すずめ通信

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第1595号 栄光のポルトガルを体感する

2018-08-16 07:32:54 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】ポルトガルの紹介で最もよく取り上げられるのが、ベレン地区の「サン・ヴィンセンテの塔」だろう。ベレンの塔と通称される、テージョ河畔の小さくて優雅な砦跡だ。リスボンの中心市街地から15番トラムに乗り、街の西方(河口方面)に向かうと、まず森林公園の麓に建つ、壮麗なジェロニモス修道院が現れる。そして遠くにベレンの塔が望まれる。ポルトガルの栄光を今に伝える、リスボンの世界遺産エリアである。



「ベレンの塔」は大砲が睨みを効かせる2層の保塁上に、4層の塔が築かれている。高さはわずか35メートルだから、塔を名乗るのも面映いが、国王の間や礼拝堂も備わる手の込んだ建造物だ。テージョ川を行き交う船舶を監視する要塞であるにもかかわらず、「純白のドレスを纏った貴婦人」と例えられる美しさである。16世紀のポルトガル最盛期、未知の航海に出る冒険者たちを見送り、迎えたランドマークである。



一方の「ジェロニモス修道院」は荘厳華麗、文句無しの大建造物である。やはり16世紀、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して、エンリケ航海王子が建てた礼拝堂を基盤に、植民地からもたらされる富を注ぎ込んで300年かけたというのだから、その荘厳華麗さも肯ける。修道院というより2007年、EUが条約を修正し、統合に向けて踏み出した「リスボン条約」がここで調印されたことが記憶に残る。



世界遺産エリアの一角に建つ「発見のモニュメント」は、エンリケ航海王子没後500年に建てられた記念碑だ。王子を先頭に、ポルトガルの偉人たち30余人が、今にも大西洋に船出しようかという勢いだ。私の知る名はガマの他にはマゼランしかいないが、二人はやはり傑出した存在らしく、バスコ・ダ・ガマは3番目、マゼランは6番目に立っている。モニュメント広場には世界地図が描かれ、その足跡を刻んでいる。



この全域が大きな公園のように整備されていて、オリーブらしい古木が点在する芝の原に、キョウチクトウだろうか、白い花が咲き乱れている。「発見のモニュメント」広場はポルトガル人が得意とするモザイク模様の石畳で、まるで波打っているように見える。細部に拘る日本人の眼で見ると、いささか粗っぽい、大雑把な手入れだと見えてしまうけれど、そんな「眼」が煩わしいほど、十分に美しく心地よい空間だ。



私はポルトガルの歴史に不案内だ。だからイベリア半島の片隅にあって、よくぞ国家を維持することができたものだ、ということが、長年の感嘆であり不思議に思うことだ。国土を比較すれば圧倒的な大国であるスペインからの圧力を、どうやって躱してきたかが最大の不思議だ。短期間の旅ではその疑問を解消できるはずもないけれど、おそらく、大西洋の良港を形成したテージョ川に負うところが大きいのだろう。



ポルトガル語はスペイン語とはある程度会話が可能なようだし、外見的にはお互い似通っているのだろう。しかしスペインではどの街でもうんざりさせられる、店員同士の果てしないおしゃべりはここでは見られない。ポルトガル人も民族としてはラテン系に含まれるのだけれど、嗜好や性格はかなり異なっているのではないか。短期間の観察ながら、スペイン人やイタリア人より、むしろフランス人的だと感じる。(2018.7.4)


































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