【Tokyo-k】鉄道唱歌に「山に続きて二里南 銅鉱出だす足尾あり」と歌われた足尾線は、70年間の国鉄・JR時代を経て1989年、地元出資の「わたらせ渓谷鐵道」に引き継がれた。群馬県桐生駅から渡良瀬川に沿って北上し、栃木県旧足尾町の間藤駅までを結ぶ44.1キロの山あいの鉄路である。紅銅(べにあかがね)色と言うらしい塗装を施されたディーゼル車両が、1時間に1本ほどのダイヤで運行している。その中ほどに「神戸(ごうど)」駅がある。
渡良瀬川に建造された草木ダムの最寄り駅で、沿線1の観光拠点である。私は車窓から、広大なダム湖を眺めながら足尾に向かうのを楽しみに、この小旅行を計画した。自宅を出ていくつもの駅で乗り継ぎ、すでに4時間である。神戸駅に着いた1両編成のディーゼルカーは、上り線とすれ違いのため停車した。ホームに降りて腰を伸ばしている運転士に訊ねる。「どの辺りでダム湖が見えるでしょう」「見えないんですよ、ずっとトンネルですから」
私が6年間暮らした群馬を去ったのは1977年3月だった。足尾線は国鉄時代であり、草木ダムは竣工1年未満のころだ。赤城山の西側で暮らす者に、東麓の渡良瀬川はいかにも遠かった。いつか行ってみたいと思いつつ、車窓からダム湖が眺められると勝手に思い込んでいたのである。運転士さんに落胆したことを気づかれないよう、空を見上げる。周囲は山が迫っているから、見上げるのは空しかない。すると花蕾を膨らませる枝の多さに気づいた。
「これが咲いたらきれいでしょうね」「ええ、もう少しすればそれは見事です」。若い運転手さんは自慢げに言った。神戸駅には300本の花桃が植えられているそうで、3月下旬には花見客で賑わうのだそうだ。そのころには新緑も芽吹き、モノトーンの風景が一変するのだろう。神戸駅を出ると間もなく6キロの長いトンネルに入り、ダムの堰堤と同じ140メートルの高低差を登って行く。ダムの湖底と並行しているわけで、湖が見えるはずがない。
花桃に代わって迎えてくれたのはスギ花粉である。見渡す限り山々はスギが植林されており、どこか霞んでいる。これが「春霞み」かと鷹揚に眺めていたのだが、山の端の谷間に漂う雲のような白っぽい塊に気づいた途端、くしゃみが出た。見れば辺り一面、このヘンな雲である。スギ花粉の塊に違いない。今年は例年の10倍も飛散量が多いらしいうえに、連日20度を超える季節はずれの暖かさで、恐ろしい量の花粉が放出されているらしい。
駅に着くたびに、表示板に記されている住所を読む。「みどり市大間々町」や「みどり市東町」に、合併前の大間々町と勢多郡東村だなと、いちいち懐かしくなる。ところがその途中に「桐生市黒保根町」が現れる。確かに昔、黒保根村があったけれど、隣接する大間々町や東村とではなく、渡良瀬川の対岸の桐生市と合併したのだ。その結果、桐生市は細長いみどり市を挟む形で、東西に分断された新市域になっている。合併協議で何があったのだろう。
関東平野の果ての細い谷筋は、銅鉱脈が発見されなければ鉄路も延びて来なかっただろう。資源が掘り尽くされた今、渓谷の鉄道を維持することはますます難しくなっている。ただ鉄道とは不思議なもので、代替バスがあれば廃止しても構わない、というものでもない。トロッコ電車で踏ん張るこの鉄道がなければ、私はここまでやってこなかっただろう。そしてこんな駄作も生まれなかったはずだ。「くさめして春の足尾にたどり着き」(2023.3.8)
渡良瀬川に建造された草木ダムの最寄り駅で、沿線1の観光拠点である。私は車窓から、広大なダム湖を眺めながら足尾に向かうのを楽しみに、この小旅行を計画した。自宅を出ていくつもの駅で乗り継ぎ、すでに4時間である。神戸駅に着いた1両編成のディーゼルカーは、上り線とすれ違いのため停車した。ホームに降りて腰を伸ばしている運転士に訊ねる。「どの辺りでダム湖が見えるでしょう」「見えないんですよ、ずっとトンネルですから」
私が6年間暮らした群馬を去ったのは1977年3月だった。足尾線は国鉄時代であり、草木ダムは竣工1年未満のころだ。赤城山の西側で暮らす者に、東麓の渡良瀬川はいかにも遠かった。いつか行ってみたいと思いつつ、車窓からダム湖が眺められると勝手に思い込んでいたのである。運転士さんに落胆したことを気づかれないよう、空を見上げる。周囲は山が迫っているから、見上げるのは空しかない。すると花蕾を膨らませる枝の多さに気づいた。
「これが咲いたらきれいでしょうね」「ええ、もう少しすればそれは見事です」。若い運転手さんは自慢げに言った。神戸駅には300本の花桃が植えられているそうで、3月下旬には花見客で賑わうのだそうだ。そのころには新緑も芽吹き、モノトーンの風景が一変するのだろう。神戸駅を出ると間もなく6キロの長いトンネルに入り、ダムの堰堤と同じ140メートルの高低差を登って行く。ダムの湖底と並行しているわけで、湖が見えるはずがない。
花桃に代わって迎えてくれたのはスギ花粉である。見渡す限り山々はスギが植林されており、どこか霞んでいる。これが「春霞み」かと鷹揚に眺めていたのだが、山の端の谷間に漂う雲のような白っぽい塊に気づいた途端、くしゃみが出た。見れば辺り一面、このヘンな雲である。スギ花粉の塊に違いない。今年は例年の10倍も飛散量が多いらしいうえに、連日20度を超える季節はずれの暖かさで、恐ろしい量の花粉が放出されているらしい。
駅に着くたびに、表示板に記されている住所を読む。「みどり市大間々町」や「みどり市東町」に、合併前の大間々町と勢多郡東村だなと、いちいち懐かしくなる。ところがその途中に「桐生市黒保根町」が現れる。確かに昔、黒保根村があったけれど、隣接する大間々町や東村とではなく、渡良瀬川の対岸の桐生市と合併したのだ。その結果、桐生市は細長いみどり市を挟む形で、東西に分断された新市域になっている。合併協議で何があったのだろう。
関東平野の果ての細い谷筋は、銅鉱脈が発見されなければ鉄路も延びて来なかっただろう。資源が掘り尽くされた今、渓谷の鉄道を維持することはますます難しくなっている。ただ鉄道とは不思議なもので、代替バスがあれば廃止しても構わない、というものでもない。トロッコ電車で踏ん張るこの鉄道がなければ、私はここまでやってこなかっただろう。そしてこんな駄作も生まれなかったはずだ。「くさめして春の足尾にたどり着き」(2023.3.8)
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