<金屋子神社 かなやごじんじゃ>
「常世」「みかん(橘)」という単語から、
連想ゲームのように頭に浮かんできたのは、
皇極天皇の時代に「常世神」への信仰を説いた、
大生部多(おおふべのおお)という人物でした。
大生部多は、のちに邪教を広めた罪により、
秦河勝(はたのかわかつ)により征伐されますが、
彼が「常世神」という名で崇めていたのは、
みかん(橘)の葉を食す毛虫(幼虫)です。
田道間守の逸話を元に考えると、大生部多が信仰した
みかん(橘)の葉を食べる「常世の虫」とは、
「新羅の神」だった可能性もありますね。
ちなみに、金屋子神社の古い神紋は、
藤原氏由来の「下り藤」ではなく、
「菱井桁に橘」という図案なのだとか。
みかんの伝承が神紋の「橘」に影響したのか、
逆に、神紋の図柄がみかんの伝承を
生み出したのかはわかりませんが、
みかん(橘)を好み、みかん(橘)の木によじ登り、
命を救われたとされる金屋子神の姿が、
「常世の虫」と重なって見えてくるのは、
少々行き過ぎた妄想でしょうか……。