<粟嶋神社 あわしまじんじゃ>
実は、出雲の周辺国に残る風土記の中には、
「大国主神と少彦名神がライバル関係にあった」
とも受け取れる記述が残っていました。
例えば、『播磨国風土記』を読みますと、
ニ神が旅の途中で我慢比べをした という記述がありますし、
また、瀕死の状態の少彦名神を、
大国主神が温泉の湯をかけて蘇生させたという
『伊予国風土記』の逸話も何やら複雑な背景を匂わせます。
いずれも、瀬戸内海沿岸の伝承ということを踏まえれば、
出雲や山陰地方以外にも大国主神の勢力が及んでいた、
あるいは大国主神と少彦名神に暗示される
首長と参謀のコンビで、各国の国造りが
行われていたことがわかります。
そして、ときに両者の間には相克が生じ、
不協和音も流れていたのかもしれません。
もしかすると、「少彦名神が常世に渡った」という部分は、
二神の決別を示唆しているのでしょうか……。