すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1318号 新潟(新潟県)

2014-11-20 06:39:53 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】何度も書いて来たことだが、新潟市は私の故郷である。そして写真は、私が子供のころは一番の繁華街だった古町通りである。いつも買い物客であふれ、母は私が迷子にならないよう、手を痛いほど強く握って歩くのが常だった。久しぶりに帰郷してみると、商店のいくつかはシャッターで閉ざされ、かつて車で込み合っていた道路の真ん中を、お嬢さんたちが闊歩して行く。専門学校の生徒だろうか。今は「専門学校通り」なのだそうだ。



懐かしい街を「変わった」とか「寂れた」と言うのはくどいから止める。時を経れば人も街も変わるもので、私の後頭部もすっかり寂しくなっているようだ。しかし「それにしても」とクドクド考えるのは、新潟市の人口規模があったら、街はもう少しは賑わっていてもいいのではないか、ということだ。この街は周辺の市町村と大合併して、人口80万人の政令指定都市になった。「経済圏」で括れば100万人は優に超えているだろう。



100万都市のイメージは、繁華街は複数あって覇を競い、膨張する人口をさばくため地下鉄の建設が検討され、猥雑なまでに入り乱れる活気と喧噪、といった様相になろうか。しかしこれはもはや過去の常識で、未だにデフレから脱却できない日本経済の、この寂れが地方を覆っている翳りなのかと、改めて古町通りを見渡す。すると私の後ろ数メートル先を、年寄りがすたすた歩いて行く。追いかけて声をかけようかと迷うほど兄に似ている。



さすがに故郷、似ている人がいるものだと感心し、帰京して横浜の兄に連絡してみると、時間場所ともに一致して、それは兄だった。私が中学の同級会に出席しようと出て来たホテルへ、兄は高校の同期会に出席するため急いで向かっていたのだという。そして二人とも、旧友と「元気そうだね」「変わらないね」などと慰め合って新潟の夜を過ごしていたのである。故郷を出た者が故郷の変わり様を嘆くなど、どうも白々しくていけない。



かつて「北陸随一の」と詠われた繁華街が寂れ、専門学校街に様変わりしたとしても、今をそこで暮らしている市民にとっては自然な流れの結果なのだろう、かつては工場街だった川の東側に行けば、デパートや専門店街に最新ファッションが溢れている。万代橋の畔には地元新聞社が本社ビルを建て、最上階を展望フロアに開放している。そこから見下ろす新潟港は大変貌していて、新しい橋や高層ビルが建設され、煤煙は消えている。



それでも……とまた愚痴りたくなるのは、かつてブルーノ・タウトが身の危険を感じたというほど車で込み合っていた街の変貌ぶりである。私が高校生のころに一方通行指定された通りは、50年を経てすべて交互通行に戻っていた。この50年とは、日本が「戦後は終わった」と高度成長をひた走り、バブルに踊ってついにはデフレに転落した50年である。新潟という地方都市の街角に立つだけで、日本経済の悲喜劇が映し出される。



叔父の墓参りをしようと、わが生家を訪ねた。今やここまで新潟市である。屋敷林が取り払われ、蔵も撤去されて様変わりした門前で、叔父の跡を継いだ八代目当主が待っていてくれた。その姿は彼の父親(私の祖父)が生き返ったかとびっくりするほど似ていた。築何年になるのか、生家は痛みが激しく、私にはこれが見納めかもしれない。街や家は移ろい、血はリレーされるということか。翌日、私に初孫が生まれた。(2014.10.25-26)















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