実は、昨年末から体調が低空飛行を続けて、正月休みは正しく「休養」となったけぶでございます<(_ _)>
仕事始めからフルスロットル社畜フル回転状態でありました。
そんな中でも、スマホで見ることができるツイッターだけチェックしておりました。
昨日のペッパー先輩のつぶやき、ある太陽ファンが亡くなったという。
確かに、50代ともなれば、否が応でも「死」は頭をよぎってくるものだと思います。
今朝、正月に探し物をしていて出てきた無印DVDを通勤中にチェックしたところ、ハモンドさん率いる太陽バンドのライヴ(札幌開催)だった。
確か「焼き増し」したDVDの1枚かと思うが、「太陽にほえろ!序曲」から始まる躍動感あるサウンドと、ハモンドさんの神神・・・もといカミカミMCに再び魅了されるとは・・・・あれ、このときだったっけか、すこ兄(HN:スコッチ野郎さん)が来道したのは・・・と。
ちょっと間が空いてしまったが、小職の「正式」メールアドレスの受信チェックを行う。
イタルさんより「スコッチ野郎さん」という表題のメールが届いていた。
「スコッチ野郎さんが、2年前(令和2年)の4月に、心不全でお亡くなりになっていた事を、お父様からの連絡で知りました。」
すこ兄が・・・死んだ!?
2002年5月、ロンリー太陽中毒だった小職がインターネットをひき、その勢いで太陽中毒をこじらせ暴走する中、当直室の掲示板を立ち上げ、他のサイトさんにも出没していた最初の頃に交流を持たせていただいたおひとりがスコッチ野郎さんでした。
何しろ、こちらは今まで溜まりにたまった太陽中毒熱を発散させるために、方々に毒をまき散らせておりましたが、出会う各人と話が合うということに本当に幸せに感じていた中でツーといえばカー的な的確かつジャックナイフのような切れ味抜群な回答を小職に返し、かつ抑え役に回ってくれた方でした。
まもなくお会いすることとなって、酒を酌み交わし、太陽談義に花を咲かせ、太陽しりとり合戦をし、ボン殉職の地やゴリさん被弾地を散策し、花園神社の溝も捜索した想い出がよみがえります。
豊富な知識と的確な発言で、当時の当直室常連さんの中では「ハマのボス」的な感じだったと思います。
素顔は、バンド活動もされていた過去があり「職人」的なお仕事をされていた方でした。小職としては太陽趣味以外のプライベートは極力世間話程度に済ませていたので、素顔をあまり知りません。というよりも太陽談義に終始したためか、そこまでお話する余裕なかったというのが正解かもしれません。
ただ、小職が一時当直室から離れ、かつ社畜となった頃から、疎遠となってしまったことが、今更ながらですが悔やまれます。
確か52,3歳で鬼籍に入られてしまったのではと思います。となれば裕次郎さんと変わらない年齢で旅立っていかれたということになります。
なんというか・・・太陽中毒の兄を亡くしたというか、辛い、寂しい、厳しい、悲しい・・・・・・。
ご冥福をお祈りするのは当然ですが、小職としては、このまま愚直に細々と、この当直室を続けるのが、哀悼の意ということなのか・・・・と思っています。
太陽50年、当直室20年、小職50年・・・月日がたつのが早いのはわかっていますが、ペッパー先輩も仰られていましたが、人生もとっくに折り返し地点を通過して、残り少なくなってきた感が急激に襲ってきたところは正直あります。
コロナウイルスが落ち着いたら、太陽談義を徹夜で行える場を設けることができたら・・・・。