<香取神宮 かとりじんぐう>
==========================
出雲の伊耶佐の小浜に降り立ったタケミカヅチは、
十握剣を抜き、波頭に突き立てると、
剣先にあぐらをかいて座りました。
そして大国主神に対し、
「私は天上界の使者である。
天照太御神とタカキノカミ(タカミムスビ)は、
彼らの御子に葦原中つ国を支配させたい
と考えているが、そなたはどう思うか」と尋ねたのです。
==========================
もし仮に、タケミカヅチという神が架空の存在であるなら、
このとき天津神を代表して地上界に降り立ったのは、
いったい誰だったのかが気になるところです。
そのヒントを探すため、鹿島神宮とのつながりが深い、
香取神宮について考察してみることにしましょう。
実は、香取神宮の祭神である経津主神(フツヌシ)には、
斎主神(いわいぬしのかみ)という別名がありました。
一説には、斎主(いつぬし)が経津主(ふつぬし)
に転訛したとも言われておりますが、
これらの名称から察するに、香取神宮には
「祭祀をする者」がいたことが伺えます。
また、香取という名称は「かじ(舵)取り」
から来ているという説が有力視されており、
操船技術に長けた海人族の姿も重なりますね。
もしかすると、香取神宮という古社は、
古くは海人族の血を引く斎主が、
神剣をお祀りしていた場所だったのかもしれません。