迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

取り巻きにも見放され 『牧太郎の大きな声では言えないが…:鳩山首相の「花道」』

2010年04月20日 | 政治
ルーピーの迷走、ブレまくりは、取り巻きのマスゴミにも見放されるほどです。
午後のラジオでは、発言があまりにもブレるのがマックルボールのようだということで、ナックルボウラーとも言われていました。

牧太郎も自民党政権を批判しまくり、念願の政権交代を果たしますが・・・それだけでした。
その後はなんの成果も挙げられません。

それでも取り巻きはまだまだいます。
文化放送で週刊朝日の山口編集長が
「鳩山内閣の支持率が下がっていますけど、何か失政しましたか」
って仰天発言してました。
「何か失政しましたか」って、どれもこれも失政ばかりじゃないか。
暫定税率廃止、高速道路無料化、公務員の人件費カットも出来ていないし、国会議員の定数削減や報酬の日割りだってやっていない。
そして、今大きな問題になっている普天間問題だって、沖縄以外に移すってことから始まったゴタゴタなのに、それが見えていない週刊誌の編集長。
こんなこと言っているから週刊誌は売れなくなるんですね。
牧太郎の大きな声では言えないが…:鳩山首相の「花道」
 「目がうつろ」と言おうか「目が泳いでいる」とでも言おうか……ともかく、鳩山由紀夫首相の目はキョロキョロしている。
 今日もウソ、明日もウソ……は政治家の常。ある程度、国民も我慢するが、下手くそな(多分、本人は意識しない)ウソを重ねているうちに、鳩山さんは何が何だか分からなくなってしまった。御曹司だから仕方ない。
 しかし、同情ばかりしてもいられない。4月12日夜(日本時間13日)、訪問先のワシントンでこんな一幕があった。普天間飛行場の移設問題で記者団が「大統領の発言は差し控えたいということですが、感触は?」と聞く。鳩山さん、キリッと「感触も申し上げられません。えへ。言葉を全部読まれますから。感触として当然5月末までにそれぞれの立場がありますから、その立場の中で、私どもが移設先をしっかり決めていくということに対しては、当然のことながら、大統領は大統領の立場で関心を持ってみていただけると思っております」と答えた。
 言葉までキョロキョロ。「言葉を全部読まれますから」とは、どんな意味なのか? ともかく支離滅裂である。
 そのうちに“撤回発言”。「私が申し上げたのは、沖縄の負担というものを軽減するということ。それがある意味で日米同盟というものを持続的に撤回させていく」とやってしまった。
 慌てて「発展させていくために」と言い直したが……アメリカからは「日米同盟撤回が本音?」と疑われてしまう。
 不信感が募るアメリカからは「会談で大統領は『進展していないじゃないか?』と言い放った」というニュースが飛び込んで来た。
 大体、衆人環視の夕食会で「最重要課題」を持ち出す幼稚な外交センス。麻生太郎前首相は再三の「誤読」で政権を棒に振ったが、鳩山さんには笑って済まされない「奇妙な言動」が多すぎた。
 5月退陣では遅すぎる。鳩山さんに「花道」を用意する時が来た。
 古くは吉田茂の講和条約、鳩山一郎の日ソ国交正常化……近くは細川護熙の小選挙区比例代表並立制、小泉純一郎の郵政民営化……何か探せば鳩山さんにも胸を張って舞台を去る「花道」がある。
 エッ、何もない?
 そんなことはない。「母親からもらった12億円」もあったけど、子ども手当はバラマキ史上に残る「花道」じゃありませんか?(専門編集委員)
毎日新聞 2010年4月20日 東京夕刊

『たけし、麻生前首相に同情「一番運が悪かった総理」』

2010年04月19日 | 政治
TVタックルで久々に見る麻生太郎はイキイキとしていたし、人間的な魅力に溢れていた。
振り返ってみると、麻生太郎はまともだったなー。
もちろん、ルーピーと比較してだけど、あの未曾有の経済危機の最中によく頑張った。
民主党は恥ずかしげもなくエコポイントやエコカー減税を継続しているけど、当時は反対してたのに。
マスゴミが総叩きして引きずり降ろされた麻生太郎。
マスゴミに守られながらも支持率が下げ止まらないルーピー。
テレビ朝日はかつて麻生太郎叩きをしたことも忘れ、ルーピーを皮肉り、麻生太郎を持ち上げる。
お前ら、節操ないよなー。
たけし、麻生前首相に同情「一番運が悪かった総理」
 たけし×太郎が初の大放談! 19日放送のテレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」(月曜後9・0)で、麻生太郎前首相(69)が昨年9月の辞任後、初めてテレビ番組に出演することが18日、分かった。司会のビートたけし(63)と首相時代から“飲み友達”だけに、幻となった「アニメの殿堂」への思いなど、本音が魅力の麻生節を次々と炸裂させた。
 今回の「TVタックル」は「もう黙っていられるか!べらんめぇ宰相の逆襲!俺が麻生太郎だ!!今だから全て話すぞSP」と銘打ち、前首相が緊急出演だ。
 麻生内閣退陣後、初テレビ出演を決断させたのは、たけし本人だった。2人は麻生氏が首相に就任した08年秋からの“ポン友”。3月にたけしがフランス芸術文化勲章の最高章、コマンドール章を授与されたのを祝して麻生氏が酒席を設け、そこでたけしが出演を“おねだり”して実現した。
 たけしは「銀座でご飯おごってもらったんだけど、ずうずうしく『タックルで恨み辛み、何でも言ってください』って頼んじゃった」とうれしそう。収録で、レッドカーペットを歩いてスタジオ入りした麻生氏は「酒の勢いで了承してしまったよ」と照れ笑いだ。
 リーマンショックで日本経済がドン底にあえぐ中、衆院選に大敗して民主党に政権を明け渡した“時の宰相”に、たけしは「一番運が悪かった総理じゃない」と同情。
 大笑いした麻生氏は、“アニメの殿堂”になるはずが幻に終わった「国際メディア芸術総合センター」への思いを、気心の知れたお笑い界のご意見番に、率直に語った。
 117億円を費やし、『東京・秋葉原に“国営漫画喫茶”を作るは税金のムダ使い』とマスコミから揶揄されたが、その真意を熱弁。
 「ビートさんも映画監督だから分かると思うけど、日本の漫画や映画がリメークされ海外で数百億円を稼ぎ出しても、わずかなリメーク料しか入らないでしょ」と力を込め、「日本が誇るアニメやカラオケのサブカルチャーを、役所がビジネスコンテンツとしてバックアップすれば、向こうと折半できるのに…。“殿堂”はそのスタートにしたかった」と今も胸に秘めた情熱を吐露した。
 たけしは「折半って、『麻生プロダクション』みたい」と笑いを誘いつつ、政治についても和やかに意見交換。最後に「俺、麻生さんの秘書官みたい」とジョークを発し、「また飲みましょう!」と固い握手を交わした。
MSN産経ニュース2010.4.19 10:26

マスゴミが報じない金本の状態 『阪神・金本「『僕は外れます』と伝えた」 連続フル出場がストップ』

2010年04月18日 | スポーツ
なんか美談のように報道されている阪神・金本の連続フル出場がストップですが、本来ならもっと早く決断すべきことだったんじゃないですか。
ネットの動画で見ましたが、浅く守ったレフトからショートまでボールを投げられないのですから守備になっていません。
あれじゃあ、ピッチャーがかわいそう。金本のカバーをするショートの鳥谷も(ショフトと呼ばれてましたね)。
守れなければその分を打って取り戻せばいいのですが、打撃もさっぱりです。
鉄人衣笠の連続試合出場の晩年の状態もよくなかったですが、金本ほどひどくはなかったです。

チームとしては1500試合記念グッズまで作って商売をしたかったようですが、あの状態では無理ですよ。
いや、でもタイガースファンが納得しているのなら、1500試合まで頑張ってもよかったのかも。
だって、相手チームやファンも金本の出場を歓迎してくれるから。
阪神・金本「『僕は外れます』と伝えた」 連続フル出場がストップ
 阪神・金本知憲は18日、横浜戦のスターティングメンバーから外れ、連続フルイニング出場記録が途切れた。
 金本は試合後に「勝つための手段で、『僕は外れます』と伝えた」と、記録をストップさせることを直訴したと明かした。「これ以上出てもチームに迷惑がかかる。特にピッチャーに。あのスローイングじゃあ……」と語った金本。右肩を痛めているため、前日の横浜戦で満足な送球ができなかったことを、スターティングメンバーから外れた理由として挙げた。
 8回に代打で出場し、連続試合出場記録は伸ばしたが、「悪あがきで、テーピングしてみてとは思ったけど、(テーピングで固めても)ダメだったから」と守備につくのは難しい様子。それでも、「監督やヘッドからは『出よう』と言われた。その気持ちがうれしかった」と首脳陣に感謝し、時折笑顔も見せながら帰りのバスに乗り込んだ。
4月18日18時5分配信 スポーツナビ

あのご老人がいるでしょう 『ポーランド国葬に江田議長派遣方針…噴火の影響で見送り』

2010年04月17日 | 政治
弔問外交という言葉だってあるんだから、ポーランド大統領の国葬には、首相経験者を送るべきだと思うけど。
民主党には羽田孜元総理がいるじゃないですか。
ご老体であっても元総理は元総理。
それがダメだというのなら、中曽根や小泉などの自民党を離れた元総理にお願いしてもいいんじゃないですか。
それが友愛ってもんでしょ。

追記
火山の噴火で飛行機が飛ばなくなった関係で、各国首脳が葬儀出席を取り止めているようで、日本の不義理だけが目立たなくてよかったです。
ポーランド国葬に江田議長派遣方針…噴火の影響で見送り
 政府は16日、政府専用機の墜落事故で亡くなったポーランドのカチンスキ大統領の国葬に、江田五月参院議長を代表として送ることを決めた。外国首脳の葬儀には、首相経験者らを送るのが通例だが、「自民党の人に頼むわけにもいかない」(首相周辺)。政権交代の余波に悩んだ末の前例のない人選となった。
 カチンスキ大統領夫妻の国葬は18日午後(日本時間同日夜)にポーランドで開かれ、オバマ米大統領も出席を表明している。日本も「首相級」(政府高官)を念頭に人選を進めたが、鳩山由紀夫首相、副総理の菅直人財務相ら主要現職大臣は国会出席などで時間をとれず、首相経験者はほとんどが自民党系。そこで「三権の長」である議長に目を転じ、足を痛めている横路孝弘衆院議長でなく、江田氏に白羽の矢を立てた。衆参両院の広報課によると、議長が外国首脳の葬儀に参列した例はないという。
    ◇
 参院は16日夜、政府専用機の墜落事故で亡くなったポーランドのカチンスキ大統領の国葬に参列予定だった江田五月参院議長の訪欧を見送ると発表した。アイスランドの火山活動に伴う火山灰が欧州北部に達して各国の空港が休止状態に陥っており、「渡航が困難になった」としている。
 故カチンスキ大統領夫妻の国葬は18日午後(日本時間同日夜)にポーランドで開かれ、オバマ米大統領ほか各国の首脳が参列する予定になっていた。
アサヒ・コム2010年4月17日0時37分

先人のご苦労がありました 『【詳説戦後・沖縄の米軍基地】「死にもの狂い」が結実 普天間返還』

2010年04月16日 | 政治
沖縄の米軍基地問題、鳩山が決着をつけるといっていた5月末が日に日に近づいて来るにも関わらず、依然として迷走を続けています。
鳩山民主党が反故にしたキャンプ・シュワブ沿岸部の移設先ですが、ここに決めるまでの苦労をこの記事を読むまでボクも知りませんでした。
このようなご苦労があってようやく決まった移設先を、選挙の票目当てでいとも簡単に反故にして未だにドタバタし、挙句の果てに「ルーピー鳩山」とまで言われるバカに、是非とももの記事を読んでいただきたいものです。
【詳説戦後・沖縄の米軍基地】「死にもの狂い」が結実 普天間返還
 鳩山由紀夫首相は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先の決定を、来年に先送りすることを決めた。平成18年に日米両政府は移設先をキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)とすることで合意しているが、鳩山政権の決定先送りで、問題の決着はさらに混迷を極めそうだ。普天間飛行場返還合意の舞台裏、戦後の沖縄の米軍基地の歴史を検証する。
             ◇
 橋本政権が誕生して1カ月余りたった平成8年2月21日。自民党総裁室に、首相の橋本龍太郎と、地方分権推進委員会委員長を務めていた秩父小野田会長の諸井虔らが顔をそろえた。会談の目的は沖縄問題だったが、報道陣をはじめ外部には伏せられた。
 諸井は沖縄県知事の大田昌秀を囲む会に参加しており、「沖縄の思い」を橋本に伝えるために足を運んだのだった。「普天間飛行場の返還を、日米首脳会談で出してくれれば、沖縄の県民感情は和らぐ」。諸井は「大田の話」と前置きした上で、こうアドバイスした。
 日米首脳会談は、3日後の23日(日本時間24日)、米国のサンタモニカで行われることになっていた。橋本政権には、沖縄の米軍基地問題の解決が重くのしかかっていた。7年9月の米兵少女暴行事件を契機に、沖縄では米軍への反発が一気に広がっていたからだ。諸井の言葉を受けて橋本は早速、検討に乗り出した。
 しかし、首相官邸執務室で開かれた訪米勉強会では、外務官僚が強硬に反対した。「そんなことを首相が言えば恥をかく」「安全保障の『あ』の字も分かっていないと思われる」…。橋本の悩みは深まる一方だった。
 しかし、橋本は決断した。首脳会談で「フテンマ」と具体名を出し、米大統領のクリントンに返還を迫ったのだ。首相就任後初の日米首脳会談で、安全保障関係を揺るがしかねないテーマを切り出すことは“賭け”だった。
 「大統領の沖縄問題に対する真摯な態度がうかがえた。その場の雰囲気で決断したというしかない」
 橋本に政務秘書官として仕えた江田憲司(現みんなの党幹事長)は振り返る。
 こうして普天間飛行場返還をめぐる日米交渉は始まった。橋本は師と仰ぐ元首相の竹下登に、頻繁に電話をかけて相談を重ねた。当時、竹下の弟で秘書だった亘(現自民党副幹事長)は、竹下がこうアドバイスしていたのを記憶している。
 「交渉には勝ちはない。でも負けもない。そういうものだと思ってやりなさい」
 駆け引きしながら相手を説得し、双方が歩み寄る形で合意を見いだす…。橋本はこのころ記者団に「ボクは本気で、死にもの狂いで交渉しているんだよ」と苦しい胸の内を明かしている。
 橋本は4月17日のクリントンとの2度目の首脳会談に向けて、自ら米駐日大使のモンデールとひざ詰めの直接交渉を行った。その結果、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意。同月12日、首相官邸でモンデールと共同記者会見を行い、これを発表した橋本は会心の笑みを浮かべた。会見を終えて、公邸に戻った橋本は、先回りして待ちかまえていた江田と抱き合い、交渉の成功を喜んだ。
× × ×
 ところが、その後に難しい問題が控えていた。移設先をどこにするかだった。9月初旬、橋本は膠着(こうちゃく)状態に陥った移設先問題で頭を痛めていた。移設先に浮上した嘉手納基地(沖縄県嘉手納町、沖縄市、北谷(ちゃたん)町)やキャンプ・シュワブなどはいずれも、地元の強い反発を受けた。
 そんな折、橋本は羽田空港に向かう車中で、海上構造物の技術やコストの検討を江田に命じた。江田は「(海底にくいを打ち込んで櫓(やぐら)を造り、その上に滑走路を載せる)桟橋方式(QIP)なら実用化されているし、生態系を保護でき、いつでも撤去できます」と答えた。橋本も「それはいい」と満足げな表情を浮かべた。
 「撤去可能な海上ヘリポートを建設する可能性を、日米両国の技術を結集して研究する」
 同月17日、首相就任後、初めて沖縄入りした橋本は、地元自治体関係者ら約250人を前に、海上ヘリポート構想を打ち出した。橋本は「撤去可能とすることで、基地の恒常化を回避でき、地元の理解も得られる」と踏んでいた。
 橋本はその後、移設先はキャンプ・シュワブ沖とする方向で検討を進めた。しかし、1年余りたった9年12月21日、名護市で海上ヘリポート建設の是非を問う住民投票が行われた。結果は反対が54%と賛成の46%を上回り、キャンプ・シュワブ沖ヘの移設は難しい情勢となった。
 3日後の24日。名護市長の比嘉鉄也は、首相官邸に橋本を訪ねた。重苦しい空気の中、比嘉は決意を伝えた。
 「移設を容認します。その代わり私は腹を切る(辞職する)。後任には、助役の岸本(建男)を出して、必ず勝ちます」
 橋本は起立して比嘉の言葉に耳を傾けた。「悲壮な決意で国の重い責任について、辞任までして活路を見いだすことに、心から敬意を表します」と答える橋本の目から、涙がこぼれ落ちた。
 比嘉は橋本に「メモを1枚ください」と求めると、沖縄に伝わる琉歌(りゅうか)をしたためた。
 「義理んむすからん ありん捨ららん 思案てる橋の 渡りぐりしや」
 義理捨てがたく、橋を渡ろうか悩んでいるが、渡らなければならないという心境を詠んだものだった。太平洋戦争での沖縄戦の悲惨さ、米軍基地を抱え続けてきた戦後の歴史。しかし、移設先が決まらなければ「最も危険な基地」といわれる普天間飛行場が残る。言うに尽くせない比嘉の苦渋の選択が、普天間返還の歯車を回した。
 それから12年。日米合意にこぎつけた普天間移設は、今なお迷走を繰り返している。MSN産経ニュース2009.12.23 18:35