すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第920号 琵琶湖周“行”の歌 =2= 多賀

2011-07-22 13:04:27 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】国産みを果たしたイザナギの「その後」について、日本書紀は「幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき」と語る。しかし古事記は「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と明記し、近江・多賀大社の祭祀を裏付ける。淡海か淡路か? 淡路島にも津名郡一宮町に「多賀」の地があって、伊佐奈伎神社が現存するからややこしい。ただ人々は「お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り」と、もっぱら近江路を目指したのだった。

        

彦根から国道307号線を南下すると多賀は近い。私たちも素通りするわけにはいかない。鄙びた集落の向こうに大きな森が現れて、お多賀さまの存在はすぐに知れた。不思議なことにこの大社は街道沿いにある。大社と呼ばれる社格なら、南面する社殿に向かって長い参道が通じていそうなものだが、ここでは鳥居の前を街道が断ち切ってすぐに境内となる。その街道に沿って土産物屋が並び、近江鉄道の大社前駅から参詣の列が続くのだ。

        

この社の創建は、古事記が編纂されたころをかなり遡るのではないか。もともとは土地の祖霊を祀る身近な神社で、道を行く人々が通りすがりにちょいと拝んで行く場であったと思われる。ところが古事記によってイザナギが坐すところとされたため、大慌てで整備が進められたのであろうが、街道を付け替えるわけにも行かず、今日に至っている、というのが私の推理である。ここでは千年の昔など、つい昨日のできごとであろう。

        

境内はあちらこちらに電線が延び、おびただしい数の電球用ソケットがぶら下がっている。敬虔な神域とは思えない様相だが、8月の万灯祭に向けた準備だから仕方ない。ソケットの一つ一つに御神燈が献納され、その数は1万2000灯にのぼるという。ポスターを見ると、境内を秋田の竿燈が埋め尽くしているようなものだ。

        

今も盛んに祭りが続いているほど、なぜ「お多賀さん」は根強い人気があるのだろう。それはアマテラスを筆頭に、八百万の神を産んだイザナギとイザナミを祭神としていることで、延命長寿のご利益があると信じられたかららしい。現代人はまさかそう単純ではなかろうが、神社があれば手を合わせずにはいられない日本人は、手を合わせながら無意識のうちにも健康長寿を願うことになる。だからお多賀さん人気は衰えを知らないのだろう。

        

神社の社格は律令の時代以来、一応の目安が定められ、近代になってもその秩序を引きずっている。しかし現世利益を求める人々が最も重視するのは「霊験」であって、これはひょっとすると意図的なプロデュースであったり、あるいはデマに基づいていたりと、まるで秩序立っていない。要は人々が信ずるかどうかであって、神道は多分にそうした面が強いように思われる。神社の人気はどのように形成されるものなのか、冷静な分析を知りたい。

        (花窟)

ところでイザナギが近江のお多賀さんにおわすなら、先立ったイザナミはどこにいらっしゃるのか? それは熊野の花窟(ハナノイワヤ)である。イザナギに死後の姿を見られたイザナミは怒ってイザナギと離縁、窟の奥深くに隠れて黄泉の国を治めておわす。私は三重の友人と、その熊野灘まで出かけたモノズキなのである。

        

門前に、大きなしゃもじを看板にした売店があった。多賀詣の土産は「お多賀杓子」が定番だったそうで、オタマジャクシはそのオタガジャクシが「お玉杓子」に転訛した結果だという。ホンマかいな? (2011.7.15)







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