「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

見解いろいろ・・・13回終了、山さんからの伝言

2023-06-17 17:01:59 | 当直室日記

いやぁ・・・見解というのはいろいろありだと、今更ながら痛感するけぶでございます<(_ _)>

▼「小野寺昭 実は『太陽にほえろ!』って13回で終わる予定でした(女性自身)」
ぬ?小野寺さんはこのインタビュー内容をみるとそんなこと言ってませんが・・・(^_^;)
あくまでも最低13回製作予定で・・・というところで、裕次郎さんが降板すればあるいは終了していたでしょうが、当時のテレビ制作パターンを考えると、よっぽど視聴率がとれなかったとかトラブルが無ければ、裕次郎さんが降板しても少なくとも26回は進んだんじゃないかと。もともと番組の骨格が裕次郎さん抜きで企画されていますし、13回「読み切り」でもないので・・・・と言いつつも、現在の感覚からいけばまったくもって「アリ」なのですが(^_^;)

最初のワンクールって、裕次郎さんならではの主演作は、#9と#12ぐらいで、あとから入れ込んだ感じで、これがトップクレジットの扱いではないですよね。仮にもトップクレジットであれば早い段階で主演作を差し込んでいたと思いますし、何しろ裕次郎さんお自身の参加当初のスタンスを考えると、制作側があまり裕次郎さんを目立たせないようにするという「保険」だったように思います。

13回で打ち切りとなった『ターゲットメン』がYouTubeで配信されていますが、あの番組はスパイアクションブームの余韻の最後の灯、近藤プロデューサー作品以外はほぼ淘汰されていた時期ですし、さらに放送枠である土曜8時という難しい枠に敢えてチャレンジした姿勢には感心するところですし、小林旭さんもアクション面で相当やる気ではあったようですが・・・・8時台のドラマって難しいというのは、今も昔もあまり変わらないかもしれませんね。(『あいつがトラブル』も土8か・・・・)

▼石原プロ製作
未だに太陽は石原プロ製作であると誤解されていますが、本放送のしかも芸能ライターですら勘違いしていた人が多かったことを「国会図書館アーカイブ」巡りで改めて認識。石原プロの借金額までわかっていながらな人もいました。
他のネタ・・・1975-1976年ごろ。
 *小野寺さんのブロマイドが爆売れ→3人子持ちの30男性では異例・・・・と不思議がっておる記事筆者ですが、当時は有名スターやアイドルが売り上げ上位の中心でしたから、意外だったんでしょうね。(殿下人気が優先しているので・・・)
 *木村理恵さん、理想の男性は田村正和さんとテキサス(勝野さん)・・・・!
 
▼山さんからの伝言
デューク退場編であり、最終回まであと3回。
金田さんは1年契約のご出演でしたが、裕次郎さん降板等の事情もあり、次のお仕事ギリギリまで登板されたそうで、当時の状況から行けば最終回も制作時には確定していたと思われ、デューク本人エピの降板劇を作ることを敢えて避けたのだと、当時から思っています。

もう一つ、太陽の顔であった山さんの回顧作を作っていなかったことから、これらの要素を落とし込んでこの作品が生まれたのだと思いますが、何しろ最終回を控えているためあくまでも地味に終了してしまったのはデュークファンとしては納得できない部分はあったかとは思いますが、小職としては腑に落ちた作品でした。
やっはりね・・・・ソリーナが弱点の小職としては、陽だまりの会話から飯田節子の告白までは、今でも号泣ポイントであります。
(台本の決定稿、放送日の印刷がなく、警視監も神山さんではなく、浜野(滝田裕介さん)の予定でした)

ところで、この飯田寮事件。
これも見解がいろいろあると最近感じたところで、飯田に山さんが「情をかけた」と結論付けている人が居て・・・・。
申し訳ありませんが、小職の意見としてはドック同様「それはない」という結論なんで(^_^;)

小職の結論ポイントとしては、

*白紙のノート→あまりにも飯田含めた子供たちの自白供述が多すぎて、書きまとめる前に下書き的に書いていたが、結局前後ページが残るように破り捨て、さらには未来の飯田死去後の顛末も含め自ら書き加えようとして白紙を残した。
 (無論、山さんは自分が死ぬとは思っていなかったわけで)

*デュークが節子へ問いかけた「山さんの行動言動」と山さんの実際。
 デュークは、節子に対して当時の山さんは「罪を見逃しましょう」といったのではないか等、山さんが情をかけた旨の問いかけをして、節子は「仰る通り」と言っています。
 しかし、節子の口から実際の山さんの彼らへの事件のケリをつけた会話は、飯田の自白に「それは事故だ」、それでは気が済まない飯田に「それでは死期が近づいたときに遺書にでもお書きなさいといって笑って帰った」とこの2点だけ。
 節子のデュークへの「仰る通り」は節子自身の推測が多く加味されており、第三者的目線での感覚ではないので、あてにはなりません。
 ただ、なぜデュークがあそこまで山さんが情をかけた旨を問いかけたかというと、実際の状況を聞き出すための「敢えての呼び水」だったと思っています。
 さらに言うと、罪の意識に苛まれたままで、飯田寮側の人々が「免罪」されたとしても、そのままで気が済むわけがなく、仮に山さんが事故であることをいくら説明しても納得しなかったでしょうから、この場合、山さんと飯田の間に暗黙の了解が出来上がっていたものと思います。飯田は自分が生きている間は子供たちを抑える、仮に飯田が亡くなった場合は山さんが引き受けるというものが・・・・なので、この状態はどちらに転んだにせよ「情」をかけたことにはならないし、山さんは捜査員としての的確な結論付けをしただけと小職は解釈しています。

*捜査の結論
 デュークも警部も行き着いた先は、パニック状態の中での事故死。これは山さんもたどり着いた結論だと思います。
 そしてこれが、「山さんからの伝言」がちゃんと伝わったという証であるかと。

なので・・・今更ながら、デュークって大したキャラクターだったんですよね。
山さんのやり残した仕事を見事解決、おそらく飯田寮の面々にも説明したのだと思います。(孤児たちも大人になっていることですし。)


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