<宍粟市・たたらの里学習館>
昨日、『金屋子神祭文』の中に記された
「村下(および金屋子神)が犬に襲われ命を落とす」
という話をご紹介しましたが、
近隣地域に伝わる昔話の中には、
「犬に吠えられた金屋子神は、蔦を伝って逃げたが、
蔦が切れて犬に噛まれて亡くなった……」、
あるいは「蔦ではなく麻苧に絡まり亡くなった……」、
さらには「蔦は切れたが藤(もしくはミカンの木)
につかまって助かった……」など、
若干細部のニュアンスを変えながら、
金屋子神の素性を暗示させる文言が残されていました。
仮に、「犬」という言葉が、各々の氏族の
「山師たち」を指しているのだとすれば、
村下は自らの同族であった安倍一族の
タタラの民に襲われたとも解釈できます。
さらに、「麻」を麻の栽培を広めた忌部氏、
「蔦」を葛との関連を元に葛城氏に当てはめると、
両氏族が安倍一族に協力した可能性も出てきますね。
恐らく、この部分が描こうとしているのは、
出雲族の配下の「犬」と播磨族の配下の「犬」、
つまり各々のタタラの民同士が、他部族と連携しつつ、
出雲の砂鉄を巡って対峙した場面なのかもしれません。