たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

一言主と雄略天皇

2018-10-15 09:04:52 |  出雲の神話

<葛城・一言主神社 ひとことぬしじんじゃ>

 

再び話は脱線しますが、出雲とも絡む出来事のため、

葛城の一言主神と雄略天皇とのやり取りについて、

もう少し詳しく見てくことにしましょう。

一言主神と雄略天皇の一件が初めて描かれるのは、

712年に編纂された『古事記の下つ巻の中』においてです。

ここでは、「葛城山へ鹿狩りに行った雄略天皇一行が、

まったく同じ格好をした一言主神の一行と出会い、

その神威に恐れ入って自らの武器や衣服を献上した」

といった内容が書かれておりました。

 

また、720年編纂の『日本書紀』では、

「一言主神に出会った雄略天皇は、

共に狩りをして楽しんだ」と内容が変わり、

797年編纂の『続日本紀』ともなると、

「狩りの獲物を争ったことで、

雄略天皇の怒りに触れた一言主神は土佐国に流された」

という具合に、物語のニュアンスが大幅に変化します。

そして、822年に編纂された

『日本霊異記』の中での一言主神は、

役行者に使役されるほど地位が低下してしまうのだとか……。

 

一説によれば、これらの一言主神の立ち位置の変化は、

賀茂氏(および葛城氏)の没落とも

関係するなどと言われておりますが、

個人的には、雄略天皇と一言主神という

「国津神」の影響を強く受けた両者が「葛城」で出会い、

その後一言主神が「土佐」に流されたという逸話には、

非常に意味深な伏線を感じるのです。 (~Wikipedia参照)