たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

播磨から来た神

2019-02-07 09:01:52 | 出雲の神社

<宍粟市千種町>

 

『金屋子神祭文』の冒頭には、播磨国にいた「タタラ集団」が、

さらなる生産地を求めて西へと向かった話が描かれていました。

何でも、金屋子神が最初に現れたのは、奥出雲の近辺ではなく、

播磨国宍相郡(兵庫県宍粟市千種町)付近でして、

金屋子の神は、日照りに悩む千種の村人に対し、

「わたしは金山彦、天目一箇神とも呼ばれる金屋子神である」

と告げ、彼らにタタラの技術を教えたのだそうです。

 

そして、「製鉄産業を広めるために西に行く」と言い残し、

白鷺に乗って飛び去って行ったのち、金屋子神社のある

能義郡比田の森(安来市広瀬町)に降り立ったのだとか。

ちなみに、千種町の「種」は、「鉄」を表す言葉で、

昔、千種町のあたりでは上質の鉄が取れたと聞きます。

となるとまず気になるのは、播磨にいたタタラの民が、

どのような出自の人々だったのかということですね。