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すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1969号 立石仲見世で「おでん」を頬張る

2024-12-30 15:57:29 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】古代、「葛飾」は下総国に属する「郡」であった。茨城県古河市あたりから古・渡良瀬川が東京湾へと南下する流域の、広大なエリアである。その名残りは「東葛」「葛西」など今も地名に用いられている。そっくり名をいただいた葛飾区は、南端に近い南葛飾の一部でしかない。しかし今の私はそんなことはどうでもいいのであって、京成立石駅前の路地のようなアーケード街で、露天同様の店に座り、熱燗を片手におでんを頬張っているのである。 . . . 本文を読む
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第1968号 初詣を前に西新井大師に行く

2024-12-29 03:35:36 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】年明けまで1週間を切って、都内屈指の初詣どころ西新井大師はすでに準備が整ったようである。大きなガラスで仕切られた本堂を覗くと、清々しい畳の広間でおじさんが一人、静かに手を合わせている。大晦日に始まる初詣では、さほど広いとも言えないこの境内に60万人を超す善男善女がやって来るそうだから、静寂は今だけのものだろう。今日はクリスマス。異宗教の聖なる日は関係ないと、露天を造作する音だけが忙しなく響いている。 . . . 本文を読む
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第1967号 古代に遡った気分で「舎人」を歩く

2024-12-28 00:06:00 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】山手線の日暮里駅から北へ延びて行くモノレールがある。「日暮里・舎人ライナー」だ。正確にはモノレールとは異なる、案内軌条式と言う新交通システムなのだそうだが、道路の上空をスルスル行き交う姿の、どこがどう異なるのか私には判らない。ただ、乗ってみたいと考えていたのはシステムへの関心からではなく、終着駅界隈の「舎人(とねり)」という地名に惹きつけられるからだ。律令の古代に連れ戻されるような響きが、私を誘うのである。 . . . 本文を読む
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第1966号 黄色と黒のインパクト 宇都宮でLRTに乗る

2024-12-09 15:29:38 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】年齢相応に「枯れてきた」と自覚することが多くなっているのだけれど、生来の好奇心だけはなかなか枯れ切らないらしい。早朝の那珂川町で広重の浮世絵を眺め、昼下がりの那須烏山をうろうろして宇都宮に戻ったものの、本日の栃木散歩を終えるわけにはいかない。評判の「宇都宮ライトレール」に乗ってみたいのである。宇都宮駅から隣町の芳賀工業団地までの14.6キロに敷設された、国内では75年ぶりになるという新設の路面電車である。 . . . 本文を読む
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第1965号 靄の中、那須烏山に行く

2024-12-07 20:01:27 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「那須」は古代に遡る古い地名である。大田原市に残る「那須国造碑」には永昌元年(689年)のこととして「那須国」が刻まれている。この年、那須国は下毛野国と共に下野国に編入され、その「郡」になる。ではその「那須」とはどの辺りを指すのか。那珂川流域を中心とした、鬼怒川以東の栃木県北東部だと考えていいようだ。那須町や那須塩原市から南、那須烏山市に至るエリアということになろうか。私はJR烏山線に揺られて「那須」に入る。 . . . 本文を読む
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第1964号 那珂川町は紅葉に清流、広重がいる

2024-12-06 10:43:14 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】那珂川町は栃木県中央部東端にあって、茨城県と境を接している。那須岳に発する那珂川が、八溝山地の西端を流れ下る山中に形成する、わずかな平坦地に営まれる街だ。人口は14000人ほどに過ぎないのだが、そんな山あいの小さな町が、美術館を運営している。「那珂川町馬頭広重美術館」である。開館して四半世紀になるというが、私が知ったのも開館と同時期だったと思う。その外観の写真を見た瞬間、「行ってみたい」と思ったのだった。 . . . 本文を読む
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第1963号 安房の玄関・館山リノベーション

2024-11-23 20:08:20 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】布良から再びバスで館山駅に戻って来ると、晩秋の陽は早くも傾きかけている。昼ころの駅前広場は静かだったのに、大音量の曲が響いて何やら騒々しい。東口を見回すと、歩道の広い部分に人だかりがして、生演奏を囲んでいるようだ。聴衆は50人ほどだろうか、今日の布良までの往復で見かけた人の数より多いだろう。バスから寂れた商店街を眺め続けて、いささか鼻白んでいた私は嬉しくなる。居並ぶ幟旗には「sPARK DAY」とある。 . . . 本文を読む
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第1962号 布良の浜で『海の幸』を想う

2024-11-21 13:46:08 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】青木繁が描いた油彩『海の幸』である。写真はその中央部分なのだが、ガラス戸が反射して写り込んでいる。私の撮影技術の拙さもあるのだけれど、写っているのは1907年、東京美術学校を卒業したばかりの繁が友人らと逗留、この絵を描いた房総「布良」の網元・小谷家の「その部屋」のガラス戸なのだ。だからまんざら意味がないこともない。現在は「青木繁『海の幸』記念館」として公開され、レプリカが飾られている。房総半島最南端の漁村である。 . . . 本文を読む
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第1961号 黒潮のカツオにマグロ勝浦朝市

2024-11-20 10:05:10 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】房総・勝浦は、17年ぶり2度目の訪問になる。退職して1年を経ずに脳梗塞に倒れた私は、退院後初めての遠出として妻に付き添われ、館山・野島崎・勝浦と、小さな旅をしたのだった。勝浦は到着が午後になり、朝市に行けなかったことが心残りだった。今回「布良」への小さな旅を計画し、前回とは逆に勝浦から回るコースを組んだ。早朝まで雨だったそうで、朝市はいつもの日曜日よりは店が少ないらしいけれど、人出はまずまずのようである。 . . . 本文を読む
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第1960号 狭山湖は宙も湖も私も青い

2024-11-16 15:41:35 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】狭山丘陵には多摩湖ともう一つ、同様の人造湖がある。狭山湖だ。東京都水道局が管理する東京都民の上水道用貯水施設「山口貯水池」で、村山貯水池(多摩湖)の竣工を待って着工され、1934年に完成した。総貯水量は狭山湖の方が6倍大きい。多摩川の上流部から導水された水はここに溜められ、それぞれの浄水場に導かれて家庭の蛇口に至る。広大な湖水を眺め、私は「都市のインフラはかくも巨大なのだなあ」と何やら感慨を味わっている。 . . . 本文を読む
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第1959号 多摩湖から東大和を歩く

2024-11-15 09:54:46 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】東大和市の郷土博物館は、併設のプラネタリウムが休館のせいか閑散として、展示室は私の後から入って来た後頭部が禿げかかった(私も同様らしいが)爺さんと二人きりだ。部屋の中央に「緑の孤島―狭山丘陵」というジオラマが置かれている。西の奥多摩から延びて来た山地が武蔵野台地に飲み込まれ、その平坦な広がりの中に孤島のような緑の丘陵が浮かんでいる。東京という取り止めもなく広がる都会の果ての、この街の位置が判って来る。 . . . 本文を読む
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第1958号 石岡は国府と古墳、看板建築

2024-11-08 11:18:24 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】この広い通りは石岡市のメインストリートで、いまでは中町通りと呼ばれているようだが、かつては水戸徳川家のお殿様が江戸と往還した水戸街道なのである。軒を連ねるのは、有形文化財に登録されている石岡自慢の看板建築商家群だ。レトロな佇まいが風景を優しくしているけれど、惜しいかな人通りがない。秋晴れの昼下がり、歩道を行くのはベビーカーを押す若いママだけだ。ところが町名表示は「国府」とある。ただごとでない響きだ。 . . . 本文を読む
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第1957号 「猿」の故地を訪ね行方台地を歩く

2024-11-05 10:17:53 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「猿型埴輪」の故地を目指し、常磐線・石岡駅から鉾田行きのバスに乗る。やがて右手に霞ヶ浦が見えてきて、沖洲陸橋の停留所で降りる。石岡市から小美玉市を通過し、行方市に入ったばかりの「沖洲」という土地らしいが、茨城の地理に疎い私は自分がどの辺りにいるのか掴めない。バス停の先に小さな森が見える。「猿」が出土したと伝わる大日塚古墳だろうか。「故地」とはいえ、出土状況は曖昧だ。それでもやって来る私は、もはや病膏肓の域である。 . . . 本文を読む
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第1956号 ようやく訪ねた虎塚古墳の壁画

2024-11-03 12:13:14 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「これは何だ⁉︎」と仰天させられて、もう半世紀が過ぎてしまった。石室の壁面いっぱいに色が塗られ、不思議な紋様が描かれている。なかでも正面奥の二つの環は、じっとこちらを睨むモノノケの眼のようである。初めて見たのは1973年9月12日の、壁画発見を伝える新聞記事だった。だが新聞では色は判らない。改めてその彩色にも驚き、「これはいつか見に行かなければならない」と決心したのだった。茨城県ひたちなか市の虎塚古墳である。 . . . 本文を読む
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第1955号 上野で同級会と「はにわ」展

2024-10-22 10:50:46 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】茨城県行方市の大日塚古墳出土と伝わる、6世紀の「猿型埴輪」である。子猿を背負った母猿であるらしいことは、背中の剥離した土の跡から推察される。顔は赤く塗られ、少しこちらを向いた表情は優しい。頭部は握り拳ほどで、胴の途中から以下は失われている。東京国立博物館で始まった「はにわ」展で、私は最も会いたかった「猿」の前に佇んでいる。単純な造形ながらニホンザルの特質が的確に捉えられ、子を想う母猿の愛情が伝わって来る。 . . . 本文を読む
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