たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

鉄の神の争い

2019-02-20 09:19:49 | 出雲の神社

<多度大社 たどたいしゃ>

 

仮に、新羅由来の習俗を持つ渡来氏族が、

但馬国、播磨国などを経由し、

金屋子神への信仰とともに出雲に進出した経緯が、

『金屋子神祭文』に描かれているとすれば、

出雲で起きた「鉄の主導権争い」や、

それらの出来事を暗示したヤマタノオロチ神話が、

さらに具体性を帯びて迫ってくるようです。

 

一説によりますと、奥出雲のタタラの

棟梁である村下(および金屋子神)が、

麻(蔦)に足を取られて亡くなったあと、

次なる村下の立場を担ったのは、

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)だったのだとか。

天目一箇神は「鍛冶の神」であるとともに、

筑紫忌部・伊勢忌部の祖神とされる神様ですね。

 

播磨国の和気氏と出雲国の安倍氏の一件以外にも、

中国地方に進出した渡来氏族の間では、

出雲の砂鉄を巡る攻防があったのでしょう。

伊勢神宮の創建にも関わったとされる

秦氏の重要人物・秦河勝が、

異国の神を信奉する大生部多を討ち取ったように、

この出雲の地でも、伊勢と縁する氏族が、

金屋子神の名前を借りた、ある種の「邪教」

を成敗した歴史があるのかもしれません。