すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1783号 津山城跡で花に埋もれる

2022-04-22 10:22:09 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】旅から帰ると、まず写真を確認する。今回の岡山旅行でも、900枚近い写真をパソコンに取り込んだ。すると津山で撮った中に、覚えのない1枚が紛れ込んでいるではないか。被写体として選ぶはずもない爺さんで、下から見上げるアングルも不自然だ。そういえばと思い出したのは、左手にぶら下げているカメラのシャッターを、人混みの中で誤って押してしまったことがあった記憶だ。どこの爺さんか、花に埋もれる笑顔は呆れるほど屈託がない。



岡山駅から北へ、JR津山線で向かう。津山は2時間に1本ほどしかない快速電車で72分かかる。旭川に沿って遡るディーゼル列車は、吉備高原の山地をゆるゆる進む。実は私は、津山訪問は初めてではない。20余年の昔になるが、郷里に戻る同僚を訪ねて、全く知らない西国の城下町を案内してもらったのだ。その際、この列車に乗ったのだろうが、記憶が全く蘇らない。だが城跡の壮大な石垣は覚えている。あの城をもう一度見たいと思ってきた。



新潟の商人町育ちで、城に縁がなかった私に、城跡の魅力を教えてくれたのがここだった。同僚が「森蘭丸の弟が初代城主でね」と言ったことを覚えている。さくらまつり開催中の津山城跡は、雑踏とまではいかないけれど、平日にしては大変な賑わいなのではないか。城は市街地からいきなり石段を登る平山城で、本丸の石垣は45メートルの高さにある。天守の一角に櫓が建つが、どうも覚えがない。築城400年の記念に近年復元されたのだという。



今回は花の季節である。津山城の桜は名高い。確かに美しかったけれども、初めての際の感動は湧いてこない。人ごみと祭ぼんぼりの列が風情を壊しているのか、老いた私の感度が鈍っただけのことなのか。タクシーの運転手は「昔は五千本と言われたものだが、今は千本ですよ」と残念そうに言った。津山は中国山地のヘソのような街で、広い盆地に98000人が暮らす大きな街だ。街道も鉄道もこの街でクロスして、瀬戸内と日本海を繋いでいる。



20余年前、同僚は街なかの完成間もない複合ビルについて、「ああいうハコを造って再開発というが、人が戻るか難しい」と懐疑的に言った。そのことを覚えていた私は、結構元気に営業が続けられているようで(私が言うのも変だが)ホッとした。ただビルにつながるアーケード街は、シャッターが増えたかもしれない。旅から帰った直後、JR西日本が「地域の皆様と課題を共有させていただくために」と、線区別の経営状況を開示した。初めてのことだ。



岡山―津山の津山線は1日2000人を超す乗客が確保されているものの、津山でクロスする姫新線や因美線はかなり深刻な赤字だ。帰路の快速を待つ間、駅の外れに保存されている「旧津山扇形機関車庫」を見物に行く。13両が並ぶ車庫は壮観で、山陰と山陽の鉄路を結び、せわしなく回転していたのであろう転車台を眺めた。津山線の車窓から「岡山空港―津山道路の早期実現を」という看板が見えた。津山は、外界との繋がり維持に懸命のようだ。



桜の枝越しに街を見晴らし、「美作は美しい国だ」とつぶやいている。元同僚とは音信が絶えて久しい。津山に来たのに連絡しないのは申し訳ないけれど、短時間の滞在だから失礼した。私は旅先で写真を撮りまくる。メモ代わりになって、後々、記憶を呼び起こす手伝いをしてくれるからだ。それにしてもこの爺さん、よほど花を愉しんでいるのだろう、「こうした破顔を《騰々任天眞》というのではないでしょうか」と良寛さまに訊いてみたい。(2022.4.4)

























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