「いまどきの若者は我々の若い時より」云々などと年配者の嘆きを聴くことがあります。
私の若い時も年配者には、いまどきの若者たち云々と云われたものです。
いつの時代にも若者たちがいて、年配者がそれを嘆く場面を昔から見聞きしてきました。
いまどきの若者も昔の若者も、良い若者もおり、良くない若者もおりました。
若者の目から見た年配者も、いつの時代でも疎ましく思われたようです。
お爺さん、お婆さんから昔話を聴く機会があれば状況は変わってきます。
昔は、家の真ん中に囲炉裏がほってあり、お爺さんが囲炉裏の火を切らさないように、薪を燃やしながら開拓時代の面白かった事、苦しかった事などの話をしてくれました。
テレビもなく、電話もなく、もちろんスマホもゲームもありません。
燃える薪の赤かい炎に顔を染めながら、お爺さんの話の展開に耳を傾けたものです。
私は、母親の実家が近くにあり、茅葺屋根の土間を上がった中ほどに囲炉裏がありました。
学校から帰り、農作業の手伝いを終え近所の友と一緒に囲炉裏の周りに集まったものです。
この母親の父、つまり私の祖父になりますが、このヒトを疎ましく思う子はおりません。
この経験話は、背景が描写でき、この祖父の話を聴く事を誰もが楽しみにしておりました。
手の空いている時は、祖父の仕事の薪割りや水汲みなどを快く手伝ったものです。
この囲炉裏端で祖父の話を聴けたのは1年くらいで祖父は、心不全で急逝したからです。
私達は、年配者とはこの祖父のイメージだけが焼き付きました。
祖父亡き後の幼い時は、何故か仏頂面の爺さんとしか出会わなかった気がしてなりません。
写真の下校する良い若者たちには、囲炉裏端の経験を積ませてあげたいと思うしだいです。
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