメッセージ

2012-08-16 07:06:34 | 追悼
以下は地井さんのお別れ会での徹さんの弔辞全文です。
特別番組などではカットされてしまいましたが、地井さんと徹さんの関係性や太陽参加当時の雰囲気が伝わってくると思います。
徹さんらしい内容なので、ここでも記録として残しておきたいとおもいます。

(以下、産経ニュースより抜粋)

8月6日に東京都港区の青山葬儀所で営まれた俳優、地井武男さんのお別れの会。地井さんと親交のあった人々が、地井さんとはぐくんだそれぞれの思い出を語り、お別れを告げた。その主な言葉を再録する。

=ドラマ「太陽にほえろ!」で共演して以来、兄弟のように親しくしていたという俳優、渡辺徹さん=

 地井さん、今はただただ悲しいです。地井さんがいなくなってしまったことに、まだ実感を持てずにいます。地井さんにかわいがっていただいた俺たちは今、途方に暮れています。お見送りしなければならないこのような場で大変不謹慎ではありますが、地井さん、戻ってきてほしい。これが正直な気持ちです。

 「太陽にほえろ!」でご一緒させていただいて以来、地井さんはすべてにおいて人生の指針でした。俺が独身だった頃、近所にお住まいだった地井さんはよく俺のマンションを訪れ、土足のまま部屋に乱入し、「なんだ、女いないのか」と吐き捨て、笑顔で手土産をくださいました。あの頃は本当に迷惑でした。でも、あのときのイチゴのうまさはいまだに忘れることはできません。

 高知での長期ロケでは同部屋になり、酒を飲みながらいろんな話を聞かせてくださいました。芝居への思い、役者としてのあり方、人とのふれあい方など。まあ、大半が女性の話ではありましたが。寝食を共にさせていただいたあの時間は、俺にとって宝物です。

 地井さんの家にもお招きいただきました。ご家族の前で、世良公則さんのギターの伴奏で、即興で地井さんの過去の悪行三昧を歌いました。後で家の外でいただいたげんこつの痛みは今も覚えています。

 そして、俺が女房とつきあい出した頃、真っ先に撮影所で地井さんに紹介させていただきました。ものすごく喜んでくださいましたね。でもその後なぜか、地井さんがNGを連発したのはいまだに不思議です。

 自分に厳しかった地井さんは、いつも駒沢公園をランニングなさっていましたね。何度も誘っていただいたのに、一度も付き合わずにすみませんでした。

 大先輩にも関わらず、いつも同じ目線で、にこにこと接してくださった地井さん。いたずらっ子のような顔をして一緒に遊びながら、大切なことを教えてくれた地井さん。本当にありがとうございました。

 地井さんの病気療養と同じくして、俺も入院しました。そして、カテーテルの手術を受けた5月18日、ケータイに地井さんからの着信の記録が残っていました。気付くのが遅くなり後日連絡しましたが、何度かけてもつながりませんでした。きっと報道を見て心配してかけてくださったんですね。

 ご自分が大変な状況であったはずなのに、そんな時まで人の心配をしてくださった地井さん。もう一度だけ、地井さんの声が聞きたかったです。近いうちに一緒に酒を飲む約束だったのに。地井さんのふるさとのお祭りに参加する約束だったのに。そして「また一緒に仕事しような」って、おっしゃってくださっていたのに。

みんなみんな、地井さんが大好きなのをご存じでしたか。みんな地井さんと触れ合っていたかったことをご存じでしたか。みんなが自分の地井さんだと思っていたことをご存じでしたか。どれだけの人が地井さんの笑顔に救われたかご存じでしたか。

 私たちは地井武男という宝物をいただきました。そして、この宝物は一生手放しません。本当に、本当に、ありがとうございました。そして地井さん、お疲れさまでした。ゆっくりとお休みください。ありがとう、地井さん。
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