すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1775号 再びの伊部で備前焼を歩く

2022-04-07 10:42:47 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】東京・三鷹駅の「みどりの窓口」で、用紙に「三鷹―伊部」と書いて往復切符を求めたところ、窓口の若い男性職員は分厚い時刻表をひっくり返したり、女性の同僚に応援を求めたりしてなかなか作業が進まない。とうとう諦めて「この駅は何と読むのでしょうか」と問うてきた。「いんべ」だと答えると、「あっ、あった。赤穂線ですね」とホッとした表情を見せた。それほど東日本では認知度が薄い街であるのに、私は3年足らずして再び訪れている。



ここが「備前焼の里」だからだ。先日、新宿の陶芸展で備前を買い求め、作家と縁が生まれたものだから、図々しくも窯場を案内してもらうことになったのだ。「私も行ってみたいわ」と妻が言い出し、今度は二人旅である。せっかくの機会だから、岡山をベースに吉備路を歩いてみようとプランを膨らませる。三鷹を午前7時に出発し、伊部に午後1時半に到着した。「ひかり」限定の割引切符を利用しているので、「のぞみ」より1時間も長旅である。



山陽新幹線は相生駅を過ぎるとまもなく岡山県に入り、車窓からは窯場特有の赤レンガの煙突が林立する風景が望まれる。そこが伊部だ。古窯と呼ばれる陶磁器産地でも、ひときわ長い歴史を持つ備前(伊部)焼は、江戸時代には共同の大窯で生活雑器を大量に生産して栄えたのだそうだが、やがて有田や瀬戸の磁器に取って代わられ、明治以降は数件の窯元が細々と窯を守る時代が続いたという。そんな話をしてくれたのは備前作家の森大雅さんだ。



伊部には、江戸時代から続く「木村・森・頓宮・寺見・大饗・金重」の「窯元六姓」という家系があって、大雅さん(48歳)の陶翠園は、祖父が森家を分家して窯を拓いたのだという。三代目となる大雅さんが、祖父から続く登り窯で焼いた作品が私の心を捉えた「カクッコリ」で、この窯で焼き上げるのに松の束1000束(薪5000本)が必要になる。伝統的備前にとどまらない、形容しがたいオブジェに取り組む作家で、そこが私には魅力なのだ。



伊部の街を東西に、西国街道が貫いている。道の両側には古風なたたずまいの陶器専門店が並び、さほど広くない街道がゆったりとしたカーブを描く風情は、時代を一気に遡るような思いにさせてくれる。そんな街の中ほどに、ひときわ目を惹く建物がある。ブルーのタイルを組み合わせた窓枠が特徴的な小西陶古のギャラリーだ。前回来た時にゆっくり鑑賞し、シャープな作風が印象に残った作家だ。今回は小西陶蔵氏が在宅で、話が聞けた。



「このギャラリーができた時、街の人は雰囲気が壊れると心配したそうですが、今はいい建物だと感心しているそうですよ」と、前回聞き込んだ話を披露すると、「私はずっとこの色を使いたいと考えていたのです」と、青いタイルをちりばめた窓枠を眺める。渋い土色の備前に囲まれて、ブルーが一層輝く。奥さんが「備前に活けると花が長持ちします」と言いながら、鮮やかな椿を一輪、差してくださる。備前の里は、色彩がひときわ映える街でもある。



前回から間もない再訪だから、街のたたずまいが変わっていないのは当然だが、駅前の備前焼ミュージアムは、人間国宝展示室が撮影フリーに変化していた。権威を誇示することは止めようと、方針転換があったのかもしれない。陶芸の世界で、今や「備前」は確固たるブランドを確立している。作陶は個の創出ではあるものの、産地という背景が大いなる扶けになっている。中堅・若手の奮起が期待されるのである。(2022.4.1)


































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