ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

夜道で一人空を見上げたら

2015-08-18 19:52:59 | 日常
土砂降り雨の中、教会に行った。
スモール・ストーン・ミニストリーを主催する巡回伝道者、
通称「刺青くりすちゃん」と呼ばれる井上薫牧師の講演会のため。


土砂降り雨の中、小さな礼拝堂に大勢集まった。
『親分はイエス様』そのものの信仰者であり伝道者である。
姓と出身地から、もしかして親族ではないかと思い尋ねてみたが
どうやら違うらしい。
しかし、じじの遺品にたった1枚だけ残る古い写真の曽祖父と
額の形や眼窩の形が似ている・・・ように見えるだけか?


去年も来て下さったけど、私は聞きに行けなかった。
井上薫牧師の信仰体験は壮絶である。
チラシの説明。

「やくざ歴10年、
 覚醒剤に溺れて幻覚と被害妄想に襲われ、
 日本刀と柳葉包丁を手離せず自殺未遂を繰り返していた」

その人が一人の信徒と出逢い、教会に迎えられて回心し、
稼業から足を洗って信仰告白し受洗、伴侶と共に
伝道者となって自らの信仰体験を語る。


井上薫牧師はごく小さい子供の頃に聖公会の幼稚園に通っていたと言う。
物心つくかどうかの幼い時期に福音に触れた小さな体験が、
何十年も経って後にとてつもなく大きな意味を持つようになる事を、
私達は知っている。
私達信徒の多くが自分の人生を振り返って知っている。
井上牧師はその生きた証しである。

 「幼稚園か小学1年か、そんな小さい頃、
  夜道で一人空を見上げたら空一面に星が出ていたんです。
  一人ぼっちで無数の星を見上げていると
  何とも言えない感情が湧き起ってきました。
  無性に寂しいような恋い焦がれるような、
  言葉では表現出来ない感情が湧き起りました。
  今思うと、
  唯一の神を思う思いとは、そのようなものです。」

言葉では難しいが、
表現し難い感情は熱伝導のように伝わる。
聞きに行ってよかった。

子供の頃一人で空を見上げたくだりは、何とも形容し難いが
理屈の通用しない、深い所で共感した。

福音書の山上の垂訓、

「心の清い人人々は幸いである、その人たちは神を見る」(マタイ5;8)

「幼子のようであれ」(マタイ11;25、19;14、マルコ10;13~15、ルカ10;21、18;16~17)

とは、そういう事かも知れないと思った。


私が当地に引っ越して来た年のクリスマスだったと記憶する。
所属教会の牧師先生が説教で話していた。

 天の星を仰ぎ見る人は
 天の神を仰ぎ見ている・・・
 絶望的に
 なす術なくただ天の神を仰ぎ見る。

私も空を見上げる事がある。
いや、気がつくといつも空ばかり見上げている。
見上げる時はいつも
途方に暮れ、行き詰まり、絶望して見上げている。

子供の頃一人で空を見上げた時は、
無性に懐かしいような、寂しいような、幸せのような、
何とも言えない感情をもって見上げていた。


数々の修羅場を潜り抜けた今、
自分が救われた喜びを高らかに宣言する人の眼は輝いている。
今日、ご夫妻と出逢う事が出来てよかったと思う。