<金屋子神社 かなやごじんじゃ>
金屋子神に関する伝承を読みますと、
「猟奇的」「血なまぐさい」とでも
表現したくなるような内容が散見されます。
恐らく、それらの内容が意味するのは、
「生贄」や「人柱」を禁忌としない人々が、
出雲にやってきたということなのでしょう。
つまり、金屋子神および75人の子供たちは、
渡来氏族の中でも「ある特殊な習俗を持つ人々」
だったのかもしれません。
そこで気になるのが、金屋子神がすがったとされる
「藤」そして「みかんの木」が何を示唆するかですね。
ちなみに、長野県の諏訪地方には、
「出雲を追いやられたタケミナカタの神が、
諏訪湖のほとりで体を休めていたとき、
地主神である洩矢(もりや)神が、
鉄輪を掲げながら攻めてきたため、
藤のつるを縄にして応戦した」
という伝承が残っていました。