ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

ちょっと空が変

2015-08-27 23:30:06 | 日常
朝起きて寒かったので午前中がっちり湯に浸かって
それから食事や洗い物をしていたら時間ぎりぎりになってしまった。




午後から教会に行く。
実働始まるまでに今日を入れてあと5日、
来月から週日の昼間は勤務なので教会の聖書研究会も今日まで。




聖書はピレモン書の冒頭部分。
約2000年前の個人的な書簡。
個人の私的な手紙を新約聖書の正典に含めるかどうかで
長い歴史の間に議論もあったらしい。
自分が個人に宛てて書き送った手紙が
2000年後に全世界で読まれているとはパウロもびっくりであろう。(笑
迫害と戦禍を潜り抜けて1冊の書物となって、
今我々がこうして手している事そのものが一つの大きな奇跡ではないか。


教会の近くのスーパーで黒ブドウのキャンベルを買って来た。
中に種があって、皮を噛むと甘味と酸味と渋みが出て来る。
種と酸味のために敬遠されるのか、うちの近所にあまり売っていない。
入荷しても時期の遅い甘ったるくなった頃に
投げ売りみたいな値段で出回る。
私は出初めの酸っぱいのが好きなので今の時期に食べる。


バス降りた。
今日は、空が何だかおかしい。








帰宅して、写真整理の続き。
昨日一日中ヴァルヒャのバッハオルガン全集を聴いて6枚目で挫折、
今日は朝からケニー・ドーハムをずっと聴いている。
ずっと聴いていたい音。


舌の脇に口内炎が出来た。(痛
食べているもののバランスが悪いのかな。
今日は忙しかったのでもう眠くくなってきたし。
洗濯機が終わるのを待っている。zzz
眠い。
私の脳みそがもう午前0時だから早く寝ろと警告している。(20:14)


Twitterでお仲間の方と世相の話をしてちょっとだけ目が覚めた。

今、お仲間の皆様も私もその他の皆様も、
こうして安穏とネットを見ているけど、
たとえ戦争も恐慌も災害も何も起こらなくても、
間もなくそれどころでなくなると私は思っている。
介護難民、医療難民は危機感と共に話題になるけど、
実は我々はもう既に難民になっていると思う。
年寄だけの話ではなく。
世の中のいろんなツケが溜まりに溜まって
最終的に病人と老人と子供に皺寄せが来ているのはよく言われている。
老人と病人と子供。
金があっても通用しない。
世話をする職種で働く人間が絶望的に少ないから。
金を出してもいないものはいない。
のっぴきならないところまで来てると思う。
悲観主義ではなく、見て来たままを言っている。

例えば在宅介護一つとってもそうだ。
私の父はあれでも色々な面で人材を活用する事が出来て恵まれた。
この国で介護保険制度が発足した年から介護を受けるようになって、
発足から今に至る推移をひと通り体験して来たが、
父の介護の始まりの頃と今とを見比べると目の前が真っ暗になる。
病人や年寄りの側からは
希望する医療や介護を実質上選択できなくなりつつある。
今現在若い元気な人でもいつか同じ立場になる。

病気で入院しても、治っても治らなくても3ヶ月以内でとりあえず退院、
入院の時点で自宅退院するか施設探すか選べと言われる。
しかし施設は何処も空きがない。
自宅退院したとして、誰が食事や排泄の介助をするか。
配偶者や子供達の誰かが学校や仕事を辞めて家で看るか?
それでは収入が途絶えてしまう。
通所も入所も空きは無いので家族が経済的にも体力的にも負担する形で
とりあえず無理にでも退院して家に帰ったとして、
もし自宅で体調崩しても病院は人で溢れ返って待ち時間長く
待ちくたびれ消耗して見て貰いたい医師には簡単には見て貰えない。
先月までいた特養の医務室で働いて、
急病の年寄りを受診させようとして何度断られた事か。
受診歴ある病院でも色々な理由で断られる。
急変して救急車に乗せても受け入れてくれる病院が見つからなくて
40分も発車できないとか、やっと受け入れ先見つかっても
ERで医師や看護師に「何でうちに来るわけ?」言われる。
実際私の父も死ぬ前年には
救急搬送した市内の大きな病院のERにいた当直医から
そういうゴミみたいな扱いを受けた。
カーテン一枚越しに「何だこれは。何でこんなのがうちに来るんだ」と。
そして入院したその場で病棟の看護師長からは
「○日までにベッド開けてほしいんです、
 認知症のお年寄は手がかかるから」。
医療者側だって排斥や差別をしているのではない、
人手が足りなくて回らないという事。
手が足りなくて見れないのにどんどん来るから出来ないという事。
これは小児科医療や子供の保育園なんかでも同じだと思われる。
医療や介護の、制度の細かい部分が一つ変わるごとに、
どんどん状況が悪くなっていった、この15年間。
これからももっと悪くなるだろう。

安穏とした何不自由ない立場から経済的展望だとか政治思想だとか語るのは、
それは面白おかしく楽しいかも知れない、
人の手を借りてやっと生活できる立場でさえなければ。
今夜何を食べるか今夜どうやって家族に食べさせるかの心配が要らなくて、
自分の考える事を最優先して語るだけなら。
しかしそんなものは毒にも薬にもならない。

そんな話をした。