<葛城・一言主神社 ひとことぬしじんじゃ>
再び話は脱線しますが、出雲とも絡む出来事のため、
葛城の一言主神と雄略天皇とのやり取りについて、
もう少し詳しく見てくことにしましょう。
一言主神と雄略天皇の一件が初めて描かれるのは、
712年に編纂された『古事記の下つ巻の中』においてです。
ここでは、「葛城山へ鹿狩りに行った雄略天皇一行が、
まったく同じ格好をした一言主神の一行と出会い、
その神威に恐れ入って自らの武器や衣服を献上した」
といった内容が書かれておりました。
また、720年編纂の『日本書紀』では、
「一言主神に出会った雄略天皇は、
共に狩りをして楽しんだ」と内容が変わり、
797年編纂の『続日本紀』ともなると、
「狩りの獲物を争ったことで、
雄略天皇の怒りに触れた一言主神は土佐国に流された」
という具合に、物語のニュアンスが大幅に変化します。
そして、822年に編纂された
『日本霊異記』の中での一言主神は、
役行者に使役されるほど地位が低下してしまうのだとか……。
一説によれば、これらの一言主神の立ち位置の変化は、
賀茂氏(および葛城氏)の没落とも
関係するなどと言われておりますが、
個人的には、雄略天皇と一言主神という
「国津神」の影響を強く受けた両者が「葛城」で出会い、
その後一言主神が「土佐」に流されたという逸話には、
非常に意味深な伏線を感じるのです。 (~Wikipedia参照)