すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第257号 『宮本常一が見た日本』

2005-08-31 11:29:56 | Tokyo-k Report
【Tokyo】『宮本常一が見た日本』(佐野眞一著・NHK出版)を読んだ。感想は、この一言しかない。「イヤー、参った!」である。人間はどこまですごいことができる動物か、宮本常一(みやもと・つねいち)という人の生涯を知って、改めて「底が知れない」という思いにさせられたのだ。

宮本常一という、民俗研究に多くの足跡を残している存在はもちろん知っていた。しかし膨大らしい著作の中で、読んだことがあるのは代表作といわれる『忘れられた日本人』しかない。ただその一冊だけで私の中に強い印象が残り、気にかかる存在であり続けた。

今回読んだのは、NHK教育テレビの「人間講座」という番組で、著者が同じタイトルで宮本の事跡を追ったものを基に、加筆されまとめられた一冊なのだという。わたしはたまたまこの番組を一回(実際はその半分程度)見かけて、通して見なかったことを悔やんでいたのだ。

何に「参った!」かというと、宮本という小柄(たぶん)で病み上がりの肉体の男が、凄まじいまでの旅を続けたことである。そのことはうすうす知ってはいたが、ここまでとは想像できなかった。私は宮本の業績を云々する前に、その行動力、エネルギーの放出に、ただただ圧倒させられたのである。

たとえば奈良県十津川村である。この秘境へ行って見たいと思い続けながら、私は長く躊躇し続け、熊野を詣でた帰り、友人の車に同乗させて貰って、ようやく「通過」を果たしただけである。それでも車窓からの景色に山の暮らしを想像し、満足していたという、根性なしの旅人だったのである。

それを宮本常一という人は、はるかに交通事情の劣っていた戦前戦後の混乱期、その足で急峻な山を越え、土地の人でも「あそこと背中は見ないまま死ぬ」と言っていた最奥の集落に踏み入っていくのである。そして人々の暮らしを聞き取り、膨大な写真を残し、報告書にまとめていくのである。

読みながら、私は時折「松本清張」という作家を思い浮かべた。いや、むしろ「藤森某」といった民間考古学者の方が、もっと重なるかもしれない。アカデミズムという,嫌らしいけれどどうしようもなく重苦しい存在と、生涯闘い、苦しみ、実質はそれを超えながら、結局「主流」に迎え入れられなかった人々のことである。

筆者は宮本を単なる民俗研究家というより、不世出の「済民家」として捉えようとしている。つい最近の日本に、こうした人が生きていたということは、奇跡のようである。いや、いまだって、浮かれた世間が知らないだけで、コツコツとこうした事跡を積み続けている人が存在しているのかもしれない。

私のようなものにも宮本常一という存在を近づけてくれたノンフィクション作家は偉いが、やはり宮本本人の偉さは比べようがない。それと同じくらい、あるいはもっと偉いのは、宮本の才能を発掘し、パトロンであり続けた渋沢敬三という財界人かもしれない。

宮本の凄まじい研究生活を知ったことで、私は、自身の怠惰な日常を照射されたような気分になった。打ちのめされているといっていい。イヤー、参った!
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