すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1042号 武士道《SAMURAI SPIRIT》【4】

2012-02-18 09:02:38 | Mie Report
【Mie】空手は国内に多くの流派があり、各流派や道場によりルールは様々である。防具をつけて試合をする流派や演武の出来を競う流派、当てる寸前で止めるか弱く当ててポイントを競う流派、また顔と急所以外はどこに当ててもいいフルコンタクト空手の流派などがある(冒頭写真)。

ニコラス・ぺタスは18歳の時にデンマークより単身来日してフルコンタクト空手の流派《極真空手》に入門。その創始者「大山倍達」の最後の弟子である。ニコラスは、彼と同門で全日本選手権に5回優勝し、日本のフルコンタクト空手界で最強の空手家と云われた「数見肇」の道場を訪問した。

数見は、稽古で上達し試合で相手に勝つことに重きを置く極真空手に疑問を感じ、「空手とは何か」「空手は形(かた)ではないか」「空手は試合に勝つことではなく、自分が生きていく中で空手を生かすようにするのが一番」と思うようになり、ニコラスに空手発祥の地・沖縄への訪問を勧めた。

沖縄空手も流派は様々。ある流派は一撃必殺の技を磨くため過酷なほど拳を鍛え、ある流派は強靭な体を作るため過酷なほど体を鍛え、別の流派は形に重きを置いた空手を教える。しかしどの流派であれ沖縄空手の精神は共通している。それは「空手を使わないことがベスト」ということ。

         (写真②)

一撃必殺の技を身につければ自分自身の怖さを知るようになり、強くなればなるほど自分をコントロールする平常心が必要となる。即ち拳を鍛えることは心の鍛錬につながり、過酷なほど体を鍛えることは痛みに耐える強靭な体を作り上げる。

形に重きを置く流派は「形には空手の基本動作が込められている」という(写真②)。「空手に先手なし」(写真③)とは古来より沖縄に受け継がれる空手の中で最も大切な精神であり、形はその象徴である。形は常に防御から始まり、決して攻撃が先行しない。

沖縄空手の精神は「闘争心を捨てるために強くなる」こと。では「誰かに攻撃されたらどこまで我慢するのか?」という問いに、形を重視する小林(しょうりん)流の開祖・知花朝信は「自分がいかに我慢できるか。一方的にやられ、自分が死ぬ直前まで我慢する」という。

もし誰かと争う場面に遭遇したら「謝る勇気」が必要とされ、それには肉体的・精神的な余裕がなければならず、修行を徹底した人は強くて優しくなるという。何よりも争いに巻き込まれないよう細心の注意をはらうことが大切である。

「本当の強さとは体や力の強さではなく、相手を倒すという闘争心の強さでもない。いかなる時でも平常心を失わず我慢できるかどうか」が問われる。「形は人を殺める術の体形でありながら、何事にも動じない我慢する心を育む沖縄空手の命」である。即ち「空手=形」。

         (写真③)

沖縄空手の真髄は、争いを避けるための精神力を生み出すこと。空手を通して己を知り、抑制することで争いを防ぐことができる。それは侍に刀を抜かない強さが求められるのと同じで、我慢に徹する心の強さであり、その精神は武士道に通ずる。

ニコラスは沖縄で空手の源流に触れ、彼がそれまで試合に勝つことを目指してきた空手より、沖縄空手の形のやり方が正しいと感ずるようになった。空手家が求める真の強さとは、平和と調和をもたらす「心の強さ」だった。私は米映画の名作「ベストキッド」(1984年オリジナル版)を思い出した。

(写真はテレビ映像より)



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