<出雲大社 いずもたいしゃ>
少彦名神が大国主神のもとを去る場面で、
日本書紀の筆者は「何か深い訳があるのだろう」
というニュアンスの文言を織り込んでいます。
「深い訳」とはいったい何だったのか……、
なぜ国造りの半ばで少彦名神はいなくなったのか……、
個人的には非常に引っかかりを覚える部分です。
ちなみにその後、大物主神が大国主神に対し、
「自らの御魂を祀れ」と、半ば脅しとも
受け取れるような台詞を口にしたことから、
大国主神は自らの御魂の「半分」を
三輪山に祀ることに決めました。
三輪山という土地には、複雑怪奇な側面があり、
ここでは詳しく触れることは控えますが、
言えるのは、記紀の時代から中世にいたるまで、
三輪山の神が常に、時の権力者を
恫喝していたという事実です。
冷静に考えても、自らの御魂が目の前に現れ、
要求を突きつけるという流れも不自然ですし、
「出雲」近辺の地名を散りばめた出雲神話に、
突如奈良の三輪山が登場するのも不可解です。
果たして本当に、大国主神を恫喝したのは、
大国主神の和魂だったのでしょうか……。